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夢へと"立ち向かう"恐怖

アカデミー賞作品賞を受賞した「Coda コーダ あいのうた」を今更ながら見てきた。
この映画に、ルビーに出会えてよかった。

家族の中で唯一耳が聞こえる少女、ルビー。
聾者の家族を支えながら青春時代を過ごす彼女は、歌うことを生きがいに過ごしていた。
その歌の才能を音楽教師であるV先生に見出され、音大進学を勧められるが、彼女の手話通訳無しで家族は生計を立てることが出来ない。

歌を歌うという"夢"をとるか、共に過ごしてきた"家族"をとるかー。

この二つを天秤にかけたとき、初めルビーは夢を諦め、家族を支えるという道を選ぶ。
もちろん自分が家族を助けなければならない、という気持ちからの決断もあるだろう。
しかし、本当は"夢が叶うことへの恐怖"に怯えていた。

夢を叶えるということは、今までの自分を手放すことである。
家族を支える人生は今までの生活の延長線上であり、この選択をすること、変化のない選択を選ぶことは容易である。

それでも、彼女の才能を信じた家族、先生、友達に支えられ、彼女は夢に"立ち向かっていく。"

見所は色々あれど個人的に胸を打たれたのは、ルビーとV先生との関係性だ。
家庭の事情で音楽レッスンにたびたび遅刻するルビーに対し、「自分の時間を奪うな」とV先生は厳しい言葉をかける。
ヤングケアラーである彼女の"家庭の事情"は十分に分かっているはずなのに、だ。

一見非情な言動にも見えるが、彼にはルビーが家族を支えることを理由に、夢から逃げていることがお見通しだったのである。
また、今後プロとして生きていくためには如何なる理由であれ、練習を怠ることは許されない。
ルビーに対しヤングケアラーである"可哀想な生徒"として向き合うのではなく、ただの"一人の生徒"として向き合っている。
まっすぐその人自身を、その人の目を見て向き合うこと、そこにV先生の本当の優しさを感じて胸を打たれた。

あんなに思い描いていた夢が、もう、手の届くところにある。
実は、私自身もそんな状況にある。
それは、海外で暮らすという夢が叶うことだ。

ルビーと同じく(年は10歳も違うが)、家族と離れて暮らしたことはなく、「家族無しで何かをした事がない」と夢に向かって弱気になるルビーに(恥ずかしながら)激しく共感してしまった。

現地での生活を考えるたび、不安だ。
鼓動が早くなり、冷や汗が出て、手足が冷たく痺れていくのを感じる。
あんなに何年も描いていた夢が叶いそうなのに、なんで身体は、心は、思っているように動かないんだろう。

そうもがいていた私にとって、夢に向かって挑戦していくルビーの姿に勇気をもらった。
夢を叶えるということは、幸福なことだけではない、恐怖でもあるんだ。
夢は"叶う"という受動的な行為ではなく、"立ち向かう"という闘争心を持ったあくまで、能動的な行為なんだ、と。

恐怖という感情を抑えることはできない。でも、立ち向かうことは最後まで続けたい。
だって、ルビーのように違う景色を見てみたいから。

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