見出し画像

これまでの過去と、これから

独立してちょうど半年ほどになりますが、ありがたい事に仕事も少しづつ増えSNSなどでもトレーニングやトレーナーについて質問や相談をいただくことも多くなりました。

そこであらためて簡単な自己紹介ができればと思い記事を書いています。
今まではSNSで話してこなかった過去とこれからについてまとめていますのでぜひご覧ください。


高校時代の大怪我がこの道に進むきっかけ

青森県平内町の茂浦というど田舎で学生時代を過ごしました。山と海に囲まれた場所で、その地域にはコンビニもスーパーも信号もない漁師町です。小学校では周りの影響から野球を始め、中学校も野球か剣道という選択肢しかなかったので野球を続けました。

雪国ということもあり、冬の野球ができない時期にはスキーや卓球、柔道など色んなスポーツを経験し、外で遊ぶことや体育などとにかく身体を使う遊びが好きでした。田舎だからか地域の繋がりがあり、周りの人たちはとても優しく、伸び伸びと過ごせたのを覚えています。内向的で人見知りな性格でしたが、自分が決めたことそこに対する努力は惜しまず、かなりの負けず嫌いでした。よく1個下の弟とゲームをして大喧嘩したのを覚えています笑

高校に入り部活の選択肢が広がると、当時中学校の仲間との間でサッカーが流行っていたのでサッカーの道に進もうと決意。スパイクも買ってもらい、春休みには練習に参加させてもらったりしていたのですが、しょうもない理由でサッカー部ではなくバスケ部に入部。今思うとかなり自分勝手で親にはとんでもなく迷惑をかけました…笑

「なんとかなるでしょ!」という楽観的な部分や、協調性はありつつも芯の部分にあるエゴはこの時から変わっていないなと思います。そのせいで周りに迷惑をかけることもあったと思いますが…ちなみにストレングスファインダーという強み発見のツールがあるのですが、2年ほど前に受けた結果がこちら↓

①学習欲
②自我
③調和性
④着想
⑤慎重さ

これらも恐らく幼少期の体験が影響しているんじゃないかと。

そしてバスケ部に入るという選択が自分の人生を大きく変えるきっかけになりました。バスケにかなり熱中し誰よりも練習し人数が多いチームではなかったですが、初心者からスタートしてスタメンで出場できるレベルまで成長。
高校2年生の冬ごろから左足のアキレス腱に痛みが出ることが多く、当時は何も知識がなかったし、周りに教えてくれる人がいなかったので、病院で注射を打ってもらい誤魔化しながら練習を続けていました。

その結果高校3年生の春にアキレス腱断裂。

最後の大会にも出られず、人生で一番の挫折を経験。ただこの経験からアキレス腱断裂について猛烈に調べ、「チームに見てくれるトレーナーがいたら怪我は起こらなかったかも」「自分のように怪我で悔しい思いをする人が減るかもしれない」と考えトレーナーの専門学校に行くことを決めました。進学校だったので就職や専門学校に行く人は数人しかおらず、担任の先生には猛反対されました笑
ただ一度決めた想いは変わらず。ここでも自分の選択を尊重してくれた両親には感謝していますし、今の自分があるのは両親のおかげだと思っています。

現在指導の対象はアスリートではないですが、怪我が起こらないようにという部分などはこの時から変わっていません。


トレーナーとしての経験と青森に戻ってきた理由

専門学校で2年間勉強し仙台の会社に就職しました。就職活動もまともにせず専門学校時代もバスケに熱中していた自分は、卒業する年の3月に就職が決まりました。学校の先生に紹介してもらい「面接を受ければ受かる」という、今考えれば大丈夫?と思うようなところに入社。その会社は総合のジムやパーソナルトレーナー業、マシン販売、スポーツショップなど幅広く事業を行っており、沢山の経験をさせていただいたので今となっては本当に感謝しています。

最初の1年は、ジムでの安全を確保する仕事やプール監視、スタジオインストラクター、パーソナルストレッチなどがメインでトレーナーとしての仕事はわずかでした。

就職して1年が経った頃、転勤の話があり転勤先は福岡。(仕事内容もトレーナー一本に)かなり迷いましたが、「転勤でもないと福岡に住むことなんてない」という軽い思いで転勤を決意。ただ転勤の前に胃腸炎になるなど、精神的なストレスはあったんだと思います…笑

