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あの子は「キャパが少ないなら論理的になれ」という。あの子は「キャパが少ないなら周りが寛容になれ」という。あなたは一体どこまで手を差し伸べますか。

複数のタスクをこなしながら、けっこう世界を溶かして見れる人がいる。1つのタスクに集中していても、わりと世界は溶けている(繋がっている)ので、他のタスクや人間関係やなんやかんやをあまりにも残忍に傷つけることはない。

一方で、あらゆるタスクを箇条書きに並べたてては世界を分断し、集中する度にほかの世界の音が雑音にしか聞えなくなる人もいる。

この2つを分かつのは、どちらかというと後天的な話だろう。近代教育にある程度抗いながら、その無意味さに客観的に唾を吐いて生きてきた人間は、わりと前者に寄る気がする。

一方、小学校や中学校、高校で忠実に勉強やらなんやらに取り組んできた人は後者に寄る。

これはあくまでどっちがいいとかどっちが悪いとかそんな話ではない。どちらでもよく働く場面と悪く働く場面はあるはずだ。

考えたいのは、両者が共生する上での関わり合い方だ。

前者の「世界は1つくん」からすれば、後者の「世界を分かつくん」には、「論理的に説明責任だけは果たして欲しい」と願うだろう。

キャパの少なさを責める反多様性主義者はほっといて、思慮深い「世界は1つくん」にとって、「世界を分かつくん」はもはや愛おしい。だが共に生きること、共生していくことを考えると、やはり「世界を分かつくん」は残忍に人を傷つけてしまうことがあるので、それを受け流す準備をする時間をください、と思う。

ここで、「論理的に説明責任を果たせるか」という別の指標が出てくる。

「世界を分かつくん」の中でも、「論理的に説明責任を果たせるちゃん」と、「直感的にマイペースに生きたいちゃん」に分かれる。

「論理的に説明責任を果たせるちゃん」は、例え何か一つのことに集中するとしても、「なぜそれに集中するのか」や、「今からこれに集中したいです」と、丁寧に説明することができる。そうすれば、思慮深い「世界は1つくん」も「なるほど!それは応援しよう!」となるだろう。

一方、「直感的にマイペースに生きたいちゃん」は、異世界の人物から説明を強いられるととんでもないストレスを抱えてしまう。ストレスを抱えれば抱えるほど、論理的に思考するキャパも消えてしまう。そして、突っ走った先には、「孤独」が待ち受けている。思慮深い「世界は1つくん」は深く傷つき、いつの間にか視界から消えている。「直感的にマイペースに生きたいちゃん」は、思慮深い「世界は1つくん」が、どれほどまでに自分のことを気にかけてくれていたか、愛してくれていたかなど知る由もなく、「嫌なことは嫌です」と言って生きていく。

別に、何が悪いとかの話ではない。今回は、「共生」をテーマに話をしているので、その点では、やはりこの多様な人がいる世界で、歩み寄ろうとしてくれてる人がいるのに、勝手に分断して知らぬ間に無残に傷付ける「直感的にマイペースに生きたいちゃん」は大変だ。

いや、待てよ、「論理的に説明責任を果たせるちゃん」って、「世界を分かつくん」の中で存在するのだろうか?そもそも、「世界を分かつくん」である時点で、「論理的に説明責任を果たす」なんて不可能なのではないか?いや、これは、僕は矛盾した状態で共存すると踏んでいる。

一見すると、確かに世界を分かちてる時点で、そいつは論理的に説明責任など果たせない人だとも取れるが、順序が逆ならどうだろうか。つまり、普段は論理的に説明責任を果たせる人間のはずだが、突如、「世界を分かつくん」になってしまう時がある、という手のやつだ。

「世界は1つくん」からすれば、これが1番怖い。普段は、溶け合って論理的に語り合えていく人間が、突如「あなたと私は違うので、嫌なものは嫌なので、それ以上近づかないでください。」と言われるのだ。こうなったら、もう何を言っても話は通じない。何かすればそれが全て相手のストレスになるだろう。

そう。それでも、思慮深い「世界は1つくん」は粘る。頑張る。

さて、考えるべきはここだ。

思慮深い「世界は1つくん」からすれば、放っておくのが心の健康的には最善だろう。「世界を分かつくん」からしても、放っておいてもらえた方が健康的だろう。

しかし、この世界には、「今はそうするのがベストだが、そうしてしまうと数年後にとんでもなくエグい痛みを生むぞ」ということが数多ある。その場合に、「世界は1つくん」は、どう行動したらよいのだろうか。

例えば、不倫。「世界を分かつくん」が、正妻の他に女を作ったとする。思慮深い正妻である「世界は1つくん」からすると、「まぁ、あの人が幸せならいいか。」と思うだろう。(そんくらいには思慮深い設定です。)

だが、しかし、どうしたって、数年後にクソ汚い臭い問題をこの世界に生み出すだろうことは、わりと容易に想像できる。そんな時に、不倫をされた「世界は1つくん」は、どうすればよいのだろう。止める?別れる?それとも?

今の健康を指標とした最適解としては、別れて「世界は1つくん」が不倫くんの世界から消えることだろう。しかし、それは数年後にも、その不倫くんの健康にとって最適解なのだろうか。「世界は1つくん」からすれば、自分じゃないと不倫くんを本当の意味で救い続けられないということはわかっている。

今の最適解と数年後の最適解は違う。そんな時に、この共生する気のない不倫くんに、一体何を伝えてあげられるだろうか。消えるなら消えるで、一体何を残してあげられるのだろうか。

今のところの僕の回答は、消えずに、お茶をたててあげながら、「目の輝きは忘れずに、老いなさい。」と一言だけ言い続けること。

です。

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