見出し画像

今は曖昧がキブンなの

最近、自分のなかで少し変わったなあと思うことがある。
それは、曖昧を許すこと。


しばらく長いトンネルの時期があった。もちろんその期間に得られたものもあるの。
だけど今、そのころの自分を少し客観的にみることができるようになって思う。
とても肩に力が入っていたなと。

「何か自分の信念をもたないと」
「本当にそれは自分の心が惹かれているものなの?」

う~ん、なんだろう、白黒はっきりつけないと気が済まなかった。
毎回自分の心と全力で向き合って、黒が出てしまえば「あ、違うのか」と捨ててしまう。物、行動、人との関係性…いろいろなことにおいて。

部屋が荒れていると心も荒れるタイプだから、物に関しては白黒つけてバサバサ断捨離できるタチなのはむしろいいことかも。
(まあいいことなんだけど、こういうとこ、可愛げないんだよねえ…笑)

問題は行動や人との関係性。
自分が心惹かれないものは基本的にシャットアウト、ってなりがちだったなあと思うんだ。

行動っていうと漠然としているけれど、例えば仕事。
あのころの自分は、「仕事はある程度好きな分野でないとできない、全力で取り組める内容でないといやだ」って思っていた。

これまでNICUで働いてきたことに対する誇りは今でももっているし、やっぱり子どもが好きだという気持ちは変わらない。
だけど今の職場に転職してから、とても心穏やかに働くことができている。
仕事内容に対して、全力で好きだとはいえないのに。

こんな言い方をすると失礼になってしまうけど、これが正直な気持ちなんだよね。

20代のほとんどを「好き」な仕事と全力で向き合ってきた。
その経験は本当に宝物で、きっとこの先の人生においてもずっと心に残る。

でも今、自分にとって一番大切なのは、仕事内容じゃなくて「心穏やかに仕事ができること」。
職場に行くのが嫌じゃなくて、仕事とプライべートにしっかりとメリハリをつけることができて、休みの日は自分のしたいことをできる心の余裕がある。

全力で向き合ってしまえば、
「それって本当に自分がしたい仕事なの?」
「この先どうするつもりなの?」
「あれ、子どもの医療に関する仕事がしたいんじゃなかったっけ?」
そんな疑問がいくつでも湧いてくる。

でもね、今はそれに軽く蓋をしようと思う。
捨てるんじゃなくて、蓋。
吹きこぼれないように、蒸気が逃げられる程度の加減で。

曖昧に働いたっていいじゃん。
全力で胸を張れる仕事じゃなくてもいいじゃん。

だってこんなにも日々充実しているのだから。


それから人との関係性。
今自分が直面していることで単刀直入にいうと、彼のこと。

これまでは自分が本当に「好き!」ってならないと付き合うことができなかった。
というより、本当に好きになった人でないと付き合う意味がないと思っていたし、自分の好きポイントにはまる何かがないと好きになれないと思っていた。

私のまわりって、すごくいい夫婦やカップルが多いんだよね。
お互い想いあっているのが伝わるし、もう「相棒」って感じの空気感が出ていて。

それもあって理想が高くなっていたんだ。
もちろんそういう夫婦やカップルにもいろんな事情や壁があっただろうにね。というか、それを乗り越えるから相棒になっていくのにね。はじめからピッタリの人たちなんていないんだから。

彼は何を考えているのかよくわからないし、感情表現もとても苦手。
プライド高いなあって思うところもあるし、そのくせけっこう子どもっぽかったりもする。
私は言葉遣いがきれいな人が好きだけど、別にそんなこともないし、すごく尊敬できる部分があるわけでもない(ごめん)。

たぶん前までなら、ここでシャットアウト。
違うなあって、さようなら。

でも今は一緒にいる選択をしている。
好きなのかどうか曖昧ままで。

そうするとね、はじめはわからなかった部分が見えてきて、明らかに惹かれる部分が増えてきたの。
ちょっとしたことに嬉しさを感じたり、かわいいなと思ったりね。

一緒に過ごしてみないとわからなかった。
自分の曖昧な気持ちを許すことができていなかったら、きっと彼との関係性は消えていた。

曖昧なままでいい、そんな自分も受け止めながら彼と過ごしていけたらいいな。


私の人生において、今は曖昧期なのだろう。
ラスト20代なのに、全力で駆け抜けなくていいのか!?なんて一瞬思いそうになるけど、違う違う。
いいの、今は曖昧な私で。そんなキブンなんだから。
「なんとかなるさ」「まあいっか」をお供にしてさ、しばらく過ごしましょうよ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?