発達障害、自分の場合

自分がnoteを始めてみようかと思ったひとつのきっかけになったのがこちらの記事。

確定診断はおろか、専門医選びもまだな段階で、色々と調べまくっては浮き沈みを繰り返していた頃。自分と同じような人がいる!と迷子になりがちな気持ちの助けになったので、まだ見ぬ自分と同じような人の目に触れたらいいなーという気持ちで自分もマネして書いてみる。
おいでませ自分と同じような人。

*自分が発達障害かもしれない、と思ってる人には専門医の診断を強くおすすめします。そうだった場合には自分が長いことずっと抱えたまま、でも自分には当たり前すぎてこれを「生きづらさ」なんて呼ぶべきなのかすら分からずしんどい思いをしてきた理由が分かるし、理由が分かれば先人の知恵を頂いて対策ができるかもしれない。自分も日々模索中です。そうでなかった場合には、生きづらさの理由の候補をひとつ除外して、次の対策を考えられる。
参考までに、自分が専門医選びで参考にしたのはこちらのサイト。

理解に役立った書籍や薬についてなどはそのうち書こうと思います。

書いてる人:注意欠陥障害(ADD)。自閉症スペクトラム(ASD)傾向あり。多動少しあり(手遊び、貧乏ゆすり、皮膚むしりなど)。抑うつ状態。
自分ではスキゾイド、社会不安もちょっとあるんじゃないかと思っている(診断はついてません)。
アロマンティック、アセクシュアル。性別フリーな人になりたい。


物事を後回しにしがち

生きるうえで一番困ってるのがコレ。大事な事でも切羽詰まらないと手がつけられない。切羽詰まっててもつけられない。どうしようもならなくなるギリギリに手をつけようとして不要かつ多大な労力を費やすか、恐怖感と罪悪感で結局手がつけられずどうにもならなくなる。この恐怖感と罪悪感は更に悪循環を生む。
このせいで色々期日に間に合わなかったり、間に合っても万全ではなくて、人生のかなりを損していると思う。
会う機会が減った人との連絡すら忘れたりずるずると後回しにした結果気まずくなり、返事の時期を逸して人間関係が消滅。結局友達と呼べる相手がひとりしかいない(その相手は何があっても愛想を尽かさず連絡をくれる神様みたいな人)。
自分が読んだ本には、この恐怖感と罪悪感のスパイラルから抜け出すのが自己の障害の受容につながる、と書いてあってすごく納得した。でも簡単なことではない。


報連相ができない

手をつけたのにやり遂げられない、うまくいかないことが多すぎて、ある程度かたちになるまでは人に隠しておこうと思ってしまう。そうすればかたちにならなかったものは他人にはなかったことになる。
自分でも最低な思考だと思うけど、覚えてる限り7歳の時からやってる考え方なので、最低と思う前に反射のようになってしまっている。直そうとはしてるけどなかなか直らない。
助けを求めるのも苦手で、取り返しがつかなくなるギリギリにならないと他人の協力を仰げない。被害を被るのが自分だけなら、自分ひとりでなんとかするか諦める。迷惑極まりないけど、どのへんがギリギリかの見極めばかり上手くなっている。


自分が自分であることに罪悪感がある

小さい頃から自分がどこかおかしいと気づいていた。自分本来のやり方や考え方をすると絶対に失敗する、自分の9割はダメさやだらしなさで、それが外に漏れると嫌われるという意識がある。なので家族も含め、ひとと関わるとき、ひとが関わるとき(つまりほぼ常に)考えるより先に反射的に、おもねるように「普通」のふりをしている(それでも「変わってる」「そんなじゃやっていけないよ」と言われることは多い)。そして根本的に「普通」じゃないので、いつも限界がきてひどい破綻の仕方をし、人間関係にヒビが入る。うまく行っているときでも、いつか確実に破綻することは分かっているので、化けの皮が剥がれる恐怖感とひとを欺いている罪悪感が常にある。それでも化けの皮なしには今以上に嫌われることは経験上知っているので、欺かずにはひとと関われない。ひとを知ろうとする努力も興味も持てないくせに、嫌われるダメージだけは一丁前で、突き詰めれば自分の気持ちしか見えてない。そういう自分のあり方にも罪悪感がある。


