今日もカフェでコーヒーを飲みながら⑤ 4.殴られ、蹴られ、罵られ、心身共に、苦痛の毎日…

N良君だけではなく、T中君やO野君、更に、N山君など、K小学校の『少年野球クラブ』に所属していた男子達をはじめ、他の同級生達や、他のクラスの男子達までが、あからさまに私をいじめるようになりました…。

授業中、私の後ろや隣りの席にいる子達は、鉛筆やシャープペン、コンパスなど、先端の尖った物を使い、私の背中や腕、脚などを思い切り突き刺してきたり、三編みに結っていた私の髪を、痛くて悲鳴を上げるほど強く引っ張ったり、体じゅうを蹴ったり、顔を叩いたりしてきました。
また、音楽の授業で使うリコーダーを隠され、練習が出来なくなったり、スカートやワンピースを着て登校すると、スカートをめくられたり、ノートや教科書にグチャグチャの落書きをされる事もありました。
体育の授業で、フォークダンスの練習があった時は、
「触るなっ!」
「お前が触ったら、手が溶けて腐るだろっ! 気色悪いっ!」
「バイ菌女っ!」
と、男子達は私を『バイ菌扱い』して罵り、私と手を組むのを拒否しました。仮に、手を組んでも、体育が終わった後、すぐに手を洗いに洗面所へ走って行きました。
ドッジボールなどの球技のある時は、真っ先に顔を狙われ、
「お前なんか、世界一醜い女だから、ボールぶつけて、もっと変な顔にしてやるっ!」
「ブサイクッ!」
「ドブスッ!」
と罵られ、いつもボールをぶつけられていました。私は、顔や体をぶつけられまいと、ドッジボールで内野になった時は、『恐怖心』もあって、ボールを避け、逃げるようになりました…。

私の体じゅうには、日毎、青アザや傷跡が増えていきました…。

『いじめ』は、殴る蹴るといった、体への暴力だけに留まらず、言葉による暴力もありました…。

授業参観日に、私の母が学校に来ると、他の父兄達や同級生達は、一斉に私の母を見ました。
そして、
「あれって、Y内の母ちゃんだろっ?」
「すっげー美人っ…!」
と、『羨望の眼差し』を向ける子達もいれば、その一方で、
「何で、あんな美人なお母さんから、あんたみたいなドブスが生まれたの?」
「ホントは、お前、捨て子だったんじゃないのか?」
「Y内みたいな醜い子供がいて、あのお母さん、カワイソーだよな〜…」
「お前なんか、生まれてこなきゃよかったのに…」
と、母と私を比較し、罵る子達もいました。

更に…、
当時、母は、仕事を掛け持ちしていて、夜はススキノでホステスをしていたのですが、その事を、同級生の父兄達から自分の子供に話してしまったらしく、
「あのY内っていう子の母親は、男から金を巻き上げている」
「男に媚を売るような、卑しい女の子供と遊んじゃいけない」
などと、尾ヒレのついた噂が拡がってしまいました。
また、私が小学4年生になってから、学校に近いところに引っ越し、その時期に、M町の祖父母が、隣りの家を借りて、母と義父が仕事で留守にしている間、私と姉の面倒を見てくれていたのですが…、
祖父が、木彫り熊を彫って、札幌市内の銀行や大手企業の役員である常連客の所へ配達しに行くところを見ていた同級生が、
「お前んトコの爺ちゃん、あちこちの銀行や会社に行って、物乞いしてるんだろっ!」
「ビンボー人っ!」
と、根も葉もない事を言って、私だけではなく、母や祖父の事まで馬鹿にされてしまいました…。


言葉による暴力も、日に日にエスカレートしていき、
「世界一醜い女っ!」
「バイ菌女っ!」
「気色悪いっ!」
「お前が笑ったら吐きそうっ!」
「気色悪いから笑うなっ!」
と、毎日、何かしらの悪口を言われ続けていました…。
その事によって、次第に、私の心の中に、深くえぐるように突き刺さっていき、私の顔は、小学校を卒業するまでの間、無表情になり、学校で笑う事が出来なくなってしまいました…。

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