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苦しいことを苦しいことだと受け入れて、愛でていくために没頭して磨かれた魂の色が好き

自分が苦しみに敏感なことにどれだけ感謝しているか

さぁ、苦しさを感じられない人間の無知さにせいせいしながら、魂について考えよう。

QOLという言葉が叫ばれて久しいが、生きている時のQOLとQOSの調和(調合)の大切さについて最近よく考えている。(QOSは、Quality of Spiritの略)

日本語にして話そう。「生活の質」は大切だが、「魂の質」も大切だろうという話だ。(魂に「質」という言葉が適切かの議論はここでは省く。)

例えば、世の中には風呂にも入らずに何かに没頭する生き物がいる。

全てを捨て去って,全てを投入して,それで自らも捨て去って,全力で自分を破壊しようとして見える気持ちよさへと惹かれる,それでいて全く自己肯定感のない人生を愛したあと全てを吐いて沈んでしまえ.── 落合陽一

例えば、宮崎駿とか、庵野秀明とか、イチローとか、あれ、全然思いつかないけど、''一流''の多くは「苦しみ」よりもそれを破壊するくらいの没頭の先に見えてくる魂の色を追い求める生き物な気がする。

それは効率を求める近代的な話ではなく、時代を超えて通底する''全''的なものの一部に没入していく作業というようなイメージだろうか。

そしてそういう生き物が時代を変えてゆく。我々は先人のそういう生き物が築いた何かの上で生きている。

ここで言いたいのは一流になりたいなら、それくらいやれとかそんな近代精神論的な話ではない。

マジョリティである凡人(つまりそこまで火の着くものを見つけられない。もしくは幼少期にその素養を身につけなかった人)は、魂の色を寂びさせていくこと(QOS追求)と、ある程度の苦しみからの逃亡(QOL追求)のバランスを考えるのがいいかもしれない。今日はそんな話。

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