【NFL紹介#6】1991年スーパーボウルの国歌斉唱
タイトルを見てこう思った方いませんか?
『おいおい!国歌斉唱って!そんな紹介することある?』
気持ちわかります。
ただ、あります!!!
1991年のスーパーボウルは
『New York Giants/ニューヨーク・ジャイアンツ』vs『Buffalo Bills/バッファロー・ビルズ』の1戦。
今回紹介する国歌斉唱を担ったのが、
『Whitney Houston/ホイットニー・ヒューストン』
日本国内にも、この国歌独唱のファンは数多くいます。
当時、生中継やそれを録画して見た人もいれば、その後にスーパーボウル観るようになってこの歌のことを知ってファンになった人。
では、なにが最高なのか。
彼女の歌唱力は前提として。
①彼女の服装
「会場に現れたホイットニーが着ていたのは、白のトラックスーツ(ジャージの上下)。」
とあります。
「アメリカ人って、あんな舞台でもジャージみたいな軽装で国歌を歌うんだな」と日本人の感覚からしたらそうなるかもしれません。
実は、この時のスーパーボウルが史上例のない特別なものだったんです。
戦時下で、いつでもテロの対象になってもおかしく、「初めてセキュリティが強化された」大会であったのです。
国歌斉唱をバックに、入場者が金属探知機で検査を受けながら入っていくシーンから始まった。
国歌をバックに、セキュリティ検査から紹介される回はこの回が唯一なはずです。
戦時下で危機の下に行われたスーパーボウル、と言うことをアピールしたかったのだと思います。
ホイットニー・ヒューストン、そしてNFLはジャージで登場することで、平静を訴えたかったのだと言うことでしょう。
第25回スーパーボウルの直前、テロの危険が懸念されたために、中止か延期が検討されたものの、時のジョージ・ブッシュ大統領は
「Business must be as usual」
(通常通りに行われなければいけない)
と言った、と試合中継の中で聴いた覚えがあります。
そのことを体現したのでしょう。
逆にこの戦時下だからこそ、スーパーボウルでアメリカ合衆国の国民が一つにならねばならなかったのでしょう。
事実、ハーフタイムショーの前に、ブッシュ大統領夫妻がホワイトハウスから国民に語り掛ける模様が映し出されたほどの、大事なスーパーボウルでしたから。
やはりスーパーボウルは、アメリカにとって特別なもの、と言うこともわかります。
②「BLM運動」関連
当時のアメリカの状況を1部紹介。
「1991年当時、「ラジオ局はまだ人種で分離されていて、黒人層向けの局はブラック・ミュージックを、大衆向けの局は、ホワイト/ポップ・ミュージックを流していた」。」
この国難のなかでの米国最大のイベントに、ジャージ姿の黒人女性が登場することは、特別なことでした。
この3年前、第22回スーパーボウルで、初めて黒人のQBが先発しました。
メディアは「特別なこと」であると伝えました。
1991年当時でも、NFL全体を見ても、先発する黒人QBは珍しかった時代でした。
NFLはよくホイットニー・ヒューストンを、しかもあの重要な大会に選んだ。
そして、NFLは歴史を作りました。
第25回スーパーボウルは、今でも史上最少の1点差で幕を閉じました。
とても見ごたえがある試合で、最後まで勝敗がわからないものでした。
ホイットニー・ヒューストンの国歌独唱と、試合内容とを合わせて、第25回スーパーボウルは最高の試合だった、と言う人は少なくありません。
是非、YouTubeなとで見てみてください!
そんな記憶に残るスーパーボウルのチャンピオンジァイアンツのスウェットがオンラインショップに入荷しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?