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学歴はないよりあった方がいい

娘には習い事をさせていなかった。

本人がやりたがったらさせようと思っていたが娘から習い事をしたいと言い出すこともなかったので私たちも特にそこは重要視していなかった。

娘は小3で算数に躓いた。

私は学校の勉強を復讐させてくれる学習塾を探したが夫は通信教育で充分だと言う。夫自身通信教育の教材で勉強していたらしい。

夫が監督してくれるというので通信教育を始めた。

ちゃんと親用のカリキュラムなんかもくっついていてそれを見て指導出来るようになっている。

ルーチンワークの得意な夫は毎月届く教材を日々に割り振って娘にさせて採点をして分からないところを指導していくという役割を楽しんでやっていた。気長な夫は娘が分かるまでじっくり取り組んでくれた。短気な私では絶対に出来なかったことだ。

小5の三者懇談では中高一貫校を勧められるほどに娘の学力は伸びていた。

中高一貫校。いいねー。国立大狙えるんじゃ?

娘が友人たちと離れることを嫌がったので中高一貫校を受験するという選択肢は消えてしまったが。

小学校を卒業する時娘の成績は全て「よく出来る」だった。

※余談だが私も小学校卒業当時は全て「よく出来る」だった。

中学生になり難しい年頃になった娘は通信教育を夫に監督されるのを嫌がった。自分で全て取り組みたいという。夫は若干心配していたが自立の第一歩としてやらせてみることにした。

夫の危惧どおり通信教材を貯めこむようになり少しずつ成績は降下しはじめた。中1の頃にはトップ10に入っていた娘の成績は中3になる頃には中の下レベルになっていた。

娘には行きたい高校があった。珍しい部活がありそこに入りたいという。

中3の面談では特に何も言われなかったので私も娘も進学先はその高校になると思っていた。

特色選抜試験で娘は志望校に落ちた。

担任にうるさく言われて渋々併願で受けた「特進コース・進学コース・就職コース」のある私立校で受かったランクは「就職コース」だった。

娘が行きたがっていた公立高校は進学コースレベルだった。

これはマズイ。

一般試験でもし志望校に落ちたら二次募集を受けることになる。

私たちの地域には二次募集校はなく電車通学になるうえ非常に遠いので脱落して退学する子が地域に何人かいるのを見ていた。

公立校のランクを落とすしかない。

幸い地域に行きたがっていた公立高校より少しランクの低い公立高校があった。

それでもどちらかというと私立校でのランクは「進学コース」

中3の1月という致命的な時期に受け入れてくれた塾がありそこで猛勉強して娘は何とか地元公立校に合格した。

元々希望していた高校ではなかったけれど娘は気持ちを切り替えて学校生活を楽しんでいた。私も出来る限り応援した。

受験に失敗したという気持ちや行きたかった学校に行けなかったという気持ちを引きずらないように楽しいことに目を向けている娘に出来るだけ寄り添えるよう部活の試合観戦に行ったり友達との出来事を語る娘の言葉に耳を傾けて共感するよう心掛けた。


子供の頃から娘にはこれという夢や将来の展望がなかった。

例えば看護士になりたいとか保育士になりたいとか美容師になりたいとかそういう明確な希望があればそれに向かって邁進すればよいし私たちは全力で応援するスタンスだったがそれがないのであれば私は大学進学した方がよいと考えた。

中学の時の失敗談から学校の成績を維持させる方法として今度は学習塾に頼ることにした。高校に入学した時から3年間塾通いをさせた。娘は元々真面目なので渋々ながらも塾に通い続けた。懐はかなり痛かったが学校に部活に塾と娘も大変だったと思う。

私の友人の子に何人か親が何も言わなくても塾にも行かなくても自発的に勉強をしてよい成績が取れる子がいる。

これはもう個人の性格というかスタンスというか親がどうこう出来るものではないと思う。

娘は残念ながら努力が嫌いで楽な方に流されるタイプ。勉強も決して好きではない。

ならば別の方向から大学進学に目を向けさせよう。

一緒にオープンキャンパスに行き綺麗な学舎を見て校内にあるカフェや食堂を利用して素敵だねぇこんなところに通えたらいいねぇという方向からアプローチしてみた。

更に高校卒業して就職したらその先ずっと同じ毎日。例えば私のような。大学に行くとあと4年間将来を考える時間が増えるよなどという方向からも攻めてみた。

それまで将来を何も考えていなかった娘は徐々に大学進学を視野に入れ始めた。娘が大学進学を視野に入れたのは私の助言が効いたのかそれとも自身で何か思うところがあったのかは定かではないが私自身に出来ることはそのくらいだったので一生懸命取り組んだ。

本人にその気や素質があればよかったのだが残念ながらなかったので国立を目指させるところまで私が導くのは無理があった。それならば出来ればある程度ネームバリューのある大学に行けるといいなと思っていた私の意を汲んだのか娘は私が思い描いていたランクの大学に志望校を決めた。

高3になり部活が終わると本気で勉強を始めてぐんぐん成績が上昇した。学校からも塾からももっと上の大学が狙えると言われた。

ちょっとやって上手く行けばなーんだ簡単じゃんってナメてしまう娘の性格を熟知していたので上のランクは難しいとは思ったが本人の好きなようにやらせた。

滑り止め1校と本命と上のランク1校に的を定めて娘は公募入試を受けた。

結果受かったのは滑り止め1校。とりあえず大学浪人はこれで免れた。

その後センターでは本命校も上位校も不合格だった。

一般前期も同じ結果。

だんだん娘のテンションが下がって来た。滑り止めでいいからもう勉強したくないという娘に落ちてもいいから最後まで挑戦しなさいと激励した。娘の友人たちはほとんどが専門学校や短大ですでに進路が決まっていたので孤独な戦いになった。

私自身も何度ももう滑り止めでいいよと言いそうになったが子育て最後の正念場としてそれだけは口に出さないよう必死だった。

一般中期で本命に受かった娘が就業中にかけてきた電話を私は一生忘れない。

受話器の向こうで泣きながら報告してくれる娘。

仕事中の私ももらい泣きした。

頑張ったね!本当に頑張った!

これで私の娘への干渉はおしまい。

あとはのびのびキャンパスライフを謳歌して。留年と就職浪人にだけ気を付けて自由にすればいいよ。

ピアスいっぱい開けたり髪金色にしたり。友達の家に1週間泊まったりテーマパークやLIVE行きまくったり。

アルバイトも色んな業種経験して知らない業界覗くのもいいよね。思わぬ出会いがあるかもしれない。

私は高校を中退して上記のことは一通り経験した。なんならもっともっとはっちゃけた毎日を送っていた。あの日々があったから今があると思っている。

娘にもいつも言っている。今しか出来ないやりたい事は今のうちに全部やっちゃえ。

大学1年生前期後期共に娘はフルタンだった。

LINEで可愛いスタンプをたくさんくっつけて報告してくれた。

大学行って本当によかった!すっごく楽しい!

娘の楽しそうな姿が見れてよかった。

高校中退の私が子供を大学生にするというミッションは難しいことの連続だったけれど今達成感で溢れている。

ありがとう娘。最高の子育てが出来て本当に幸せ。

この先は自分で将来を切り拓いて行くんだよ。陰からずっと応援してる。

私の経験や考え方が少しでもお役に立てたなら嬉しいです(◍•ᴗ•◍)