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(日記)広島旅行の記録・2日目

※原爆関連の施設に行って悲しかったことをたくさん書きます。感情の込め方的にだれでも読めるわけじゃないと思うので、無理そうだったら避けてください。

▽1日目の日記はこちら

2日目。寝坊した。5時には起きていろんな作業をするつもりが、起きたら6時を回っていた……ベッドから出て顔を洗い、片付けをし、服を着替えて身だしなみを整える。1階のラウンジでパンとコーヒーが無料サービスになるらしいと聞いていたので取りにいった。パンは小さいものが3つセットになってラッピングされている。抹茶ホテルメロンパン、フランボワーズ食パン、名前はわすれたがレーズンのものを選んだ。部屋に持ち帰って仕事をはじめながら食べる。ふつうの菓子パンみたいな感じでおいしかった。この「ふつうの菓子パン」が好きだ。体に悪いなぁとは思いつつ、糖と油分がくれる刺激には敵わないときがある。

そのまま10時過ぎくらいまでは仕事をした。Podcastの収録と、オンボーディングのMTGと、資料の加筆と。お休み中ごめんね〜、と言われるけれど、今回は気持ちに余裕もあるし、あまり苦じゃない。むしろ忙しいときに旅行に抜けていてすんません……という気持ちすらある。(誰のためでもないけど補足しておくと、そういうことに関しての後腐れ?はほぼない組織です。)

チェックアウトして、街を歩き出す。雨で寒かった昨日とは打って変わって、春らしく暖かい。今日だけを考えればコートは失敗だったなと思う。

不思議な見た目のビル。

新幹線の出発は15時なので、それまでは平和記念公園のあたりを散策する予定だった。地図を頼りに道を進んでいたつもりが盛大に間違えて少し引き返す。月末で、使い方に計画性がなかったためにモバイルデータの残量が0.2Gくらいしかなく、基本的に切って移動していた(愚かな……)。Googleマップなどを参照することもできなかったし、というか気持ち的にのんびりしていて、あえてしなかった。街の雰囲気を感じながら歩いた。

Wi-Fiがないので地図を写メした。

平和祈念公園につく。資料館の側から回りたかったつもりが、公園の先端にまで来てしまったらしかった。すでに視界に映り込んでいるドームを目指した。ドームに着くと、人がたくさん集まっていた。『ぼくはうそをついた』でリョウタがたとえていた、「片方だけのつばさ」のように崩れた壁のことを思い出す。みんな記念撮影をしている。小学生くらいの子がピースをしていて、「ピースはちょっと」と親が困ったように諭していた。「20万人が死んだんでしょ」と、明るいくらいの発音で言っていて、胸のあたりが温度のない凪のようになる。この気持ちはこの日の通奏低音だったなあ。誰を見ても、何を見ても。凝然と存在する遺物の前で__それは原爆ドームだけじゃなくて、流れる川とか、街も含めて__人々が歩いて、喋って、笑っているときの、温度のない凪のような気持ち。凪にするしかないような気持ち。外国語を話している人もたくさんいた。母国の歴史に原爆が落とされてない人は、どんな気持ちでこれを見るんだろう? 違うのだろうか、違わないのだろうか。

川の水面はきらきらしていた。カメラの絞りが壊れて開きっぱなしになっていることに気づく。レバーを動かせばいいらしいが、動かない。直し方がわからないまま、平和祈念資料館へ向かう。

資料館はすごく混んでいた。チケットを買うまでもかなり時間がかかった。以前も訪れているが、あまり記憶がないのと、リニューアルされたということで、ちゃんと行ってみようと思っていた。前に並んでいる、かっこいいファッションの2人組が、老夫婦らしきペアに日本円の払い方をたずねられて颯爽と応じていた。英語がペラペラ、というわけではなくて、外国からの観光客で現地人の自然なやりとりのそれとして、というように映った。

最初の部屋は、シアターのようになっている。コンセプトが前よりも明瞭で(これは大人になって、そういう視点で見られるようになっただけかもしれないが)、ひとつ目の部屋でぐっと原爆投下の時刻に引き込むような、そういう仕掛けだった。

そこからあとは、結論から言うと、ぜんぜんちゃんと見られなかった。怖かった。写真も絵も「ちゃんと見なきゃ」と「これ以上見るとだめだ」とを同時に思っていた。魂の叫び、と題して、遺品とその人のエピソードを展示するパートで限界がきた。辛くて、涙が出てきて、あとは足早に最後まで逃げるように展示室を出てしまった。話の細部は覚えていない。覚えないようにしていたと思う。いくら悲しんでも、自分のことではないのに。想像の上でお前が悲しんでもどうしようもないのに。ただ、莫大な悲しさで耐えられなかった。資料館を出て平和の池まで歩いた。

