見出し画像

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー「幼少期篇その②」

こんにちは、Gutsヒロです。「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」へようこそ!私のブログに来ていただきましてありがとうございます!この記事を見た方には興味を持って頂ければ幸いです。

この物語は。私が小学5年生の時に経験した大きな試練から始まり、お菓子作りを通じて見つけた情熱と成長を描いています。

5年生に進級し、新しいクラスで新しい友達と出会うはずの日々。しかし一つの言葉が私の人生に大きな影を投げかけました。ある日、「お前、ハナクソ付いてるよ」と言われ、私は「え!?」と思い鏡まで行って顔を確かめたら何もありませんでした。その子に確認すると、「鼻の下のホクロがハナクソみたい」とからかわれました。するとクラスの何人かが私に「ホクロがうつるから近づくな」「ハナクソ星人」とみんなでからかい私は恥ずかしさのあまり不登校になってしまいました。思春期に入る私にとってとても恥ずかしい思いをして、人に顔を見られるのが怖くなってしまいました。親にも先生にも事情を言うのが恥ずかしく、何も言えず引きこもりになりました。時々連れて行ってくれるドライブでもすれ違う車が来る時、顔を見られるのが怖くてダッシュボードの下にうずくまって顔を隠すほどでした。

そして、半年ぐらい経ってようやくホクロのことを親に言うことができました。そしてホクロを取ることになったのですが、手術で切って取ることも、レーザー治療でホクロを焼いて消すことがあることを分かりましたが、幼い私はどれも怖いと思いました。それでもホクロを取るために勇気を持ってレーザー治療に行きました。先生は一瞬だけ痛いかもしれないけどそんなに痛くないよ。と言われましたのでホッとしました。そして、目にガードのゴーグルをつけてレーザーをいざ打ってもらった・・・

バチンッ!


とても痛かったのです。打たれた瞬間、体が跳ね上がるほどのものでした。部屋には皮膚が焼けた匂いと煙が漂っていました。鼻の下のホクロからは血が噴き出していました。私はあまりの無情に涙をポロポロ流し、レーザー治療の思いのほかの痛みに耐えられず断念しました。そして、学校に行けない日々が続きました。

しかし、この時期が私の冒険の始まりでした。人生には熱中する何かが必要です。私の場合、その熱中がお菓子作りでした。最初のステップは、姉のお菓子の本を手に取った瞬間から始まりました。その本の中には美しい写真とともに素晴らしいレシピが詰まっていました。私はページをめくり、お菓子の世界に夢中になり、いざ調理を始めると、時間が経つのも忘れてしまうほど没頭しました。

お菓子作りの真髄は、創造力を爆発させる場所でした。材料を選び、レシピを読み込み、手作りのスイーツが次第に形をとっていく様子は、まるで魔法のようでした。アーモンドが焼ける香りや、チョコレートの溶けて輝く光沢、バニラの甘い芳香が私の心を包み込むようでした。

また、お菓子作りは自分自身を表現する手段でもありました。友達や家族に美味しいお菓子をプレゼントすることは、私自身の愛情や感謝を伝える素晴らしい方法でした。それぞれのお菓子に込めた思いや、手作りの温かさが、大切な人たちとの絆を深めるのに役立ちました。

そして、小学校の卒業する日、私は「挑戦」することを実行しました。全てのクラスメイト、先生、37人全員にお菓子をプレゼントする計画です。私が不登校の時に毎日、当番でプリントやお便りを届けてくれた私のささやかなお礼でした。

メニューは
「あんずジャム入りメロンパン」
「ブルーベリーのムースタルト」
「ショートブレッド」

3つの美味しいお菓子を手作りし、それぞれに感謝の気持ちを込めました。夜通し作業し朝までかかりましたが、1つ1つ心を込めて作り上げました。特にメロンパンは発酵や焼ける数が限られていたので大変だったのを今でもよく覚えています。
それらを学校に持っていくことはできなかったので、母と叔母が手伝ってくれ、クラスメイト達は大喜びで受け取ってくれたそうです。

この物語は、私の小学5年生の挑戦から始まり、お菓子作りを通じて見つけた情熱と成長を描いています。試練を乗り越え、新しい趣味を見つけ、生きる喜びを得られたこと。恥ずかしさから逃げず、自分を受け入れる大切さを学び、友情を育みを得ることができたことは私の人生において大きなことでした。そして、一つの困難が私の人生における素晴らしい旅のスタートだったことを理解しました。


今年挑戦した、多加水のチョコレートパン



この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,675件

最後まで読んで頂きましてありがとうございました!とても嬉しいです♪ これから更新して頑張って参りたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します!