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過去の確執と現在の感謝を同時にしたためる

今では大切に思っている母と妹だが私はずっとこの二人が大嫌いだった。

10代で元カレと同棲したのも21歳で夫と結婚したのもある意味実家で暮らしたくなかったという理由も大きい。

私は寂しがりで怖がりなので1人暮らしをするという選択肢は最初からなかった。お金もなかったし。


一番古い記憶は2~3歳の頃。

母の金切声と泣き叫ぶ妹の声。

母が使ったままでコンセントを抜いて放置していたアイロンで私は悪戯をしたのだ。いつも母がやっているように洗濯物を広げて。

その洗濯物を広げた場所はまだ0~1歳だった妹の太ももだった。

妹はガッツリアイロンの形に太ももを火傷した。

しかし物心つく頃には妹の火傷は自分でアイロンを悪戯して負ったことになっていた。

完全にその話を信じて疑わない妹と自分がやった記憶の断片があった私。

小学生の頃私たちはいとこの家に泊まりで遊びに行った。

1人っ子だったいとこと3人でお風呂に入っていた時火傷の話になり、妹は「私が自分でやったん」というようなことを言っていた。

いとこは「それほんと?」と妹に聞き返し妹は「ほんと」と答えた。

「そう思ってるんならそれでいいや」と言ったいとこ。

やっぱり私がやったんだと確信した瞬間だった。

帰宅して母を問い詰めたが母は頑として妹が自分でやったと言って譲らなかった。母なりに自分が置きっぱなしにしたという後悔の念と私に余計な負い目を感じさせないようにとの配慮だったのだろう。

妹は今でも火傷は自分がやったと思っているが私は本当は私がやったのだと知っている。


小学生の頃妹はどこまでも私の後をついてきた。

友達と遊ぶ約束をしている時も泣いてついてきたがる妹を振り払えずいつも私は妹付きで友達と遊んでいた。帰宅が遅くなると妹の分も私が叱られた。

その頃父が白血病になり母は仕事と病院と自宅の往復で私たちのことを構う余裕がなかった。

一人ぼっちで小学校低学年の妹を自宅に置いておくわけにもいかず仕方なく連れて行っていただけなのにという理不尽さを子供ながらに感じていた。


中学生になった私は彼氏が出来異性に興味を持ち始めた。

母は私のいない時に私の部屋を漁って手紙を盗み読みしたり彼氏から電話がかかってきてもいないと嘘をついたり挙句の果てには勝手にコンタクトを取って娘に近づくな的なことを言ったりした。

その頃すでに父は他界していたので母は女手一つで子供たちを立派に育てなければいけないというプレッシャーでいっぱいだったのだと思う。まだ中学生に恋愛は早いと思っていたのかもしれない。

しかしやり方が根本的に間違っていたことは否めない。

その後もずっと母が私の物を盗み見する癖は治ることなく私の友人の連絡先などを勝手に私の部屋から入手して連絡なく帰って来なかったりした時は手あたり次第に電話したりした。そして私の様々な愚行は私の周りの人がさせているのだと思い込みまた自分の娘(私)の意志ではないと思い込み私に付き合う人たちのダメ出しをしまくった。

そういうことするともっともっと子供が離れて行ってしまうことをなぜ母は分からなかったのだろう。

私の愚行は全て私が選んでやっていたことで周囲にそそのかされたり影響されたりしていたことではないという事実を未だ母は受け入れようとしない。


妹は妹で当時やんちゃ盛りだった私の真似ばかりした。

私の留守中に私のクローゼットを漁り彼にプレゼントしてもらったバッグやバイト代を貯めて買ったブランドの服などありとあらゆるものを持ち出して使っていた。

母に訴えても相手にされず私は二人で使っていた広い子供部屋を出て行き半分の広さの客間に移った。

しかしそんなのは何の解決にもならない。妹は相変わらず私の部屋に忍び込んでは私の物を勝手に持って行き勝手に使っては自分のクローゼットにしまっていた。

「お姉ちゃんがタバコ吸ってたせいで私初めてタバコ吸ったの中学生」

すでに時効だと思うので書いてしまうが私は常用的にタバコを吸うようになったのは高校生の頃だ。

だからと言ってそれを勝手に背伸びして真似しただけなのに私のせいにするとは。確かに我が家でタバコを吸っていたのは私だけだったので私のタバコがなければ妹が口にすることはなかったのかもしれないが、こんな風に何でもかんでも私のせいにされるのにもほとほとうんざりした。

中学でも高校でもいつも私と比べられていたという妹。

常に「金色の妹やのに全然違うな」とありとあらゆる場面で言われていたようだ。私は姉の立場なのでそんな風に言われる辛さを分かることは出来ないが妹はそう言われるたびに私のようになりたいという憧れを抱き私の持ち物を身に付けて真似することで私に近づける錯覚に陥っていたのかもしれない。

いやだからと言って姉の部屋で泥棒を働いてもいいのかというのはまた別問題だが。


大嫌いだった母と妹だったが二人から学んだことは多かった。

人はどういうことをされると傷つくか、どういうことをされると嫌がるか、どういうことをされると許せないと思うのか。

それは他人にやられるより身内にやられた方がよっぽど堪える。

2人の数々の行いがあったから私は自分の家族に対して、特に子供に対して子供の心が離れてしまうダメな親の典型をなぞらずに済んだのだと思う。

そういう意味では二人には感謝かな。


こんな風に大嫌いな面ばかりがクローズアップされて私は永らく実家には寄り付かず二人とも必要最低限しか関わらずに過ごしてきた。

その溝を埋めてくれたのもまた私の子供だった。

母は初めて出来た孫を溺愛した。

妹も初めて出来た姪を溺愛した。

娘は夫と私と私の母と妹にそれはそれは大事にされて大きくなった。

今娘の自己肯定感が途方もなく高いのも、必要以上に自分を信じて突き進める精神力も全ては私たち夫婦だけではなく母と妹が心から娘を愛してくれたおかげもあると感謝の気持ちでいっぱいだ。

完治するどころか悪化の一途を辿る病気を抱えている母と2度目の癌になった妹。

いつまで二人と一緒にいられるか分からないが精一杯後悔のないように接していきたいと気持ち新たに思った。


昨日のメニュー

運動 縄跳び110回

朝 コーヒー1杯

水筒 インスタントコーヒー(牛乳入)

昼 社食の豚ヒレカツ(単品)・サラダ・ガム2粒

夜 サラダ・サガリ焼肉・ほうれん草のナムル

晩酌 350ml缶ビール2本

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いつも読んでくださってありがとうございます。

早くも葉物の野菜がなくなりました…

私の経験や考え方が少しでもお役に立てたなら嬉しいです(◍•ᴗ•◍)