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速読は甘美な響き也

「速読」。この甘美な響きに読書になやむ人々は一筋の希望を見いだし、夢を託すことでしょう。

しかし、いざ速読を習得した者はその効果の範囲を知っており、東大に受かった学生が「東大は大したことがない」と言うように、その効果を得意げに言い散らすことはありません。

その理由は、拾った言葉を頭の中でつなぎ合わせ理解することが「速読」の本質だからです。本を早く読むこと自体に意味があるのではなく、速読より得た知識や見識を役立ててこそ意味がある。

凡庸な人間が「そこそこの努力」で速読らしきものを身につけたとしても、言葉の意味や使用された背景を理解しなければ、得るものはありません。役立てることもありません。もし得たものがあるとすれば、それは本を読んだ冊数を誇ること。それは残念ながら張子のトラ。

速読とは本の「題名」や「目次」や「後書き」より著者の主張を推測し、本文の中から関連する言葉を拾い、それらを著者の気持ちになって素早く意味を再編成することにあります。故に、読書の基礎力が必須です。

現代人はとかく忙しく、そして手早く快感を得られることに慣れています。速読の技術を習得することも、その一環として策する人もいるでしょう。しかし、それはモノグサでしかありません。

遠回りになるかもしれませんが、速読を望む人こそ読書にドップリ浸かり、言葉の海で夢を見て、体を使い深く読み込むことが大事かとおもいます。それが楽しければなによりです。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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