こうして大人になっていく

先日のこと。大学からの友達と4人で会う機会があった。
そのうち1人は遠方に住んでいるから、会うのはかなり久々だったんだ。

会えたことが嬉しかったし、久々に話せてすごく楽しかった。やっぱり学生時代から付き合ってきた友達は特別だなあって思う。

だけどみんなそれぞれ環境や状況が変わって、当たり前だけど話題にはズレがあって。お互いに知らない世界があって、うなずき合うことしかできない場面も多々あったりして。
それは仕方ないんだ。わかってる。

そして最後には手土産交換。「ちょっとしたものだけど~…」って渡し合う。
私はこのとき用意していなかったんだ。
…だって、いつものメンバーじゃん。ふらっと、「久しぶり~!!」ってお茶するつもりだったんだもん。


最近は誰と会うのも「久しぶり」になってしまう。パートナーや近所のよっぽど仲がいい友達でない限り、どうしてもそうなるよね。
そうするとさ、会うときには手土産を用意するのが暗黙のマナーみたいになっている気がしていて。

手土産は気持ちの表現だと思う。会えたこと、時間を割いてくれたことに対する感謝や喜びを表す、ひとつの方法だと思うのね。だから大前提として、とてもいいものだと思うんだよ。自分も初めての人や改まった場には持っていくことが多い。

だけど、いつものメンバーの集まりで、しかもごはんでもなく短時間のお茶で(その遠方の友達には子どもがいるため、短時間しか子どもを預けられなかった)。

そっか、「大人」としてのマナーなのかな。どれだけ付き合いの深い友達でも、それって当たり前なのかな。

わちゃわちゃ話していたのが、もう遠い昔みたいだ。気軽に「集まろー!」って、そのままカラオケオールなんかしちゃってたのが懐かしい。


みんなちゃんと、自然に大人になっていくんだな。

私はなんでもひとよりワンテンポ遅くて、要領悪いなあって自覚しながら、でもそんな自分も最近はやっと受け入れられるようになってきたつもりだったんだけど、
人生というのは止まらないわけです。しかも今、一番いろいろな変動が多い年代。

ちょっと寂しい気はするけど、受け止めていかないとなあ。

このぽっかりした気持ちをどこに持っていけばいいのかわからず、でも残しておこうとここへ。

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