空気が読めない

読めないので読もうとして過剰に気を回し、結果人といると疲れる。疲れた結果更に人と関わるのが嫌になる。結果更に読めなくなる。悪循環。自分ではそれだけ努力しても人の意図を読めず、言葉と行動が合致しないと期待や想像を裏切られたと感じたり、皮肉や中傷に後から気づいて死ぬほど落ち込む。結果人が恐くなる。更に人との接触を避ける。読めなくなる。悪循環。以下無限ループ。
「アスペは空気読まないから」とかいう人は、空気読めないのと読もうともしないのは別だと気づいて(でもどっちにしろ結果は同じなので、普通の人には「アスペ=空気読まない」なんでしょうね)。


常にひとり反省会

起こったこと、発したり受け取った言葉を事後に反芻してしまう。小さい頃は本当に実際に呟いて反芻するくせすらあった。なのでひとと会ったり話したりした後は、相手がある程度気心の知れた相手や家族であっても、何かおかしなことをしたり言ったりしなかったかとか、自分の言葉回しが誤解を与えたんじゃないか、あれをああいうふうに言えばよかった/言わなければよかった、あれ言い忘れたなどなど面倒くさい反省会をしてしまう。それはひとから受け取った言葉や非言語的なコミュニケーションについても同様で、ひとの些細な言動を反芻するうち勝手に(大抵ネガティブな)深読みが始まる。
コミュニケーションの大部分は空気や流れの結果で、自分が深読みするような深い意味はないし、普通の人はそんな深読みはしないしされているとも思っていない、と知った(しかし未だにその実感は薄い)のはとある本を読んでから。
この反省会がひととのコミュニケーションに恐怖感を生みだす原因になっている自覚は自分でもある。そしてこのせいで本当に腹を割って話せる相手がひとりもいないのもおかしいとは知っている。でもどうしたらいいのか分からない。


一個入ったら一個忘れる

トイレに行くついでに水を汲んでこようと手にしたコップを、パーカー羽織るために置いたが最後、羽織った瞬間には忘れてトイレに行く、など。とにかく大きなひとつながりの中に何か別のものが入り込むと、それに気を取られてもともとのものが見えにくくなる。
だからなのか肝心のところで詰めが甘いし、そこまで注意を払ってやってきたのに突然謎の大雑把が発動したりする。困難な山場は頑張って越えたのに、些細な仕上げをする気が起きなくてやり遂げられないことも多い。
忘れ物は多いけど、幸い出先でものをなくしたことはほとんどない。これは必要最小限のものを決まった場所に身に着けて外出してるからかもしれない。ポイントカードやメモ、鍵など持ち歩くものの数が減ったので、スマホとIoTにはほんとに感謝してる。


マルチタスクが致命的にできない

話を聞きながらメモを取る。電子レンジかけながら冷蔵庫から何か探す。時間を気にしながら用事を済ませる。全部平常心ではできない。頑張ればできることもあるけど、何か忘れてるんじゃないか、どっちかが疎かになるんじゃないかと内心常に不安に苛まれ、大抵どっちも疎かになって失敗する。
物事の順序づけが苦手で何から手をつければいいか分からない。複数のことが同時に起こるとどうしていいのか分からなくなる。結果、手をつけやすそうなところから無計画に手をつけて全体が破綻する。日常で起こるあらゆることがそれぞれ1本の電車だとすると、これは駅に止まってこれは通過して、みたいな運行管理が全然できない。新幹線に気を取られて鈍行が事故る。
やることを書き出して順序づけするといいと聞いてやってみたことがあるけど、そもそも手順のリストアップが困難で続かなかった。手順のどこからどこまでが1段階かとか、書き出した手順はそれで本当に全部かとか気になりすぎて難易度高すぎる。


感覚過敏

光が眩しいので、色んなものの画面照度に殺意を覚えることがある。視覚情報が多すぎると何にも集中できなくなって心ここにあらず。肌触りやカットの合わなさが気になって身に着けられない服が多い。動物性脂肪の匂いが苦手で無脂肪以外の牛乳は飲めないし、肉は鶏ささみ以外食べられない。あらゆる音を不快に感じやすく、電話はその音も突然鳴るのも相手が見えないのも全部ひっくるめて恐くて仕方ない。一人暮らし時にテレビを捨ててみたら人生が1%ぐらい楽になった。ノイキャンイヤホンが完全ワイヤレスになって、毎度開発者を拝み倒したいような気持ちでいる。
そのくせ、相手の声が拾えないので、ざわついた場所での会話が苦手。日本語なら経験で察せることもあるけど、英語の雑談は特に苦行です。


