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エンタメ小説執筆のバイブルースティーブン・キング「書くことについて」書評

小学生の頃、映画「スタンド・バイ・ミー」を見て「なんてひどい映画だ」と思った。

以来、スティーブン・キングの本には触ったことがない。

今思えば何とひどい偏見だろうか。だが、ゲロを吐く露骨な描写が大嫌いだった当時の私には、キングの描く世界は果てしなく不潔に思えた。

もはや生ける伝説と化した超人気作家・キングの小説作法が余すことなく披露された本書でも、事情は変わらない。一ページに一度はエログロまたは下品な表現に出くわす。

だが、私自身が成長したせいか、もはや眉をひそめる気にはならない。むしろ、ニヤリと笑ってしまう。これが大人になるということかと、二十歳の誕生日を前にして複雑な気持ちになる。

さすがはモダンホラーの帝王、ユーモアと諧謔に満ちた前半の自伝部分にも、執筆作法について細部にわたって解説される理論部分にも、背筋が凍るような描写が散逸し、ページをめくる手を休ませてくれない。後書きの「生きることについて」では、キング自身がトラックに轢かれてホラー小説特有のグロテスクな描写の対象者になったつい最近の経験が語られ、最初から最後までこの本はホラー小説としても読めてしまう。

しかし、キングがこの本に満載した数々のアドバイスは、驚くほど具体的で、後に続く作家たちに対する愛に満ちている。

文章作法については、英語を念頭において語られているため、関係ないと思って読み過ごすことも可能だ。だが私はいつかは英語で小説を執筆するという野望を持っているため、舐めるようにフムフムと読んだ。

ー「語彙を広げる努力はしつつも、手持ちの語彙で満足すること」。

いくら英語を頑張ったって、私たち日本人はあくまで外国人だ。英語で文学をすることができる日なんてそうは言っても一生来ないに違いない、と思っていた私にとって、これは大きな福音だった。

思い返せばオスカー・ワイルドもスタインベックも、中学(または高校)レベルの語彙でほとんど読めてしまう。もちろん辞書を引かないとわからない単語だってたくさん出てくるが、たとえそれらが理解できずともストーリーを理解する障害にはならない。むしろ、中学生が知っている簡単な単語こそ、英語における「大和言葉」であり、英検対策やTOEIC対策のために必死こいて頭に詰め込む単語などは欧米人にとっても所詮β波動に満ちた文化的異物にすぎない。

むしろ、簡単な語彙で複雑な情緒を表現し尽くした作家こそ、偉大な芸術家なのだ。

ー「受動態と副詞は文章の敵。シンプルでストレートな文章こそ第1級と心得よ」

中高の英作文の授業ではやたらと受動態が重んじられる。能動態で与えられた文章すら受動態に直すよう命じられる。そして、日本語の文章は驚くほど受動態と相性がいい。

だが、キングはそれを「逃げ」だと一蹴する。

余分な水分は全て搾り取ったギリシャヨーグルトのような文章で「ハードボイルド」の文体を確立したヘミングウェーは、確かに受動態を嫌ったようだ。その荒削りな文学的建築物からは、婉曲な言い回し・饒舌な長口舌などはとっくの昔に門外に追放されている。

日本で言えば、伊坂幸太郎はハードボイルドを愛するという話を聞いた。確かに「グラスホッパー」を見ると、冒頭の死亡シーンの描写などは一切の主観的描写を廃した冷徹な筆致が冴えている。

ある意味で映像的だとも言えよう。作者の心の目の「解像度」が高いほど、明晰で簡潔な文章が紡ぎ出される。曖昧で観念的な描写に逃げるとき、人は視力検査であてずっぽうの答えに逃げているのと変わらないことをしているのだ。

キングの小説を1作を読んだこともない私が、キングについてこれ以上論ずることはできない。「キャリー」「IT」「ドクター・スリープ」などを読んでから捲土重来を期したいと思う。

現時点でただ一つ言えることは、キングという小説家は、書くことをひたすら愛した正真正銘の「作家」だったということだ。

金のために、評判のために書くのではない。

勉強のために、テクニックを盗むために読むのではない。

書きたいから書く、読みたいから読む。その膨大な蓄積が、小説界の生ける伝説を生んだのだ。


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