ワードセンスについて ~世界のけんぞーくん、ママタルト檜原さん、センスは知識から始まる



言葉を上手に使いたい。
それは常日頃からなんとなく思っていたことであり、
最近ハマっている趣味の大喜利について考えている時や、前回のブログ記事(日本語の表現の豊かさ、素敵な歌詞について)を書いて、より強く思うようになったことでもある。

状況に沿った言葉を選ぶことができて、かつそれがありきたりでない言葉である人には憧れる。

参照:前回記事

今回はかなり雑記です
色んな分野について書いているので興味ないところは飛ばしてください。

世界のけんぞーくんの『BIG UP RADIO』

世界のけんぞーくんというXのフォロワーがいる。彼はフリーランスで働きながら自作曲をXで公開していたり、なぜか友人とラジオを制作してpodcastで大量に公開していたりと、自分の知人の中でもかなりクリエイティブな才能のある人だ。

明るく人当たりがいいにも関わらず、シャープな視点でブラックなジョークも言える人であり、他のフォロワーの言葉を借りるなら、「陰と陽の部分が両方ある人」である。

ラジオでは日常生活で普通の人ならばスルーしてしまうような些細な違和感を発見して共有してくれる「違和感」という定番コーナーがあったりするのだが、そのコーナーが特にかなりツボで、バックナンバーを全て視聴してしまったほどだ。

けんぞーくんのラジオのバックナンバー内の発言で引用したいものがある。

「吉田沙織ネタをまだ面白いと思って言ってる奴キツい」
というものだった。
何年ごろかは忘れたが2chやTwitterで「吉田沙保里は霊長類最強」のネタが流行った。はじめは少数の人しか使っていなかったはずだが、みんなが俺も俺もと吉田沙保里ネタを披露するようになり、毎日のようにそのネタを見るようになった。
吉田沙保里ネタは鉄板、という認識がそこにあったのだろう。

しかし流行りすぎて「ありきたり」となってしまってなお、そのネタを面白いと思って披露している人は、みていてうっすら共感性羞恥のようなものを感じることが確かに自分にもあった。

かつて旬だったネタの再生産でしかなくそこに独創性はない。しかもそのネタが「旬」ではなくなりつつあることに気づいていない。

けんぞーくんの指摘は一部の人々にうっすらと意識されていた感覚を端的に言語化してくれた痛快さがある。


イノベーター理論

マーケティング業界にイノベーター理論というのがある(らしい)


イノベーターはまだ誰も思いついていないようなビジネスや商品を開発し、それがとても素晴らしい発明である場合、

次に感度の高いアーリーアダプター(初期採用者: 市場で商品やサービスを普及させるときに重要になる顧客層)という一部の人に発見され、採用、拡散される。

その後、それがアーリーマジョリティにまで達しトレンドとして世に広まる。レイトマジョリティに広がってたころにはほとんどの人がそれを採用していることとなる。

ラガード(Laggards:遅滞者)は最も保守的な人で、イノベーションがもはや伝統になったときに採用を始める。流行や世の動きに疎い。

イノベーターやアーリーアダプターはまだ世の人々がそれらを発見していないときに先行者利益、ブルーオーシャンを手にすることができる。




これはマーケティングでの話がもともとなんだろうけど、クリエイティブな分野でも全てこれが当てはまるだろう。

ファッション、映画、音楽…etc

JilSandar→UNITEDTOKYO→GU

例えばファッションの世界だと、Jil Sandarであったり、CELINEといったブランドがイノベーターでありトレンドセッターといえるだろう。個人でいうとカニエウエストだろうか。

ジルサンダーのレザーショルダーバッグ13万
かっこいい。紐の部分まで作りこまれている



UNITED TOKYOのバッグ2-3万くらい 
JILSANDERよりはディテールが簡略化されている。これくらいの値段ならまだ買える?