頭が多動

頭の中で常に何かしら音楽や言葉が鳴っている。関連のあることないこと、浮かんだ思考に目移りが激しく、ひとつの思考に腰を据えて取り組めない。ひとつのことに集中してる場合でも、関連するアイデアや思考が際限なく浮かんだり、一度捨てると決めたアイデアがループしてきたりするので、思考がいつまでもまとまらない。常に何かしら肉付けしたり削ったりしてる。


自分の正義感に合わない人やものを攻撃しがち、快不快が極端

このせいで日本で3回仕事をクビになっている。アメリカで攻撃を建設的な方向に向けられる人に会って感銘を受けて以来、矛先を逸らせられるようにもなってきたけど、未だにダメージを受けてる時など言わでものことを言ってしまうことがある。ネットは不快スイッチ押し込んでくる案件が多すぎて疲弊するので、必要なもの以外は精神衛生上できるだけ見ないようにしてます(特に日本のもの。ポータルサイトとかフツーに目に触れる場所に炎上案件紛れてるのほんとやめて)。SNSとか無理。


人の顔と名前が覚えられない

覚えないといけない時は身につけてるもので覚えるので、次回会った時には分からなくなっている可能性が大。
多分もともと他人に興味があまりない。もしくは、他人は何を考えてるのか分からなすぎて恐すぎるので、無意識に興味のないふりをしてるのかもしれない。
人の性格の好み、人との相性自体も許容範囲が狭めだと思う。その分、尊敬できる人に出会うと精神的に依存する傾向がある。逆に外見には結構無頓着です。


行き先のない会話が苦手

共感を求めるだけの会話とか無理。雑談は見知らぬ人とならできるけど(突然会話が途切れたり噛み合わなくてもその人とは二度と会わないだろうから)長期的に付き合っていく必要のある人とは無理。何を話していいのか分からなくて話題を脳内検索してる間に受け答えが疎かになる。
相応しい言葉を模索しながら発語する(マルチタスク!)のが苦手なので、概念的で複雑な話題を言語化するのも下手くそです。例の神様のような友人は、「言葉がまとまらない」と言うと「じゃあまとまったらでいいから聞かせて」と待ってくれた初めての人で衝撃を受けた。
因みに通訳は人が選択した言葉を置き換えるだけだから楽。


気が短い

必要なことは比較的待てるけど、自分にとって待つ必要のないものは待てない。エスカレーター乗るのに行列作るとか意味分かんねーなと思ってしまう。


過集中

些細なことで気が散りやすいし、後回し癖のせいで取り掛かるのに時間もかかるけど、いったん過集中に入ると中断のタイミングが分からなくてずっと続けてしまう。それ以外のことがどうでもよくなるので、水を飲むのも忘れるし、食事や入浴もめんどくさくなる。体がかなりしんどくなったあたりで我に返る。睡眠時以外絵を描き続けて3日間食事しなかったことがある。


興味の幅が狭く極端

人より多趣味な自覚はある(そしていろんなことに手を出してやり遂げられないことも多い)。ただしその興味がニッチもしくはかなり範囲が狭い。そしてそれ以外のことには申し訳ないほど興味が持てない。興味のない話題、役に立たないと判断した話題について人が話してるのを聞かないといけない時(ディベート中とか恋バナとかですね)には、自分でも分かるほど心も表情もお留守になっている(聞かないといけないという意識は一応ある)。
恋愛やグルメなどには全くと言っていいほど興味を持ったことがないです。


何でも知らないと気がすまない

何かを始めるとき、何かに興味を持った時、とりあえず欲しい情報を可能な限り集めないと気がすまない。そして知識欲を満たした後はそれで満足して結局手もつけずに終わるか、もしくは完全に独学で習得する。
人に教わるのはすごく苦手。知識欲のスピードにその周辺の些事(スケジュール調整など)が追いつかないから。人と一緒でないとできない趣味はそもそもやらない。


