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誠実性をあえて求めない時があってもいいではないか

2020/6/22

【寂しさを消す】

やあ、インプットと社会実装のバランスが崩れてる時は、虚無的になるなぁと思っています。

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▼事実を伝えなくても良い時
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生きてるとよく、事実と違ったことを事実だと認識されて、それによって誰かが喜ぶような場面に出くわす時がある。

例えば、
ある会社にAさんとBさんとCさんがいる。Aさんは取引先との会議で大事なプレゼンを控えている。このプレゼンが上手くいけば、取引先と大口の契約を結べることになる。Aさの同僚のBさんは、Aさんのために、何日もかけてプレゼンでAさんが指摘されるかもしれない大切なデータを一生懸命探し集めて資料にしていた。しかし、プレゼン当日、Bさんは、体調を壊して出勤できず、資料を渡せなくなってしまった。そこでBさんはCさんに頼んで、資料をAさんに届けてもらった。CさんはAさんに資料を渡す時に、Bさんが作ったものだと言おうとしたが時間が無くて言いそびれてしまった。
プレゼン後、BさんがAさんにどうだったか尋ねると、Aさんは、「Cさんの作った資料のおかげで大成功して契約成立できたんだ!」と、とても喜んでいた。

さて、Bさんは、この時、どうするのが良いのだろう。もちろんこの問に正解はない。

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大丈夫.