見出し画像

天地返しをしながら鈴木大拙の日本的霊性を聞いてたら、今年の目標を達成してしまった。

2021.01.01
今年の抱負を書き込んだ。

今年は、1+1 が、2ではないような、そんな年にしたい。

こんな目標を立てたことを今の今まですっかり忘れていたが、今日、突如、達成してしまったようだ。

それは、鈴木大拙の『日本的霊性』を聴きながら、たまねぎの選果をしたり、開墾のための天地返しに勤しんでいた時のことだった。

自分自身、ちょうど大地性に回帰していたところだったので、この本の内容がスムーズに入ってきた。途中少し耐えられないほど南無阿弥陀仏の鬼リピ期間があるが、それが心の底からの理解を抉り出すためのものであることがだんだんと分かってくる。なんとも不愉快で愉快な本だ。

「1+1=2」ではないような

と、いう目標を立てた訳。

これはとても直観的なものだったような、いや、天命というべきような感じだろうか。

死に向かっている、ちょうどその真最中に、「1+1=2」という事実に耐えられない状態に陥ることが何度かあった。自分でもよく分からないが、この世界が、「1+1=2」で駆動していることが気持ち悪くて気持ち悪くて、吐き気がして、最高に気持ち悪かった。

僕は、「1+1=2」だと信じて生きていきたくなどない、圧倒的に拒否していた。

数学的な話ではあるが、きっとさらさら数学的な話ではない。つまるところ、「○○だが、○○ではない。」という文章にパラドックス性を見出すしか術がない人間には分かりっこない話。

あなたとわたし。

あなたとあなた。

わたしとわたし。

あれとこれ。あれとあれ。これとこれ。

生と死。生と生。死と死。

天空と大地。天空と天空。大地と大地。

夢と現実。夢と夢。現実と現実。

質量と虚無。質量と質量。虚無と虚無。

意味と誠。意味と意味。誠と誠。

全と一。全と全。一と一。

まあ、つまるところ、1+1

これは、本当に2だろうか。
なんでマジョリティは2としか言わず盲信しているのだろうか。

ああ、気持ち悪い。

ああ、気持ち悪い。

この社会を形作るあらゆるフレームに吐き気がする。

という文脈もあり、今年は、1+1=2ではないような、そんな年にしたかった。

ここから先は

983字
この記事のみ ¥ 500

大丈夫.