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効率重視vs ムダを愛すること

今日は効率重視について、ちょっと思ったことをお話ししたいと思います。

世の中の皆さんの中には、効率良くを求めて常に動いていて、無駄を嫌う方がいます。
それはビジネス上は、大事なことではあります。例えば相手の時間を奪いすぎない様に電話ではなく、メールで済ませるとか、直接会う前に電話やメールで済ませられないか考えるとかは私もしますし、仕事に関してはそれでいいと思います。仕事を早く終わらせてプライベートの余暇を過ごすって最高です。

ですが、プライベートな時間においてまで、効率重視をし過ぎてしまい、無駄が無くなると、何のために生きているのか、何のために時間を節約しているのか?人生の楽しみが無くなってしまうと思うんです。

映画やドラマを観るのに1.5倍速で観るとか、本を読まずに動画で要約されたものを聞いて、さも読んだかの様に思っている人とか。自己啓発本や情報ものはそれで十分な場合もありますが、物語や映像作品というのはカメラワークとか間とか、細部の描写が大事ですし、本も著者のワードセンスや話の展開の仕方を読んで行き、自分の感性で感じることが大事だと思うんです。

音楽でも10年ぐらい前からイントロが長いのはもう流行らないと言われてきていて、イントロが短くなり、最近ではサビだけ聴いて好きかどうか判断するみたいな人もいるって聞いて驚きました。

何より、私自身がyoutubeで配信をしているとアナリティクスが詳しく観れるんですけど、最後まで聞いている人の少なさよ!って感じです。朗読なんて最後まで聞かなければ聞く意味がないし、歌だって最後まで聞かれないのなら、フルで歌う必要なくて、サビだけ歌えばいいのかーってなっちゃいますよね。その最たるアプリがTikTokやインスタのリールだと思います。

この目まぐるしい世界。みなさん、どう思われますか?

先日、脳科学の中野信子さんがおっしゃっていたんですが、昔、快速電車が走り始めたばかりの頃、快速よりも各駅停車を好んだ人がこんなことを言ったそうです。電車に乗る時は、目的地に行くことが目的ではなく、電車に乗っている時間を楽しむことが目的。だから、電車に乗っている時間が短くなる快速の方が切符代が高いのはおかしくないか?というもの。パラドキシカルで面白い考え方ですよね。

現代は早く目的地に行けることを好む人が多い傾向にあります。それは社会全体がせっかちだから。私も待ち合わせなどをしていたらそうなります。旅先で路面電車に揺られたり、ゆっくり鈍行から眺める景色を楽しむことはよくしています。

テレビを見ながらご飯を食べる。とか、ながらですることってどちらかは疎かになる事も多いです。いや!それでも自分はテレビや音楽をBGMに完全にできる、食べることに集中してるって人は存在するかもしれませんが、大半の人が惰性だったり、音や媒体に対する依存で二つのことを同時にしているんじゃないかな〜

味わって食べるとか、その場にいる人との会話を楽しむとかを疎かにしている可能性ありませんか?

どんな事もどちらかに振り切る!という話ではなく、この部分では効率を重視して、この部分では無駄を愛する。というバランスが大事なんですね。

音楽を奏でるという事は、目先のことを考えると必要不可欠ではないかもしれません。
ですが、長い目で見た時に、戦争とか人の心が荒れていくのを抑止する力があります。また、生きていく事はゴールに辿り着くことが目的では無いと私は考えます。そのゴールに辿り着く過程を楽しむことが目的なので、芸術に触れたり、ぼーっとしたり、動物を愛でたり、人との逢瀬を楽しみます。私は人生においては各駅停車に乗っていたいです。

今日もお聞きくださりありがとうございました。私なりに早送り再生せずに聴きたいと思ってもらえる様にどちらのコンテンツも心がけていきたいと思います。

NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。