【『趣士村』の核心-「趣」と「美意識」】
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【『趣士村』の核心-「趣」と「美意識」】


今日は「趣」ってなんや!って話をします。マジで何言ってんのかよく分からんことを書くからテキトーに読んでね。

まずは1時間、時間のある時に、下のリンクの動画を見てください。
WEEKLY OCHIAI特別編 「日本の美意識」を語る 
(NewsPicksの会員になってない人はなると見れます。学生は500円くらいでなれます。僕はWEEKLY OCHIAIを見るために入っています。)

美意識を考える

僕は、よく思う。
「趣のあるものは則ち美しいなあ」と。

「趣」を考える時に、対象の背景に「物語」が含まれているかは1つの条件となると思う。例えば、絵画1つとっても、その裏に画家の人生と心の複雑さがなければ、そこに「趣」はないように思う。(じゃあ赤ちゃんが描いた絵には「趣」はないのかという議論になるがそれはその瞬間は趣はないが500年後には趣のあるものになるだろう。)

そう考えると、「趣」とは「侘び寂び」に通ずるところがあるよね。

「趣」…物事の風情をしみじみと感じること。

物事をしみじみと感じようと思ったら、そこに「奥深さ」がなければ、「しみじみ」とは感じないよね。

「侘び寂び」…貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識、閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ

つまり、謙虚な心、優しき心と、現実が対峙する心の葛藤があり、何度もそれが重ねられて、結果それはいずれ落ち着いたものになり、そこからはもう深みや豊かさがおのずと美しさとなって感じられてしまう、ということ。

これを感じられる人は則ち趣のある人。

趣のある人も則ち美しい人。

この美意識で物事を抱擁できるようになろう、というのが趣士村塾の目的の一つだ。

「東洋的」×「西洋的」

「僕らはせっかく日本に生まれたのだから日本的な東洋的な美意識を最も尊重すべきだ」とは、僕は思わない。

40年前ならそう思ってたかもしれないが、グローバル化して、東洋的西洋的中東的…もう様々混在している今の混沌世界では、全てを網羅する可能性を持っていた方が面白いと僕は思ったりする。

動画では、
東洋的なのは、「異質なものを組み合わせて編集している」
西洋的なのは、「ツルテカ」
と表現されている。

何が東洋的で、何が西洋的かは、是非ともダイアログ(趣士村塾で週一くらいで開かれる対話時間)で見つけ出していきたい。はたまたもっと違う「中東的」のようなものもあっていいとも思うし。

これは宗教観も絡んでくる。

「概念」×「具体」

美意識を感じる時に、
「概念的」なぼんやりとした「美しさ」と、
その中の個別「具体的」な複雑な「美しさ」の、両方があるよね。(マクロ×ミクロ的な)

例えば、「日本食」にしても、文化的伝統的な「美しさ」と、味噌汁というものの「美しさ」があるよね。後者の「美しさ」は前者の「美しさ」の中に内包されているから一見同じ「美しさ」に感じるが、言語化していくと、全く異なる「美しさ」として知覚出来ると思う。

「外面」×「内面」

対象物の「外面」の美しさと、「内面」の美しさも、両方あるよね。
例えば、五重塔は、外から見たら5つも屋根が重なっていて、それはその外面だけでも貴重な「美しさ」がある。一方で、内面を考えれば、形がそれぞれ違う木々が一つ一つそれぞれの役割を担い、組み合わさることで支えあっている、という「美しさ」がある。

「美しさ」を思考する時の視点循環

「趣」則ち「美しさ」を考える時に、ありとあらゆる視点から見れる必要があると思う。

ここでは、「東洋的」×「西洋的」、「概念」×「具体」、「外面」×「内面」の3つしかないけれど、他にももっと細かくわけていければ面白い。

建物一つ見るにしても、
「東洋的」×「概念」×「外面」の視点から見ると、見た目はツルテカだけど古いから黒ずんで寂びているところがよく見るとあって、立地的にも設立目的的にも面白いし、ふと見た時の異様感もあるという美しさがあるなぁ。同じ建物を「西洋的」×「具体」×「内面」の視点から見ると、外はツルテカで素材も均一なものを使ってて、一つ一つの窓はちょっと模様が入ったガラスでできていて、中に入ると綺麗に光が差し込んでいる美しさがあるなぁ。って感じ。

もっともっと多くの要素を掛け合わせて、ありとあらゆる視点をグルングルンしながら美しさを知覚できるようになれば面白いのかなと思う。

「趣」を大事にしたい

ただ、ここまで言った「視点グルングルン知覚」はたぶんこのコミュニティのメンバーなら、日常的にやってるし、大事にしてることだと思う。ひとつの視点からしか「美しさ」を知覚できない人は、ここにはいない気もする。

それでまぁ、これまで通りそれを大事にしながら、
今言った、ありとあらゆる視点から対象を見て、どういった「侘び寂び」があるのかを考えることが、この塾ではやってみたいことの一つだ。

「『外面』×『内面』から見るとこの出来事は、〜で〜な侘び寂びがあるなぁ」という感じ。

これは、モノだけでなく、コトに関しても同じだと僕は思ってる。

行動とか心理にも、様々な視点から見た「侘び寂び」を考えてみて、″道″を考えていく上での手掛かりにしていきたいと思うのだ。

こいつ何言ってんだ?て感じだと思う。僕もよく分からん。だから、次のダイアログでみんなでわちゃわちゃ話してみたいと思う。

次のダイアログのテーマは、
「美意識」と「趣」と「侘び寂び」について。


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南大樹が今考えていることを純度の高い状態で綴っています。  全体を観て物事を語り、絶望して絶望を愛でていく、アーティスティックで深淵な内…

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南大樹

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