GUのレザーショルダーバッグ 一応本革だがSALE価格で990円 
ちなみに俺はこれ使ってる。十分使えるんよ


世界を代表するブランドが新しい商品を発表して、それが一部のファッショニスタに受け入れられたとき、彼らはそれをこぞって欲しがり、自分のファッションに取り入れる(アーリーアダプター)
そのヒット商品を見た感度の高いセレクトショップはそれをいち早くセレクトしたり、他のブランドが似た商品を作り始める。そしてアーリーマジョリティーにまで広がる。

ここまでくると世間的には新しいトレンドとなっていて、それから日を置いてファストファッションがこれは売れるぞと廉価版の商品を作り始める。ファッションに特別詳しくないレイトマジョリティーも同じような見た目の商品を(ディティールにはとんでもない差があるものの)手に取ることができるようになる。

そのころにはもうファッションに関心のあるアーリーアダプター達は次のトレンドに夢中になっているだろう。

自分たちが今何気なく着ている服も、自分が知らないだけでかつてのイノベーター/トレンドセッターによる発明品であり、それが大衆の手の元にまで降りてきて、世の中の定番品となっているだけであるということもおおいにあるだろう。

↓参考:映画『プラダを着た悪魔』より

「あなたには関係ないことよね。
家のクローゼットからそのサエないブルーのセーターを選んだ。私は着る物なんか気にしない、マジメな人間ということね。
でも、この色はブルーじゃない。
ターコイズでもラピスでもない。セルリアンよ。
知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレをサンローランがミリタリージャケットを発表。
セルリアンは8つのコレクションに登場。
たちまちブームになり、全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売されあなたがセールで購入した。そのブルーは無数の労働の象徴よ。
でもとても皮肉ね。
ファッションと無関係と思ったセーターは、そもそもここにいる私たちが選んだのよ。こんなのの中からね」

プラダを着た悪魔 世界的ファッション雑誌の編集長であるミランダのセリフ

ファッションの世界において、世の中を席巻したトレンドアイテムが多くの人々の手の元にまで普及した段階で、そのアイテムのトレンドとしての価値は失われる。
みんなが使っているアイテムを使ったところで他人と差別化はできない。
オシャレな人はみんなが着ていない服を着ているからオシャレな人と認められることができる。

一般的には革靴を履いている人はスニーカーを履いている人より少ないから、革靴は上手に履くだけで差別化をしやすいアイテム≒オシャレになりやすいアイテムということになる。

ママタルト檜原さんに学ぶワードセンス

最近自分は大喜利を趣味でやっているのだが、自分が最も面白い大喜利プレイヤーだと思う内の一人にママタルト檜原さんがいる。

彼は、大喜利のコツは答えの中に食べ物や動物を入れることだと言っている。
そのおすすめのワードの例として「大根」「チョコ」「牛」を挙げている。その理由は「趣があって丁度いい」からだそうだ

逆に悪いワードの例として檜原さんは「芋」、令和ロマンは「チンゲンサイ」、「ルッコラ」を挙げている。
悪いワードの方は既になんとなく「面白いワード」という認識が世間にある。こすられすぎてて、新鮮味が感じられない。要は『吉田沙保里化』しているのだ。

この動画を初めて見たときは、冗談っぽく喋っているため、おいおいホントかよ、と半信半疑だったけれど、大喜利に長く触れていると今ではかなり本質的なことを言っていたんだなと思う。

良い回答には「大根」「牛」に相当するような、絶妙なワードが使われていることが本当に多い。
そのワードの面白さが回答の面白さ全体に大きく関わっている。

前回記事で宇多田ヒカルが歌詞の中でフックとなるワードを入れていることに触れたが、これと同じようなことだと思う。
そのワード自体が人々の関心を引いてしまうような、ワード自体の持つ力というものが確実にある。
↓参考・前回記事


4つ打ちダンスロック

一応音楽の例も出しておく。もう色々なところで語られ過ぎていて、これももはやクリシェ(常套句)になっているが…。
2003年リリースのアジカンの君という花がヒットして以来、邦楽バンドシーンでこの4つ打ち裏拍ハイハットが爆発的に増えた

2010年代で人気バンドになったKANA-BOONはアジカンに憧れて育ったことを公言している


自分が大学生時代に音楽フェスに行っていたころはどこのバンドもこぞってBPMが速い踊れる4つ打ちの曲ばかりになっていた。自分もKEYTALKとか好きだしそういう曲はなんだかんだ盛り上がるのだけど、どこのバンドも似たような曲が多いな…と内心は思っていた部分がある。
同じように思っていた人もいるんじゃないだろうか。