ただここでも転勤が人生を大きく変えるきっかけが。福岡で働き始めて半年ほど経ち、職場の先輩から「ベストボディジャパンという大会があるから一緒にでない?」と誘われた事です。最初はステージに裸で立つことに抵抗がありましたが、せっかくトレーニングしているから出てみることに。そして、何の根拠もありませんでしたが優勝するという目標を掲げ日々生活を送りました。そしてここから筋肉にのめり込んでいきます笑

その時大会までにとった行動がこちらです↓

・とりあえず出る大会について調べまくる
・あるブログに辿り着き全記事を読み漁る
・その内容を全て真似る
・市民体育館のジムでマッチョのおじいちゃんと友達になる
・そのおじいちゃんの紹介でコンテスト経験があるトレーナーさんと出会う
・その方のパーソナルを受け始める
・先輩の紹介で日本大会出場選手を何人も出してるトレーナーさんと出会う
・その方にオンラインでポージングチェックをしてもらう
・全国で活躍している多くのモデルさんを見てる方にステージングを習う
・タンニンングに投資しまくる
・事前対策セミナーを受ける
・初めてインスタで発信する
・インスタで本名を出す
・ネイチャーチャレンジに応募→優勝
・ゴールドジムのボディビルダーを紹介してもらいアドバイス貰いに行く
・会社やお客さんに宣伝しまくって自分にプレッシャーをかける
・社内ニュースみたいなので全国の店舗に知られる
などなど

今こうやってまとめると自然と「優勝する」ための行動と決断を繰り返していたんだと自分でもびっくりしています。この大会出場がその後出会う人や行動、決断などこの時の体験が全てつながっているなと後から気付きました。そして、これを機にフィットネスが自分の人生の軸となりました。

さて大会の話で熱くなりすぎたのでトレーナーの話に戻りましょう笑

その後また関東転勤もあり、仙台・天神・大橋・銀座・横浜・みなとみらい・戸塚計7店舗でパーソナルトレーナーとして活動させていただきこの時の経験が自分のトレーナーとしての土台を作りました。

もともと地元青森で働きたいと思っていましたが、専門学校在籍時は青森でそんな就職先もなく。最初の会社で約5年ほど働いていた時、青森にエニタイムフィットネスができるというのをホームページで見つけ、まだ求人は出ていませんでしたがすぐに問い合わせをしました。後から聞いたのですが、店舗への初めての問い合わせだったようです。本当に奇跡的なタイミングでした。

青森に24時間ジムができるという事は、当時かなり新しいことで青森のフィットネスを盛り上げるきっかけになると考え、そこに携わりたいという思いからアルバイトの面接を受けにいきました。

アルバイトだったので収入面でもかなり落ちるし、関東に住んでいたこともあり不安もありましたが、この時は新しいことに挑戦するというワクワク感が強かったです。その後半年ほどで店長になり、青森と秋田の店舗を巡回してスタッフの教育をするトレーナーという役職も兼務しました。


本当にやりたい事に気づく

元々エニタイムでは店長なんてやる予定はなく、アルバイトしながらトレーナーの仕事をしたいと考えていました。しかし店長になりスタッフの研修や他店舗の巡回をする中で人に何かを教えることや、その教えた人が現場で活躍したり楽しそうに仕事していること、またその先のお客様の喜んでいる様子をみてとてもやりがいを感じました。

その時コーチングを学び始めて、時には空回りしていましたがスタッフが働きやすく強みを活かして力を出しやすいようにと考えるように。どんなことが得意なのかやどんな時にどんなサポートが必要かなどを考えながら関わることでスタッフが成果を出すのを見て、「これ自分がやりたいことかも」と気付きました。(店長になってから約3年間で大学卒業の理由以外で退職はなく、会社で唯一一年半以上離職率0%を達成)

