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「可能世界ブラウザ」の活用が開く諸科学の新パラダイムについての初学者の妄想

「市場を打ち負かしたい」という原始的な欲求から始まった探求が、「ミクロ・マクロシステム」への洞察を踏まえたデジタルツイン的な社会改善のための方法論の探求に関心をシフトさせつつあるので、現時点での所感をログとして記そうと思う。

創発的なシステムには段階が存在するが、その中でももっとも複雑なのが、経済学に代表される「ミクロ・マクロループが存在するシステム」である。
ミクロ・マクロループについて簡単に説明すると、
・ミクロなエージェントの挙動によって創発するマクロ的現象が、ミクロなエージェントの内部状態を変化させるような「ループ」
のことを言う。

このミクロ・マクロシステムについては、現時点では「逆問題を解く」(与えられたマクロ的状態に対して、内部状態を高精度に推定する)ことは難しい。しかし、あるミクロ的・マクロ的状態を初期条件として与えたときに、どのようにシステムが発展するかをシミュレーションすることは、現実に対して新たな視座を提供する意味で意義が大きい。
この考え方を「可能世界ブラウザ」と呼ぶ。

なぜ「可能世界ブラウザ」と呼ぶのか。それは、現実世界においては、ある時点におけるある状況は、「一回のみ」の状況であるのに対し、高精度なモデル(例:各エージェントにニューラルネットワークによる「人工知能」を持たせて学習させているようなモデル)を用いたシミュレーションを行うことによって無数の「パラレルワールド的状況」を生み出し、そこで様々な仮説を検証することができるからだ。

「歴史にIFはない」というが、実際には人間は「IF」を考えることによって思考を深化させる。実際には起こりえなかった状況に対する想像力の深さが、歴史家の洞察力の根源である。

そう考えると、「可能世界ブラウザ」の概念は、今まではデータの貧困による発展の阻害を受けてきた社会経済現象のボトルネックを解消しうるポテンシャルを持っていると言える。(※ここでいう「データの貧困」は、今はやりの「ビッグデータ」とは全く無関係である。重要なのは「ある時点における可能でありえた世界についての無数の可能性についてのデータ」であり、これはシミュレーションなくして得ることは不可能なのである)

以下の図を参照するとわかりやすい。」
ここでのポイントは、マクロ的創発現象である「レート決定」が、各エージェントの内部状態の構成要素である「学習」におけるインプットとなっている状況である。
ここにおいて存在する「ミクロ・マクロループ」が、経済変動の予測を困難にする最大の要因にほかならない。

和泉潔「人口市場」より

ミクロ・マクロループの複雑さを理解するために、その他のより単純なモデルと比較してみよう。

①閉鎖システム:閉鎖容器内の物質、孤立した生物集団
②動的システム:毎日の気温、成長段階の子供の身長
③開放システム:社会的な組織、地球のエネルギーシステム
④ミクロ・マクロシステム:天文現象、生命現象、社会経済現象

この中で、数式を使って記述でき、かつ解析的に解くことが可能なのが①閉鎖システムであり、古典物理学の領分であると言える。(なお、古典経済学はここに立脚していると考えられる)これが、各時点の決定論的方程式は存在しても、変数間相互作用によりカオス的挙動を示すのが②動的システムである。カオスに対しては時間遅れ座標などの解析手法が存在し、かなりの精度で予測を行うことが可能である。ここまでは「逆問題」を解くことは不可能ではない。
ここにさらに外部からの入力が加わると事態は複雑になり、③開放システム、そこにミクロ・マクロループが加わった④ミクロ・マクロシステムとなると、逆問題を解くことは不可能に近い。(ただし、「逆シミュレーション」という手法も試みられている)

以下が特に複雑な振る舞いを示す金融市場における構造の俯瞰図である。これこそが今まで計量時系列分析によって解析されてきた市場動態という「古典力学」に対する、「量子力学」に相当するだろう。物理とのアナロジーで語る上での重要な相違点としては、物理現象においては量子は感情を持たないが、経済現象においてはミクロレベルのエージェント一人一人が感情を持ちうるという点である、(この意味での「感情」は、大きな意味でのミクロ・マクロループに対応すると言える。)

和泉潔ほか「マルチエージェントのためのデータ解析」より

以上のようなモデルを踏まえた実用的なアプリケーションとしてどのようなものがあるか、調べてみると以下のような興味深い事例がヒットする。

①エージェントベースモデルに基づいて、動的な中央銀行の金利の決定過程が村のGDPに対してどのような影響を与えるかを観察するシミュレーションゲーム

②超短パルスレーザー穴あけ加工の最適化のための深層学習ベースの予測シミュレータの構築(2023年)

