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本物が求められる時代がやってくる

音楽も食品も家具や雑貨も、合成品やなんちゃら風みたいなのが氾濫していて、安価で手に入りやすいことはいいのかもしれませんが、それが当たり前になってしまい、ニセモノ文化が蔓延るのはどうかなって思っています。

音楽でいうと、サンプリング音源でほとんどの音が手に入ることは便利と言えば便利だけど、バイオリン風な音源や、ドラムそっくりな音源で作られた音楽は、ある意味血が通っていない気がします。
作ってる本人も本当の楽器の音を聴いたことがないってこと多いし。

まぁでもこれも過渡期なので、これから枝分かれしていくことになると思いますが、これから本物志向の人たちも増えてくるでしょう。
レコーディングする時にも、可能な限り本物の楽器を使用するとか、歌のピッチ修正をしないとか、ギターやベースもアンプを通すとかね。

ラインで直接ハードディスクに取り込むよりも、楽器やアンプをマイクで拾うことこだわるのは、決してマニアックなことではないと思っています。間に空気を挟むこと、その空気感を記録するのはとても重要なことなんです。

そもそもその楽器からどんな音が出ているのか、アンプがどんな音で鳴っているのかを耳で確認する作業は、耳で聴いているだけでなく細胞レベルでキャッチしてるんですよ。そこを知らない、もしくは省略するのは音楽に携わるものとしてどうなのかと思いますね。
それは料理人でいうと、いつも化学調味料を使用してるので、出汁を取った経験がないってことと同じです。

スタジオレコーディングで、弦楽器が30名ほどのレコーディングを、ブース側にいて生で聴いた時の感動は忘れないし、ライブハウスで働いていた頃、リハーサルで宮本文昭さんのオーボエを間近で聴いたときや、インドネシアのガムランという楽器を生で聴いたときに、その音が魂に刻み込まれた感じがしました。

それはなぜかというと、本物だからです。
なかなか本物に触れる機会が少ないのは仕方のないことですが、自ら進んで本物に触れる機会を作ることは大事です。

今は全ての分野で本物とニセモノが混ざり、その価値の違いがわかりづらくなっていますが、濁った水も時間が経つと分離されるように、次第に本物とニセモノが分離していくでしょう。

誤解のないように言っておきますが、ニセモノが悪だと言っているわけではありません。単純に言葉通り「似せて作ってある物」ってことですからね。
本物を知った上でなんちゃら風をあえて使うのはいいんですよ。
本物を知っているのと知らないのとでは、感覚的に大きな差があるってことを言いたいだけです。

特に五感といわれる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、本物に触れる体験をしたほうが感覚が冴えます。
その時に感じたことを言葉にできなくても、感覚は残るので、また本物に触れる機会があった時にその記憶が蘇るのです。

何度も言っていますが、一番大切なのは自分の感覚。
自分がどう感じてどうしたいのかを明確にするとうことは、自分軸を確立することでもあります。
やはり本物に触れる機会を増やしていきたいものですね。





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