自分がパーソナルトレーニングでお客様を指導するよりも、これからトレーナーになりたい人やトレーナーだけど学びたい人に関わることでより多くの人をサポートできると考えるようになり、そんな人の成長のプロセスに関わっていきたいと強く思うようになる原体験となっています。

思い返せば、今の自分があるのは両親やトレーナーになりたての頃研修してくれた上司(自分の師匠です。)、独立するにあたり後押ししてくれたコーチや仲間など、成長の過程に背中を押してくれる存在がいました。1人での決断や行動にはかなり勇気が入りますし、そこで多くの人は止まってしまいます。今度は自分がサポートする側として、本気でトレーナーを目指している人や指導で悩んでいる人の助けになれればなと思います。

約10年間フィットネス業界に携わり、自分自身のフェーズも変わり教育や育成をしたい。という本当にやりたいことに気づくきっかけになりました。


約10年フィットネス業界にいて感じた違和感

フィットネス業界にいて感じた違和感もやりたいことに気づいた理由の一つです。

専門学校時代はとにかく暗記するように解剖学の知識を頭に叩き込み、目標であった「JATI-ATI」という資格を取得しました。

しかし、実践にその知識を活かせたかというと全くそうではなくて、実際はパーソナルトレーナーとして現場に出てからや、ボディメイクコンテストに出場するなどアウトプットしながらの方が学びの質が上がり、学ぶことが楽しくなったのを覚えています。ただ学ぶのではなく、実践への応用ができないと全く意味がないということに気づきました。

そして、専門学校を卒業してからもセミナーへの参加したり、パーソナルトレーニングを受けたり、参考書やオンライン教材を購入したりと自己投資していく中で、

「この内容って解剖学を無視してない?」

というような疑問も沢山出てきました。フィットネスブームが加速していく中で、誤った情報が広まることも多くなったように思います。トレーニングに正解はないので、それがご自身のトレーニングに役立っていればいいですが、それが原因で怪我をしてしまうことも少なくはありません。

トレーナーになりたての頃の自分もそうでした。

トレーナーになりたての頃は、今ほど知識も無く勉強もしていなかったので、自分の経験則やYouTubeをみて得た情報で指導していました。今思えば、ただの感覚に頼った指導で何の根拠もありませんでした
当時はそれを何も問題視していなかった事を考えるとゾッとします。同じように悩みを抱える方や、「まだ知識がない」ということに気づいている方がいれば、学ぶことでそれが解決され前に進めるかもしれません。


これから

今年の6月にフリーランスとして活動し始めたので、現在独立して半年になります。これからもパーソナルトレーナーという仕事は継続していきますが、同時にパーソナルトレーナーを育成する事にも携わっていきたいと思います。

今世の中には様々な知識があり、何からやるべきか?本当に必要な知識はどれか?混乱してしまうこともあります。自分自身が専門学校時代、先ほども書いたように資格取得に向けて多くの知識を学びましたが現場では使わないものがほとんどでした…せっかく資格取得をしたり、それを目指してインプットしても実践で使えないものでは意味がありません。情報の取捨選択が必要になってきます。

また1人で学んで実践していくことほど難しいことはありません。何かを新しく始める時、何となく始めて成長が実感できなかったり、少し辛くなったりモチベーションが下がると諦めてしまうことがほとんどで、そんな経験はないでしょうか?

これらは過去の自分や周りで同じような人を見てきて感じたことです。

ビジョンを持って、プランを立て、行動することで徐々に現実が変わってきます。言葉で見ると簡単ですがとても難しいこと。それを簡単にするには正しい情報と正しい道を進むことが必要です。過去に自分が助けてもらったように、これからは本気で学びたい人のサポートができれば嬉しいです。

自分自身には、「日本のトレーナー業界やフィットネスを変える!」ような大きな力はないですが、身近な人から助けることで身近な人が少しでも幸せになれれば少しずつ変わっていくと信じています。

綺麗事だと笑う人もいるかもしれませんが、自分ができることにチャレンジしていきます。そしていつでも、同じ考えで挑戦したいという仲間を歓迎します。

トレーナー育成についてきになる方はこちらからお問い合わせください。

登録はこちらをクリック!

最後までお読みいただきありがとうございました。
これからも自分の活動を温かく見守っていただけると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?