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母親

小学校に上がる前のぼんやりとした
記憶を辿ると母親という存在は私にとって
「冷たい」「こっちを見てくれない人」だった。

母が台所に立ち料理をしている姿や一緒に
食卓を囲みご飯を食べた記憶は一切ない。
お父ちゃんと呼ぶ人が夕食を作ってくれていた
と思う。

覚えている事は…

母は、オレンジ色のガスホース
(ガスコンロに接続しているホース)を
カットしそれをガムテープで固定した物で
私達をよく叩いた。(躾のため…?)

何で母を怒らせたのか忘れてしまったけど… 

ある日、弟と公園で遊んでいて門限が少し過ぎて
しまい帰宅したら怒られると思い、そのまま夜遅くまで帰らなかった事があった。

それでもどっちみち帰らなければいけなくて
恐る恐る家に帰ったら、お父ちゃんと呼ぶ人が
私達を待ち構えていて、私達はベルトで
思いっきり身体を叩かれた。
(その時、母は夜の仕事で家に居なかった)

ある時は、もぐさ(お灸)を手の上に乗せられて
皮膚が火傷するまで押さえつけられたり…

バタバタ暴れる私の上に母は覆いかぶさり
身動きが取れない状態にされ私は泣き叫んだ。
(今でも手や背中に火傷の跡が残っている)

真冬に全裸で放り出された事もあった。

私達が悪い子だから、ダメな子だから
怒られるし叩かれる。

だから仕方がないと思っていた。

大人になった今、当時の幼かった自分は
どんなに叩かれても、痛い思いをしても
母に自分の方を見て欲しかったんだと…

何をされてもずっと母の愛情を求め続けていた
自分がいた。

そしてどんな母親であっても、子どもは
母親を愛する生き物なんだと知った。

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