邦楽と洋楽の歌詞の違いについて Stay -Zedd and Alessia Cara、宇多田ヒカル
「太陽が昇っていく中私はリビングのソファでラムコークを飲むの」
これが自分の一番好きな歌詞だ。と言ったらどう思うか。
若者が夜更かしして朝方に自宅で酒を飲んでいるというだけのなんてことない情景描写だ。
一度原曲を聞いてみてほしい。
※自分は音楽や詩について特別精通しているわけでないからこの記事には間違いが含まれているかもしれないし、洋楽の歌詞について考えたことある人にとっては当たり前の内容となるかもしれないが、歌詞の面白さについて考えたことない人のきっかけになるかもしれないので、自分の勝手な推定をもとにこれを書かせていただきます。
参考になるyoutubeリンクも挿入してますが飛ばしてくれてもいいです。見てくれると嬉しいです
洋楽の歌詞について Zedd ,Alessia Cara
この曲はyoutubeで5.1億回再生の有名な曲だから、どこかで耳にした人も多いと思う。
zeddは世界的ヒット曲を連発する若い天才音楽プロデューサー
フィーチャリングされているAlessia Calaも世界的シンガーでディズニー映画のテーマソングも歌っている
どちらも洋楽好きなら知らない人いないくらいのアーティスト
冒頭の
「太陽が昇っていく中私はリビングのソファでラムコークを飲むの」
という歌詞はこの曲のBメロの
「living on my sofa drinking rum &cola underneath the rising sun」
の和訳である。
これを聞こえる通りのカタカナに直すと、
「リヴィオマソファ ディキラマコーラ アダニザライジンサン」
母音だけ抜き出してみると、2小節(4秒)の間で
"iioaoa iiaaoa aaiaaia"
と3フレーズで韻を踏んでいる。
前半の "iioaoa iiaaoa" の部分だけ注目すると1小節(2秒)の間でもう韻を踏み終えてしまっている。
この軽やかに韻を踏める点が洋楽の音楽として優れている点だと思う。洋楽に体を思わず揺らしてしまうダンサブルな曲が多いのは、英詩のリズミカルな韻の踏みやすさも関係しているだろう。
それに、似ている響きの単語が多いのも特徴だろう
当該曲なら、
living、 drinking、 rising(イイング)
sofa、cola (オーア)
で韻が踏まれているが他にもたくさん韻を踏める単語があるだろう
↑参考、日本語と英語の音の長さの違いについて 面白い
↑参考 日本語は表の拍で歌う盆踊りのリズム
英語はアクセントだけを強調するので拍の裏に音が入り込む
(上と同じ動画)
自分は一聴して聞いて気に入った洋楽を、(とても聞き取ることはできないので)歌詞を見ながら聞くことが多いが、色んな発見があって面白い。そして英詩を口に出してみると非常に気持ちがいい。
↓もう一曲、同じAlessia Caraの曲で、非常にリズミカルな英語で耳が気持ちよくなるお気に入りの曲を挙げておく。特にBメロとサビ。
2番冒頭から入ってくるAlessia Caraの声が最高。↓
日本語の歌詞について…宇多田ヒカル,BUMP,ユーミン
洋楽の影響を多大に受けながら美しい日本語歌詞を生み出し続ける天才、宇多田ヒカルは某音楽番組で日本語で歌詞を書くこだわりについて、「日本語には主語がいらないので自由度が高い。」「『だ、だよ、だもん』みたいに語尾を変えれる。」といったことを答えていた。
日本語は韻を踏むのには適していない言語である(≒耳で聞いた心地よさには洋楽に軍配が上がる。)が、同じ意味を伝える言葉においても語尾を変えてみたり、一般的でない表現を使うことで聞く人をドキッとさせる、つまりフックを作ることができて微妙にニュアンスを変化させることができる点を宇多田ヒカルは指摘していたのだろうと思う。
