真夏の少年~19452020 感想まとめ(順次更新?→頓挫)
(これ自体の是非は置いといて)戦時中の人を演じさせて戦争を語らせること、それを少年たちが受け継ぐこと。これはまさに晩年のジャニー喜多川が舞台で度々表現してきた内容であり、そのテーマを、彼が最後に育てたJr.ユニット「美 少年」の6人が主演として演じることには一種の運命を感じずにいられない。
…ということで、第1話から毎回放送後に1ツイート程度の文字数で区切って書いていきます。内容が重複しまくりそうですが、気が続く限り。
第1話(7月31日)
作中で交わされる元号に関する会話、作中人物の目にする玉音放送で天皇の存在を匂わせ2020と1945を裏側から繋ぐ。教科書を登場させ、戦争を架空の物語として見る姿勢(視聴者が本作を見る姿)を示す。ごくせん・野ブタ・IWGP・木更津キャッツアイの流れも汲み、容易に「ゆとり以後」批判に傾かない。「自由は与えられるものではない…」とやや言語化が過ぎるのも視聴者層を考えれば妥当。
言葉を巧みに使う為政者。そして身に覚えのない罪をなすり付けられても、香港デモのニュースを見ても、一切怒りが沸かない少年。これらに共通するのは、空虚であるということ。本作はまた、そこに現れて「怒りを覚えること」を教える軍人の姿も描く。2020の抱える空虚さこそが1945と隣接しているのである。
同時に配信されている裏側密着ドキュメントもまた、この物語の重層性を際立たせる。テニミュについて言及する際度々指摘されるように、これはアイドルとして少年役を生きる少年たちの成長物語でもある。