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スマホ以前に…

その場のノリや一時の気まぐれで〝やらかし〟て、一生モノの後悔をするのは、古今東西変わらぬ人間のサガといえる。また「悪事千里を走る」とはいにしえからの警句だが、今時は千里どころか、自分の呟いた軽口が地球の裏側にまで瞬時に届いてしまうから恐ろしい。〝タイムラグ〟などあってないような昨今。十四万八千光年隔てた宇宙とのメッセージ交換もそうそう遠いものではなくなるのだろう(この表現、わかる人にだけ響け)。
このnoteに綴る雑感にしても、送信するまで「この内容で大丈夫だろうか…この文体で誰かを傷つけないだろうか」などと迷いに迷い、いい加減その末に公開ボタンをクリックする。何にせよ、慎重であるに越したことはない。

さて、デジタルネイティヴが社会に出始めて久しいが、生活環境とネットの関係があまりに肌身に近すぎるためか、不十分なネットリテラシーや「オンライン/オフライン」のけじめの緩さからトラブルを起こす事例が後を絶たない。Z世代(このようなレッテル貼りは好きではないのだが)と呼ばれる子供たちにもその問題は及びつつある。

もちろん、子供たちだけにその責めを負わせるのは酷な話で、親の世代(さらにその前ぐらい)からすでに道徳観や倫理観が壊れかけているそのツケを、彼らが払わされているともいえる。
実際、上記の記事で挙げられているいくつかの事例を見ると、これらの問題の根本的な原因の陰にそうした大人たちの〝緩さ〟が垣間見えないだろうか。

例えば事例①、思春期の子供たちの抱える問題としては今も昔も変わらないとしても…

そのため彼氏に頼まれたり、友達とふざけたりして、今の中学生はセクシーな写真をLINEで送り合うことがあるという。内輪でとどめておく限りでは、何も問題ない。しかし関係がこじれた時に、悲劇が起きる。

@niftyニュース

しかしも案山子カカシもそれよりも、「内輪でとどめておく限りでは、何も問題ない」と言う(大人側から見た)ユルい倫理観にビックリした。私が古いのだろうか。そうだとしても、自分の子供に置き換えてみて本当にそれでよいのか、と問い質したくもなる。

また事例②、学校の必要な連絡を生徒個人のLINEに頼るとは何事かと思う。

先生としても、それはありがたいらしい。プリントに書き忘れてしまったり、終礼で言い忘れてしまった時、帰りに生徒を一人捕まえて「ごめん!グループLINEで『明日、縄跳びが必要』って送っておいてもらえる?」と言えば済むからだ。

@niftyニュース

これは先生側の怠慢ではないのか。もしくは先生含むクラス全体の連絡網で、なぜグループを組んでいないのだろう。LINEの使い方が本質的に間違っていないだろうか?
そもそもの話、スマホを持っていない(持つ事ができない)子がいるであろう事の配慮が全然なされていないのは、全くもってよろしくないと思う。

事例③に至っては、あえて引用はしないが「問答無用でスマホを取り上げるべき」としか言葉はない。

とにかく、これら事例を見る限りだが、オトナがダメすぎるのだ、オトナが…とつい忸怩たる呟きが漏れる。我が世代よ、もっともっと、しっかりしておくれ(他人事としてではなく、自分への強い戒めをも含む)。

鬱陶しかったかもしれないが、〝過去に学ぶ〟古風な教育というのも必要なのかも知れないな…などとも思ったりする。「修身」を時代遅れの道徳・倫理観と非難する人々も少なくないが、人間が生きていく上での〝筋の通し方〟や〝人とのよりよい関わり方〟など、学ぶべき美点はまだまだたくさん見出せるのではないだろうか。

あるいは、警察とかで免許更新事に見せられる「飲酒運転で一家離散」な寸劇ビデオのように、「SNSでふざけて人生詰んだ」といったトラウマドラマを、学校の授業で嫌という程見せなければならない時代になったのかも知れないね、などと思わなくもない、が…

いや、本音ではあまり見せたくないな…
あの種のトラウマを植えつける映像モノは、見ていてかなり心を病むから。
自分でも、そういうのは見たくないしね…

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