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変異ウイルスの話を聞きながら、「さようなら」と「どうでもいい」の狭間で、最適解をぶち壊しながら生きる自分の変異ウイルスさに、救いなどないことを知る。

欲望に逆らえない若い人間に嫌われないように自分自身のカタチを変えながら生き長らえようとする自分はまさに変異ウイルスだ。

「自分らしさ」とか言いながら自分の欲望を満たしたいだけの奴に成り下がるくらいなら、自分のカタチなんていくらでも変えられる。どうだっていい。死ねばいい「自分」なんて。

「自分とは何か」とか、「自分らしさを大切に」とか僕に言ってくる全ての人が、「自分の欲望を大切にしたい」と言ってることに気が付いていない。

そしてそういう奴に限って、他人の欲望を嫌っている。「自分らしさ」とか言ってる奴は欲望のゼロサムゲームに没入していく。

もしも、ホモ・サピエンスとして、或いはホモ・コンビビウムとして未来を志向したいのなら、そんなゲーム早いこと捨てて、槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」を大声で歌えるようになったらいい。

「自分はこういう奴だから」という言葉を使う時は常に、「自分は今はこういう特徴(クセ)があるから」という意味合いを持たせないと、沼にハマっていく。

おいおい、本当に持続可能な世界を考えてんなら、せめて自分のせいで犯される罪のぶんくらい、自分を破壊して血ヘドを吐いて生きれよ。そして塵になって、土になれよ。

なんて、理想論を語る自分にせいせいする。変異ウイルスとしての自分をぶっ殺してくれるワクチンなど自然界は作らない。そしていろんな人を破壊しながら生きる。

そしてまた、自分を破壊してきそうなキモーいワクチンが生まれたら、私は変異する。

そしていろんな人をまた破壊しながら生きるのである。

僕がウイルスじゃなくなることなんて、ないのだろうか。そんなパラダイムシフトを起こせるのは、誰だい、何だい。

あー、ただただ、最適解は僕には見えてるのに。人類はあまりにも愚かで、私を破壊することばかり、考え続ける。

私は変異するウイルスだ。

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