例を挙げる。
自分が宇多田ヒカルの歌詞においてハッとさせられるフックとなった部分、
一般的にはあまり楽曲の歌詞で用いられることのない表現の一例
在りゃせぬ の部分。田舎に住むおじいさんが歌う楽曲ならこの歌詞は自然でなんのフックにもならないだろう。
在りゃせぬ を使わず同じ意味を違う言葉で表現するとしたら
「人生の岐路に立つ標識は〇〇〇」
→
ない
なし
在りはしない
在りゃせん
在りはせん
nothing
※語尾を、「よ、だよ、んだよ、ぜ、です」など変えられることを考えると、同じ言葉の意味を伝える上でも無限のパターンがある。そしてそれぞれは、かなり、あるいは微妙にニュアンスがに違う。
その中で宇多田ヒカルは「在りゃせぬ」を選んだ。
もちろんメロディーに乗せるもので心地よく聞こえる必要があるから、音の長さ、尺の制約で入れ込むことができない表現も多い(尺の制約により語尾を変えることも多々あるだろう)が、それならばおおもとの歌詞を変えればいい話だ。
これは明確に歌詞の中に確実にフックを作っていると思われる。
内省的な歌詞。1番サビが終わって2番Aメロで唐突に独白のような歌詞で、この文字だけを読んでもどんなメロディーにこの歌詞が乗っかっているのか想像もつかないだろう。
非常に歌詞らしくない歌詞でドキッとさせられる。
この歌詞も某音楽番組で取り上げられていて宇多田本人は「サビが終わった後のBメロはみんなが油断しているからどんな歌詞を入れてもいいと思っている。みんなをハッとさせる歌詞を意図的に入れた」という趣旨のことを語っていた。
シリアスな曲調に突如現れる「少年マンガ」という名詞。それだけでフックになる。
「少年マンガ」と「夢見てばっか」で韻も踏んでいる。
「少年マンガ」があるから「夢だけみてる」「夢見てばかり」ではなく「夢見てばっか」である必然性が生まれている。
必ずしもその名詞を登場させる必要性がない中でその名詞を選ぶということに作者のセンスが現れる。
逆に歌詞においてしょっちゅう使われる定型語句というのは、使い古されていて、使うと曲の陳腐さを強調してしまうこともある。使い方にもよるが。
ツギハギに使うことで「曲」っぽさは生まれるのであまり日本語が上手でない人はそれに頼ってしまうんだろう。
例「光」「闇」「絆」「愛」「好き」「恋」「涙」「絶望」「希望」
(そういった曲の参考例は出さないでおきます…)
もちろん愛は人間の大事な要素で、愛をテーマに歌う曲はそれはもうほとんどの曲がそうなんじゃないかと言えるが、どれだけ「好き」とか「愛」という言葉を使わずに愛を語ることが作詞家の腕の見せ所であり日本語の面白いところなんじゃないかと思う。
ときどき、英語をネイティブ並みに操れない日本人であることを残念に思うが、日本語の表現の豊かさは英語に勝っていると思いたい。
もちろん英語の詩(歌詞ではなく広い意味での詞)にも深みのあるいいものがあると思うが全然詳しくないのでわかりません。
BUMP OF CHICKEN なんて小学生でもわかる簡単な日本語しか使わないのに人を元気づけて感動させる歌詞を書けるのがすごいと思う。
まとめると、英詩の魅力は
リズミカルに韻を踏みやすく口に出した時気持ちいいこと
日本語詞の魅力は
表現の豊かさ、機微
にあると思うのだが、いかがでしょうか。
一番好きな日本語詞を紹介して終わります
これも明確に人間の「愛」について歌ったラブソングだが、あえてこの曲の歌詞の自分の解釈はあえて書かないでおきたい。解釈わかれそうだし、いい作品ほど人によって感じ方が違うんだよな
どうやったらこんな素敵な歌詞思いつくんだろうなあと思う。
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