暇があるから見える景色があるのだ
数ヶ月前、関東に住んでいた頃、山々の紅葉に気づかなかったことがあった。
家から駅の方に向かうと、山に対して背中を向けるんだもの。
電車内ではスマホかKindle見ているんだから。
駅から職場までは脇目も振らずに歩くよ。
帰りは真っ暗。葉っぱの色なんて見えないもの。
そんな言い訳を並べつつも、ふっと気づいたときに、葉の色がガラッと変わっていたのだ。
だからこそ、意図的に写真を撮る時間を確保した。
だけど、バンクーバーで滞在していると少し時間に余裕がある。
少し離れたところまで歩くと、今まで知らなかった景色があるんだ、って発見する。
でも、もしかしたら関東にいた頃も、駅の少し向こうの場所には知らない、だけど美しい景色があったのかもしれない。
レールがどこに向かうのか、全然知らないなあ、とか。
普段使う駅も、改めて観察すると対称性が潜んでいるんだ。
美しい景色。もう少し暖かくなったら本を持ってこういうところで読書をしてみたい。
冬はめっちゃ寒く、それが終わると花粉が飛び、雨が降り、猛暑という、1年の大半が何かと戦わなければいけない気候。外で読書という無意味な、だけどきっと豊かな時間って日本ではしづらいこと。
街をのんびり歩いていると、目に見えるものがただの信号ではなくて、景色になるんだよ。そんなことをバンクーバーで学んだのでした。
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