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ドクター・高松と、ばあちゃんのかぼちゃと、皆勤賞と

高校を卒業するまでの私の自慢は、一度も学校を休まなかったこと。風邪をひかない強い身体が自慢だった。

だから、上京して2ヶ月経ったある日、頭皮がヒリヒリと痛み出した時も、太陽を浴びすぎたんだろうと気楽に構えていた。

そのヒリヒリが激痛に変わり、病院が大嫌いな私がようやく病院に赴くと、先生は「帯状疱疹ですね。昔は入院しないといけない病気だったんですよ。我慢せずに来てくれてよかったです」と優しく説明してくれた。

一人暮らしをしていたマンションの隣駅にある「ドクター高松」というような名前の病院だったから「中松先生」と心の中で呼んでいた。これが、私が人生で初めて一人で行った病院。

実家に連絡するのをためらった。「早く東京で暮らしたい」なんて言っていたのに、2ヶ月でギブアップしたみたいだ。そんなヤワな身体じゃなかったはずなのに、東京に負けたみたいで、悔しい。

でも数日後、痛さが我慢できずにようやく実家に連絡すると、ばあちゃんがやって来た。まだ、北陸新幹線ができる前のことだった。

2ヶ月ぶりに、孫に戻った私。ばあちゃんが作ってくれたかぼちゃの煮物の味が、いまだに忘れられない。

ばあちゃんは、一度もマンションに住んだことがないから、「マンションに住むのが夢だったの」なんて言いながらイキイキしていた。
商店街の人と私より先に仲良くなり、美味しいランチのお店を開拓したり、金物屋さんでお鍋を買ってきたり、テレビがないからつまらないとラジオを購入したりした。数日で、室内の富山感が増した。

久しぶりにばあちゃんのご飯を食べたら、元気になってきた。それでもちょっと甘えて、頭皮だけじゃなくて身体中に出てきた「痛いポツポツ」に薬を塗ってもらった。ばあちゃんがあの部屋にいたのは、ほんの数日だったけれど、そのほんの数日の二人暮らしが、ずっと長く感じられた。

***

ついこの間のことのように思い出せるのに、10年近く前のことなのだ。大学1年生の私は、ヤワで、意地っ張りで、甘ったれで、今思えば何も知らなかった。自立した気でいたけれど、全然自分の足で立ってなんかいなかった。

東京生活に慣れてくると、なんて自分勝手だろう、遠く離れた家族に対して、辛く当たることが増えた。送られてくるラインを鬱陶しいと思ったことも何度もあった。門限なんてないから、夜遊びもした。

でも、深夜の帰り道、ふとあのばあちゃんのかぼちゃを思い出しては、ホロリとすることもあったのだ。

東京生活で知ったことがたくさんある。
1日も休まないことが正義だと思っていたけれど、何も疑わずに続けることの怖さに気づいた。
「暮らす」ということ自体が、大変なことにも気づいた。
そして、ばあちゃんのかぼちゃが一番美味しいことにも、一人は楽だけどちょっぴり寂しいことにも。

ありがとう。私の初めての一人暮らしと、数日間の二人暮らし。

すてっぴぃ@未だにばあちゃんは、マンションに住みたいと言う

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