頑固

小さい頃から言われてきたし、対人的にはできるだけ自分のこだわりを殺そうとしている今でも時々指摘される。相手に合わそうとしていても、無意識の表情や態度、言葉などで、根のこだわりの強さが目につくんだと思う。でも正直自分では、これ以上何をどうしたら頑固と思われる不快さをひとに与えずにすむのか分からない。
失敗しないようにとあらゆることを絶えず頭の中で段取るくせがあるせいか、実際に行動する段階で不測の事態が起きるとあっという間にHPが枯渇して動けなくなる。そうなると予備動力は全部それをなんとかするか、無理なら諦めることに使うしかなくなり、余裕がなくなって対人能力が死ぬ。それが「頑固で自分の思うとおりにいかないと不機嫌になる」「うまくいかないと途端に投げやりになる」といった印象を与えるのも申し訳ないとは思う。でもできればHPのやり繰りがもうちょっと器用でありたかったなとも思う。


こだわりが強い

ひとつの銘柄にこだわる(決まった製品しか食べない、使わないなど)、変化が苦手(歩くのはいつも決まった道とか)、というようなよく言われる分かりやすいこだわりではないものの、必要とする物事の条件はかなり細かいし、快不快がはっきりしているとは思う。なので例えば買い物は時間がかかる。散々比較して気に入るものがないなら、そして困るのが自分だけなら、どんなに必要でも買うこと自体諦めることも多い。そしてないなら作ろう、気に入らないものは改造しようと思いがち。おかげで結構あらゆるものを作ってきたので手先は器用になった。
その代わりこだわりのないものには自分でもどうかと思うほどこだわりがなく、いい加減なほど妥協するし臨機応変。不快や危険を被るおそれがないと判断した変化には好奇心も強い。


運動神経はほぼ皆無

経験のおかげで手先の器用さは人並み以上だと思うけど、身体全体の使い方はヘッタクソ。自転車は大人になるまで乗れなかった。多分運動神経が回路を作るまでに必要な試行回数が普通の人より多い。


片づけが病的にできない

置ける場所に脈絡なくものを置きまくって、なおかつ使ったらしまうということができない。なので部屋の床にはいつもものが散乱している。幸い記憶力は良く、置いた場所は一応覚えてるから見つからなくて探しまくるということはあまりない。でも何かに気を取られて無意識にどこかに置いてしまうと、散乱したものの山の中からボールペンを15分探すハメになる。


フラッシュバック

単純作業中や夜中(具体的な思考活動が伴わず頭が多動な時?)に突然、過去の嫌な記憶を鮮明に思い出してアアアアアアアってなる。しかも思い出したが最後、頻繁にリピートがかかる。脈絡はないし引き金もよく分からないからコントロールできない。周りから見たら突然機嫌が変わってる意味が分からないと思う。
人格を根こそぎ否定されるような凝縮された悪夢も見がち。泣きながら起きた瞬間安堵するとともに、しばらくリピートがかかるので数日落ち込む。
そもそもの原因である嫌なことを長期記憶に定着させないためには、直後に何か別のことに没頭するといいと聞いて実践中。効果あるといいな。


メルトダウン

自分の場合、自傷したり泣き喚いたりというよく言われる分かりやすいかたちではないと思う。だいたい頭が真っ白になって視野(実際の視覚的な視野も思考も)が狭まり、自分の世界の中にすうっと落ち込んでいく(まさに自閉)感じになる。そうなると外の世界の現実感が薄くなり、あとはもう落ち着くまでどこか静かで暗いところに逃げ込んで、ひとりで静かに泣くしかなくなる。自傷はしないので身体的には痛みはないはずなんだけど、メルトダウン中はとにかく漠然と「痛い」という感覚が強い(読んだ本にこの感覚を 'it hurts' と書いてるものがあって、この 'it' の漠然とした、でも対象のある感じに英語って便利だなと思った)。
引き金は人の悪意にさらされたり、物事が一度に起こってパニックに陥ったり、何か失敗した時に多い。



以上?です

他にもあると思うけど、今のところ思いつくのがこんなところなのでこれで。思いついたら書き足します。
上記note作者さんが自分の思いをきれいに代弁するような締めを書いてくださっているので、引用して終わりにします。

これらは発達障害当事者には「あるある」なんですけど、知らなかった人には意外と驚く内容ではないかな?
もちろん「だから許して」とか「あなたを傷つけても仕方ないことだから」などと言いたいわけではないことは強く付記します。
やったことは自分で背負う。だけど、こういうことで苦しんで、自己肯定感を全て削られ、叶うなら消えたいと願う人間も、います。

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