平和の池の中央には慰霊碑があり、言葉が刻んである。慰霊碑には、亡くなった人の名簿が収められているという。炎の向こうにドームが見える。それを前にして立ち尽くしてやっぱり涙が出てきた。それっきり家族に会えなかった人が何万といた。家族の肉体が崩れていくのを目にした人が何万といた。目を閉じる。ドームを中心に焼け野原になったところを少しだけ思い浮かべる。人間の像はうまく結べなかったが、焼けただれた手がこちらに伸びてくるところを描いた。胸が、比喩ではなく痛かった。涙を堪えているあいだに、いろんな人が来て写真を撮っていく。わたしが見ている間に、慰霊碑に対して頭を下げたのはふたりだけだった。ひとりは見回りの警備員さん。もう一人は、車椅子のおばあさんを連れたおじいさん。長く立ち尽くしたあと、頭を下げて、手を合わせた。言葉にならずに、どこか座れるところを探した。

ベンチに座っても胸の痛みは続いて、涙が勝手に出てきて止まらなかった。落ち着くのを待ちながら、なぜか「もし今英語圏の人に話しかけられたらなんて答えよう」という想像をしていた。この類の想像は普段でもよくするけれど。英語はぜんぜんちゃんと喋れないけれど、頭の中にいくつかの文が浮かんでいた。

I just feel sad……I went Peace Memorial Park. It was overwhelming. I was born in Japan, and I learned about the terrible war over and over, in high school, junior high school, elementary school……. I thought like, "Yeah, I know about the war and the history of Hiroshima of that period." But I was stupid. It was out of my imagination. I just feel sad……really. What should we do? What should we do to make peace? I feel, somehow, lonely now. Could you take my hand? I feel lonely, and just sad, really……

あっているのかわからないままで浮かんできたのは、日本語で気持ちを言葉にしてしまうのが怖かったのだろうか。日本語は慣れているぶん、安易に何か気持ちの形を変えてしまうかもしれないから。そして覚えて、心に残ってしまうから……でもこれは後付けだなぁと書いていて思った。本当は、この気持ちを知ってほしかったのかもしれない。特に、写真を撮ってすぐに立ち去った外国の人に向けて、自分が何かを伝えるとしたら何だろう、ということを考えていたのかもしれない。

写真を撮る、ということについていろいろと考えた。いろんな人を見る中で、写真を撮ってすぐに次の場所へ……というサイクルの速さをどうしても感じてしまった。とくに慰霊碑のところでは、自分と慰霊碑を写真に収めて去る、それでいいのだろうか……というグロテスクな気持ちがどうしても拭えなかった。その人にとっての心への残し方だとはわかっていても。

写真には写らないものを感じたい。時間ごと覚えていたい。そのよすがとして写真をとる。写っていないことを思い出すために。それくらいでありたいな、と思った。きょうは写真をあんまりとっていなくて、スマホに残っているのは5枚だけだ。(だからこそ日記にちゃんと書きたいということでもある。)

もう、13時を回っていた。できるなら広島県立美術館にも行こうかなと思っていたが、なんだかいっぱいになってしまって、バスで広島駅に移ることにした。バスの中から、路面電車のパンタグラフが交差点の上にも幾何学模様のように張り巡らされているのを見た。

『ぼくはうそをついた』を読んだのも相まって、言葉についても考えた。思い起こされたのは最近あったことだった。読書の良さを伝えたいと思って言ったあるフレーズに、すごく共感してくれた人がいたこと。ずっと、読書の良さってなかなか言葉にして話せないと思っていて、でもインタビューの中でやっとポロッと出てきた表現に、全力で共感して返してくれた人がいた。自分の子どもにもそう伝えます、と言ってくれた。本当に嬉しかった。自分が長く考えて、やっと言葉にしたことが、誰かに響いたんだと思った。そういう言葉を使えているんだろうか。本当のことをしゃべれているんだろうか。そもそも本当のことを喋ろうと努力しているのか。なんか、最近に書いたものの目をまともに見られないような気がした。

広島駅に着く。けっこう時間があるので、お土産をゆっくり見て回った。オフィス用と家用にもみじ饅頭を一箱ずつ買った。それから、まだお昼を食べていなかったので、昨日みて気になっていた「はっさく大福」と、広島菜のおむすびを買った。広島菜は『ぼくはうそをついた』でリョウタがすごく美味しそうに食べていたから気になったものだ。かじると、ご飯が少しやわらかくて、淡いお米の味に漬物の塩気がかかって美味しかった。中は柴漬け。噛みちぎるのがやや大変だった。はっさく大福は、思ったよりもはっさくがしっかりと苦味を持っている。はっさくのままで大福の中に溶け込んでいて、こちらも美味しかった。

仲の良い人に個別で買うおみやげを、何にしようかな……と最後まで悩んだ。結局、駅構内に入ってから決めた。「淡雪花」というレモンの、新しめのおしゃれなパッケージのお菓子だ。それから、買おうと思って忘れていた「がんす」(練物的な感じのもの)を慌てて買った。

帰りの新幹線は窓側だった。ベネッセ本社と浜名湖(海かと思った)と富士山をみた。寝たり仕事をしたり小説を書いたりしながら東京に着いた。

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