今日もカフェでコーヒーを飲みながら⑫ 11.『いじめ』から逃げたはずが…

私は、初めて、『いじめ』から身を守る為に、『逃げる』という選択をして、M町へ戻り、M中学校へ転校しました。

しかし…、
私は既に、M町で、『他所者』(よそもの)として見られていました…。

保育園時代から知っているはずの同級生の女子達は、
「チャアちゃんってか〜、何年か札幌に住んでるうちに、何か、変わっちゃったよね〜」
「そうそうっ…! 何かさ、気取って喋ってるよねっ!」
「お嬢様かってのっ…!」
「ホント、ムカつくよね〜」
「ああやって、ぶりっ子してたら、男子にモテるとでも思ってんじゃないの〜?」
と、陰口を言ったり、私の喋り方をマネして『嫌がらせ』したりしました。

また、転校してからすぐに、国語の授業で作文を書く事になったのですが…、
私と、もう1人の転校生は、予め決められた題材ではなく、各々、自分で題材を決めて書くよう言われた為、私は、K小学校時代に受けた『いじめ』について、原稿用紙3枚程度にまとめて書きました。
その作文が、M町で定期的に発行されている『やまびこ』という文集に掲載される事になったのですが…、
一部の同級生から、
「いじめって、あんたがいじめてたんじゃないの〜?」
「あんな、ウケ狙いで書けば、珍しがられて目立って載るよね〜」
などと、心無い陰口を言われた事も、多々ありました。

私は、喋り方も仕草も、決して気取っていたワケではありませんでした。
札幌に住んでいる間、『舌っ足らず』だった喋り方を改善する為に、他の子達より少しゆっくり話すよう心掛けていただけなのです。
仕草も、外食好きだった義父のY内さんに、週に数回程、外食しに連れて行ってもらったり、休日に出掛ける機会が多かった為、無意識に、自分と同じ年齢ぐらいの子やその家族を見かけると、話し方や仕草、服装、顔つきなどを観察してしまい、自分が真似出来そうなところを参考に取り入れるようになり、それが普通になってしまっていたのです。

『いじめ』を題材にした作文も、私が、札幌にいた頃の辛い経験を、皆に知ってもらいたかっただけなのです。

けれど…、
これらの事が、同級生達から反感を買う事になり…、
更に…、
クラスの男子の中で、一番のリーダー的存在だったS内君やK上君、Y和君、T田君といった、一部の男子達にまで目を付けられる事になってしまいました…。

ただ…、
同級生全員からの『いじめ』ではなかった事と、幼なじみのI藤さんやS田さんが私を助けに来てくれたので、それまでの『いじめ』に比べれば、自分の味方がいる分、まだマシな方でした。

が…、
いつもI藤さんやS田さんに助けられてばかりいた私を見て、他の女子達からは、
「チャアちゃんってさ〜、何でもI藤さんやS田さんに助けてもらってて、1人じゃ何も出来ないんじゃないの〜?」
「ホント、弱虫だよね〜」
といった陰口を言われていました。

考えてみると、M町に戻ってから、助けてもらってばかりいて、私は、自分自身で解決する事を怠っていたのかもしれません。
そんな私の姿を見て、他の同級生達は、苛立っていたのかもしれません…。
私自身も、I藤さんとS田さんの助けをあてにしてしまい、2人に甘えていたところがあったかもしれません…。

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