【読書メモ】『運転者』(喜多川 泰)
先日、本を読みました。
喜多川泰さんの『運転者』
Amazonの商品ページに書かれている紹介文を以下に引用します。
「やればできる」とか、「努力は必ず報われる」という言葉が苦手です。例外だってたくさんあるじゃない。50人が定員の試験に対して、100人が努力したら、50人は報われない努力をしていることになる。
いや、頭では分かっている。努力の過程に意味があるんだって。それを通して成長することができる。
でも、努力して、努力して、それでもダメだったときには、そんな言葉を受け入れる余裕なんてない。実質的な自分の立ち位置は変わってないんだもの。
だから、次の言葉にハッとした。
努力している姿は人の心に火をつける。「がんばれ」って言われるよりも、ひたむきな姿勢を見せられる方が「自分もがんばろう」と思える。自分のためになっていると感じられなくても、他人の幸せのためになっている。
努力はすぐには報われないかもしれないけど、ずっと先の他の誰かの幸せにつながっているのか。
努力を通して幸せを授受すると考えたとき、どうしても前職のことが頭をよぎる。私は教員という仕事が好きだった。子どもたちと一緒に歩を進めることができる。
教員と生徒、という立場も大事。だけど、それと同時に一人一人が自分の課題と向き合う姿を見せ合えることも大事。
あの子たちがいるから頑張れた、と思えた。
そして、あの学級担任、教科担任だから頑張れた、と思ってもらえるといいな。
生徒たちの願いをすべて叶えられる教員ではなかった。私が目指した姿を自分で獲得できたわけでもなかった。
だけど、そこには確かに数年の歳月と、立派に学校を巣立った生徒たちの姿があった。
学校で過ごした時間があって、例えばそこでは夢が叶わなかったとしても、その経験を活かして、あの子たちが次の世代に繋いでくれたらいいなと願うのです。
そっか。誰かと関わり、幸せを与える機会が得られるという意味では、無数の可能性を持つ子どもたちと関われる教員という仕事は、本当にすばらしい仕事だった。
だけど、その仕事から離れるという決断をしたのは事実。だから、今いる場所で少しでも恩恵を残せるようにしたい。
noteもその視点で書けるようになればいいなと思う。今は好きなように書いているけれど、いつか誰かにとってのプラスになる文章を書けるようになりたいな。
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