レーザー加工においては、パラメータが時々刻々と変化する状況においての最適化を行う必要がある。これは、相場状況が変化する中での最適戦略を学習するプロセスと似ていると言えよう。

パラメータが変化する条件での最適化は、パラメータが一定である条件での最適化よりもはるかに高次元の探索空間を含む。次元の増加は、可能な条件の数を指数関数的に増加させる。例えば、パラメータ値がM個の離散値をとり、プロセスのステップ数がNである単純なケースでは、パラメータ一定条件の数はM×Nであるのに対し、パラメータ変調条件の数はMNである(図1a)。従って、従来の現象論的アプローチによる高次元最適化に適用可能なシミュレータの実現には、実行不可能な量のフィッティングデータが必要となり、そのような高次元最適化に関する報告はない。

以下論文より抜粋

以下の研究においては、シミュレータを用いた深層学習において20%の精度向上を実現した。

シミュレーションによって大量に生成したデータをもとに深層学習を行う研究が今後のパラダイムになるという予測も提示されている。

下記サイトより引用


また、日本においては東京大学の和泉潔教授が人口市場の研究を精力的に行っている点も指摘しておきたい。


以下が、まだ市場に存在しない、かつ、開発が待たれるシステムのアイデアである。

活用例①市場における各エージェントの内部状態を全て把握できるような仮想トレーディング訓練システムの開発
世の中に出回っている「仮想トレーディング」は、現在あるいは過去の株価の実際の変動をもとに作成されたものであり、そこでトレーダーに与えられる情報は、実際にその時点でトレーダーが手にしていた情報と全く変わらない。これは訓練システムでも何でもない。
たとえて言えば、小学生用プールで泳いだことのない人間にいきなり海に飛び込ませるようなものである。現時点で、トレーディングにとっての「小学生用プール」は存在しない。
もしここで、ある仮想的なトレーディングシステムがあって、そこでトレーダーがミクロスコピックなレベルにおける他の全トレーダーの挙動、およびそれが生み出すミクロ・マクロループの創発の様相を把握したうえでの訓練を行うことができたらどうだろう。それはまさにトレーダーにとっての「小学生用プール」になりうる。
もちろん、人間が学習せずとも、そこで機械学習をさせることもできる。
実際の環境においては、ミクロスコピックなレベルのデータ(各トレーダーの挙動)は全くブラックボックスであり、メゾスコピックなレベルのデータ(オーダーブック情報)が不完全な形で与えられ、マクロスコピックなデータ(t-1秒目までの価格変動)のみが完全な形で与えられる。しかし、このモデルにおいてトレーニングを行う際には、ミクロスコピックなデータとマクロスコピックなデータの対応関係を踏まえたうえでの戦略を学習させることで、「マクロスコピックなデータからミクロスコピックな内部状態を推定し、その挙動をシミュレーションすることでマクロスコピックなデータを予測する」というような予測型式が可能になる。これは、ミクロスコピックなデータが提供されうる「人口市場」のプラットフォームなしには絶対に実現しない学習モデルである。

活用例②現時点の市場のマクロスコピックなデータをインプットした人口市場で何度もシミュレーションを行って同一時点での大量の価格データを生成し、深層学習を通して戦略を学習する自動売買システムの開発 
現時点では、株価変動に対する機械学習の限界として、「ある時点の価格の様相は一回きりの現象であるため、複数回の試行を通じて確率分布的にデータを扱うことによる学習精度の向上が図れない」という障害が存在する。あるサイコロを常に一回しか振れない状況(次に振るときには、サイコロの形および面の数が予測不能に変化する状況を考える)においては、サイコロの面の出方を高精度に予測するモデルを作るのは不可能に近い。しかしここにエージェントベースモデルを用いた「人口市場」による大量の「同時点における可能な価格」のデータがあったらどうだろうか。つまり、一回切りだったはずの各時点のデータが、内部モデルを正確にインプットしたABMのシミュレーションによって大量に生成されうる。そのデータをもとに深層学習を行うことで、ABMの初期値鋭敏性に対処しうるような新たなアルゴリズムが発見される可能性がある。これによって得られるアルゴリズムは、従来の「各時点一回のみの試行」によって得られたアルゴリズムよりはるかに強力なロバスト性を持つと推定される。(いうなれば、天気予報における初期日鋭敏性を克服する「アンサンブル予報」のようなアルゴリズムが開発されると予測される)


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