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個性のない、ただ優しいだけの人間は損をする

自分で言うのもなんだが、私は優しい人間だ。人の気持ちを察することができるし、それに応じて気を使うこともできる。だから気を使えない人間が理解できなかった。他人を見て「なぜそんな心無いことを言うの?」と疑問に思ったり「人の気持ちもわからない奴め」と軽蔑したりしてきた。そんな人間を20年ほどやっているわけだが、もう私は疲れてしまった。このままでは私は他人と同じ時間を過ごすだけで消耗してしまい、本当の人生を生きることができない。どうすればこんなことで悩まずに済むのか、考えてみた。

結論、もっと利己的に生きること

昔から人様に迷惑をかけないようにと教えられてきた。その教えのおかげで私は迷惑というのは何かということと、して良いこと悪いことの分別ができるようになった。この点では、両親の教えは一つの財産になったと言えるだろう。しかし別の側面から見ると、自分の行動を波風立たぬようセーブしてしまうという欠点がある。

私の周りの優しい人間は大抵、損な役回りに徹していることが多い。人の相談に長々と付き合ったり、空気を読んでいつまでも飲みの場に留まったりしている。この行動はまさしく、波風立てないムーブである。まずこのムーブをやめよう。時にはその場から帰ったほうがいいし、その場をぶち壊して主張した方がいい。何も主張しないまま、ただ流れに身を任せているうちにあなた(私)は歳をとって死ぬ。

優しい人へ

もっと利己的に生きろ!と言いたい。これを聞いてもしあなたが「自分が傍若無人な人間になってしまうのではないか」と心配したなら、あなたは本当に優しい人間だ。考えてみてほしい。あなたがこれまで出会った人間は、自分のように優しい人たちでしたか。世の中の人間は、あなたのような優しい人たちばかりでしたか。そんなことはない。社会では主張の強い人間がブイブイ言わせていたりするし、そんな人間に限って成功したりする。優しいことは正解ではないのだ。そしてあなたが多少自己中に振る舞ったところで、そんなもの本物のジコチューには到底敵わない。

人様に迷惑をかけないように2.0

両親の人様に迷惑をかけないようにという教えを振り返ってみる。私はこの教えに縛られていたような気がする。今は個人が尊重される時代だ。私はいずれ子供ができたら、この教えを子供に説きたいと思う。それに加え、主張する練習をさせようと思う。優しいだけの人間になっては、喰われて終わりだからだ。今は個人が輝く時代だ。時には傲慢に雄弁に物を言う必要がある。きっと人様に迷惑をかけないだけの人間は、生きていけなくなるだろう。

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