目新しさと普遍性

やはり目新しさ、新鮮味というものは良い創作には必要である。こういうのよくあるよな…。と思われたらおしまいである。

しかし一方で映画や歌詞のテーマやメッセージ性は普遍的なものの方がいいとも思っている。

そのテーマは"愛"であったり、"人生の一回性"であったりする。
映画や歌をきいて
「ああ、やっぱ家族って大事だよな」
とか
「人生って一度きりなんだから、一生懸命頑張ろう」
とか
そんな誰だって一度は思ったことがあるようなことでいい。

映画や音楽を聴いて、自分の経験や思いに立ち返れる作品ほど、感動する。

多くの人に刺さる普遍的なテーマを持った作品こそが、多くの人に刺さり名作になる。

「愛っていうのは、自分より人のことを大切に思うことだよ」

オラフ『アナと雪の女王』

ひっくり返した砂時計 同じ砂が刻む違う2分
全てはかけがえのないもの そんなの誰だって知っている
トリケラトプスに触りたい ふたご座でのんびり地球が見たい
もらった時間でできるかな 長いのかな短いのかな

-BUMP OF CHICKEN 『宇宙飛行士への手紙』
以前の記事でも引用

もったいないから もったいないから
ボクは夢を描き泣く ああ
もっといたいから もの足りないから
いじわるなこともしちゃう
華やかな街をゆく 明日には消えるキラキラなんて
もったいない もったいない ほら一緒にもったいないとらんど

きゃりーぱみゅぱみゅ『もったいないとらんど』
以前の記事でも引用

大切なテーマ・メッセージであるからこそ何度も伝える意味がある。本当に伝えたいことは一つだけでいいのかもしれない。
複数の作品で、表現を変えて、何度も伝える。そのやり方に技術が出る。
複数の作品を通して手を変え品を変え、何度も大切なメッセージを伝えようとするアーティスト、クリエイターは「一貫性がある」といえ、その姿勢は潔くて好感が持てる。


一方例えば「昔付き合った恋人が忘れられない」というようなテーマの曲は、同じ経験をしている人が比較的少なくなってしまうため個別性が高まり、普遍性は低くなっている。
しかし同じ経験をした人には強く刺さるし、経験がない人にとってはフィクションとして楽しむことができる。

全く同じ経験をしたことなくてもなんとなく自分の中で思い出される人がいるかもしれない。
それはその人にとっては昔亡くなってしまった大切な祖父や祖母でもいい。

↓失恋ソングで好きな洋楽 暇な人聞いてみてください


センスは知識からはじまる

どうやってセンスを身に着けるか。
それはインプットとアウトプットの反復しかないだろう。

センスというのは誰にだって頑張れば身につけれるものだという説明をしてくれている本↓

すごくおすすめ

この本ではセンスを『数値化できない事象を最適化する能力』と定義している。
そして生まれつきセンスを持っている人はいないとしている。

センスというのは一見してわからない微妙な違いを感じる能力であり、「センスの良い/悪い」を知る唯一の方法は普通を知ることである。

普通を知るということは「いいもの」がわかるということ
普通を知るということは「悪いもの」もわかるということ
その両方を知ったうえで「いちばん真ん中」がわかるということ
…らしい

普通を知るにはいろいろなものに触れて、物事を多角的に捉えることが必要である。(インプットの反復)

わざわざ努力しなくてもセンスのいい人というのは確かにどの分野でも一定数いるように思う。だからこそセンスと努力は対義語のように感じられる。

しかしそういう人は無意識的にインプットとアウトプットができているだけと思う。すごい。「なんとなくこういう風にやればいい感じになる」という人のマネだけで本当に上手いことできる印象がある。

俺は自分自身、ファッションや美術やインテリアなど(これらは『数値化できない事象』)に関して、センスがなかった方だと思っている。インプットが少なかったのが原因だろうが、ひどいものだった。

でもそれらをわかるようになりたいと思う気持ちはいつしか生まれてきたので、その時々で本を読んだり、サイトを調べたり、動画を見たり、あまり言語化されて語られることのない分野を上手く言語化してくれているものを見つけることで自分の知識として蓄積してきた。

アウトプットの要領が良いわけではなく、なんとなく人のマネをしてそれなりの出来栄えのものを作れないのだから、自分の中でわかりやすく言語化して消化することで、なんとかそれなりのアウトプットができるようになってきつつあるように思う。

というわけで『センスは知識からはじまる』、おすすめです。
あと生大喜利はとても楽しいので一緒にやってくれる人募集しています。

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