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[音楽]自分の音楽史Ⅲ:スティールパンとの出会い、WAIWAIの始まり、そしてジャズスティールパン奏者としての道 (前編)

さて、久々のこのトピックでの投稿となってしまったが、今回はやっとスティールパンについての話だ。もちろん、今回も後半の有料パートでは踏み込んだテクニックについてなどについても語りたいと思っている。

スティールパン、スチールパン、スティールドラム…。様々な呼称で呼ばれているこの楽器をみなさんはそもそもご存知だろうか?もちろん私のライブに来ていただいているお客様は、見たことがあると思う(マリンバのステージしか見たことないっていうお客さんはなかなかいないと思う)。さて、スティールパンは、カリブ海最南端の島国、トリニダード・トバゴで生まれた楽器だ。近年は、発展系の楽器でもあるハンドパンなどが開発されていることもあり、どんどんと巷に広まりつつある楽器でもある。まあ、この楽器の説明についてはwikipedia等に任せるとしておいて、この楽器と私がいつ出会い、この楽器の演奏者としてどのように歩んできたのか、ということを話していこうと思う。

さて、話はもう恒例となってはいるが、18年前に遡る。当時3歳だった私は、マリンバの師匠でもあるヴィブラフォン奏者宅間善之の「たいこばち」というバンドの茂原の「ふぇるまぁた」(この場所の話は前回や前々回の音楽史の話を参照)でのライブで、この楽器と師匠である伊澤陽一に出会った。そこで、初めて楽器に触らせていただいて、「さだまさし」さんの名曲である「北の国から」を引かせていただいたのが、最初のこの楽器との出会いだった。

それから月日は流れ、7歳の頃、御宿に遊びに行った時に、「月の砂漠記念館」で「月への道」というフォトグラファーの門田彩子さんと師匠伊澤陽一が合同で個展とライブをやっていたところで偶然再会をしたのだ。そんな運命的な出会いもあり、「ふぇるまぁた」で「カントジフア」というスティールパン、ギター、チェロのユニットを呼んでもらって、その日に所沢の師匠の家へと連れて行ってもらった上で、翌日の朝、初めてのレッスンをした。それが2007年の夏のことだった。

そして、そのレッスンを続けさせていただいているのと同時に、レッスンをした後に「バンドをやろう」という師匠の言葉もあって始めたバンドが、今ではplaywright レーベルからアルバムを3枚出していただいている「WAIWAI STEEL BAND」だった。最初のうちは、師匠の家でのレッスンをした後に、当時のWAIWAIのパンヤードでイタリアンレストランだった狭山市の「WAIWAI dining」に移動して2人でバンド練習をする。というのが、WAIWAIの始まりだった。最初は子供バンドを目指していたが、ひとり女の子が入って、いつの間にかいなくなり…また2人になって…。そんなこともあって、大人も入れることとなって、現在のWAIWAI STEEL BANDへと成長していった。

そんな活動とほぼ同時に、Panorama Steel Orchestraにも正式にメンバーとして入らせていただくこととなり、メンバーとしての初めてのライブは、舞浜の「Club IKSPIARI」で行われたカウントダウンライブだった。まだまだ、本当に子供だったのにも関わらず、Panoramaという日本の最高のパンプレイヤーたちが集まっていた環境に入らせていただいていたことで、パンの演奏のスキルをリハやライブで学ばせていただいていた。入った当時はGotta Ningenの曲を作っているところで、今でもとても思い入れの深い曲だ。ただ、それよりも前から、Panoramaのライブには何度か遊びに行っていた上に、CDも持っていたため、それまでの曲はほとんどを楽譜からではなく耳コピで覚えていっていたのをよく覚えている(正直、そっちの方が早く覚えられたのだった)。

そうして演奏などをしているうちに、少しずつ自分がスティールパン奏者として、ソロで弾き出した。最初は、やっぱりこれも夢ジャズフェスティバルだった。そこから、ジャズスティールパンという、あまりないジャンルに踏み出していき、ビバップもできるスティールパン奏者として、今は活動させていただいている。

しかし、実はスティールパンの利点でもあり、ジャズにおいては弱点ともなる特徴があるのだ。その一つが「音の余韻を自在にコントロールできない」ことだ。実は、ジャズでは余韻のコントロールというのが、スウィング感を出し、リズムを操る上で非常に重要なポイントとなってくる。しかし、どうしてもコントロールをするというのが非常に難しい楽器がこのスティールパンだ。そこで、試すようになったのはアクセントの付け方と叩く位置だ。通常、スティールパンというのは、音盤の一番響く位置であるスウィートスポットを狙って音を出すんだが、これを外して叩くことをするように心がけた。そうすることにより余韻が弱くなることで、ジャズに対応できるようになったのだ。ちなみに、この余韻が弱くなることでもう一つ利点がある。それは、パンの音のもう一つの特徴でもある倍音を弱くできる、という点だ。これをすることで、他の楽器とアンサンブルをした際に音が混ざって気持ち悪くなるというのを、減らすことができるようになった。そして、この叩くときのアクセントの付け方などを、今度は叩き方で調整をするようになった(後半へ続く)。


もし、ここまでの記事を読んで、面白いなと思っていただけたら幸いです。本編自体はここで終了で、この先の有料パートは、現在自分が使っている自分のパンやスティックの話、見つけた最新のテクニックなどの踏み込んだお話が入っている「ちょっと長いオマケ」です。応援という意味で、買って読んでいただけたら本当に嬉しいです…!!

また、少しでも森山蒼瑚の活動に興味を持っていただけた方がいらっしゃいましたら、ぜひ、森山蒼瑚のYoutubeチャンネル、そして森山蒼瑚が、ピアニストの和久井沙良、そしてパーカッションの佐野幹仁とやっているラテンジャズフュージョンのトリオ「Treis Protoporos (トレィス・プロトポロス)」のYoutubeも視聴、そして登録をしていただけたら幸いです。

森山蒼瑚 チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCzPChjTVqDWVAhL72jbzaBQ/featured

Treis Protoporos チャンネル https://www.youtube.com/channel/UCxmlbKb7JRzYo_9OiTR7x2A


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