幼少とサナギ

小さい頃、ほんとうに3歳以下の話をここに書いてみる。実のところ記憶がないのだ。
小さい頃といわれて何をしたのかさえ覚えていない。


友達だった人との遊びはただの親戚だった人らの家に行っただけだし。親は親でケンカしているところしか見たことがない。


まあ覚えているとしたら、熱が高くなりすぎてひきつけ起こして三途の川に行こうとしたら病室だったっていうのは覚えている。





好きなことやらないの?と言われたこともなければ、面白いからやりたいと思ってやってみた体験教室もだいたい親の都合で途中で帰らされたり。

意欲的に挑戦すると親のスパルタ熱が火を吹き体験教室に入る前にやめてしまうことの方が多かった気がする。

なんというか親のやることは幼虫がサナギから蝶になる段階のときにガスバーナーで
サナギの下の部分に火をつけて
「もっと燃えろ」「もっと耐えろ」って
叫んで蝶になるための必要な部分を溶かして穴をあけて楽しんでいる。

特にそのガスバーナーで燃やしたあとの親の顔は自分が一番だと自己満足になって他の人間は ダメなんだと証明するために。



そんな幼少期を過ごしていればそうか、だから思い出が汚れていて何をしたかさえわからないのか、と
今頃気づく。

正直楽しいと思う思い出は過去にはない。

掘り返せば母親が不妊治療で腹に針さして授精した卵子をいれて妊娠させたのが私だとか

母親の3姉妹のうちのZARAと着物好きの一人が成人式を迎えた私に言い放った。好きで生まれた訳ではない。ほんとうなら三途の川に向かって歩いて死んでたほうが良かったのだ。


この世でやりたいことを声に出せば(行動)大概、否定的で。

好きなことも自分から行動を起こすことも
何もかも出来はしないのだ。
それならあの世で自分の好きなことをすれば誰にも邪魔されないじゃないか。趣味も自分一人で楽しめる。





その結論に至る。
この世は箱だ、見えない箱に入れられて真上から誰かが覗いている。 

彼らは

カブトムシとクワガタの相撲をみているのかもしれない。

トンボが生き残るために他のトンボを食べてる途中を風情だと言っているのかもしれない。

人間という細々したものが明日明後日も続く交差点で行き交う日々を無表情にくらしているのを景色のいい場所から見ているのかもしれない。



結局、生まれなければ。私は自分の好きなことを見出だせたのかもしれない。



死ぬために生きることはとても長い。

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