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うつの話⑥多数者空想とは

こんにちは、あかりです。
今回は多数者空想とは何か、説明しようと思います。以下に当てはまる方に読んでいただきたいです。
・いつも人からの評価が気になる。
・自分で自分を責めてしまうことがある。
・人目を気にして行動できないときがある。

私が「多数者空想」という言葉を知ったのは、2回生で受けた、「対人援助論」という授業でした。この授業は、学生からのコメントを先生がいくつかピックアップし、匿名で読み上げてそれに関する話をし、それを聞いた学生がまたコメントを提出するという、ある意味ラジオのような授業でした。

学生から寄せられるコメントは、「〇〇という事柄/考え方に対して自分はこう思う」であったり、「〇〇という出来事があったんですが、私はどうすれば良かったのでしょうか?」であったり、「〇〇という経験をして、こう感じました」であったりします。授業を聞いて連想したことなら、どんなことでも良いのです。

この授業は、先生がどんな意見も否定せずに暖かく聞いてくださるし、匿名だからこそ安心して本音を書けるし、他の人の意見も聞けるので、人気がありました。

その授業で出てきた「多数者空想」という言葉を、頑張って一文で説明すると、「実際には存在していない可能性もある、空想上の多数者」です。

例えば、「私は学生なのにバイトをしていない。これは世間的には良くないことなんじゃないか」と思った場合の、「世間」です。「世間」というと、さも実在している多数者のように見えますが、冷静に考えれば、世間にも様々な考えの人がいます。この例で言えば、「学生なのにバイトをしないなんて、けしからん」と思う人もいれば、「学生という貴重な時間をバイトに割くなんて、もったいない」と思う人もいて、「バイトをするかどうかは、状況に応じて個人で決めればいい」と思う人もいます。

また、私の解釈では、具体的に想像している「多数者」がいる場合もあると思います。例えば、「私は周りの友達に比べて、メイクに関心がないから、みんなから『女子力が低い』と思われているかもしれない」と思った場合、「空想上の多数者」は具体的に顔の浮かぶ「友達のみんな」になります。

「多数者空想」がどんなものか、伝わったでしょうか?例を見るとわかる通り、実際に「バイトしないとは、けしからん」とか、「もう少しメイクに関心を持ったら?」とか、誰かに言われたわけではありません。あくまでも、自分1人で勝手に「実はみんな、そう思っているのではないか」と想像しているだけです。

このように言語化してみると、「多数者空想」はかなり平静を失っていることがわかります。実際に、誰かに何かを言われたなら、気にしてもいいと思いますが、まだ誰からも何も言われてないのに、不安になっているんです。

これって、鬱々としがちな人に当てはまるんじゃないかと思います。かくいう私も、よく「想像上の誰か」に何か良くないことを言われている想像をしてしまいます。そして1人で勝手にへこみます。そう、誰にも責められていないのに、責められたような気になってしまうのです。

病むときって、「誰かに何か言われたから」病む場合もあるんですが、「誰かに何か言われたような気になって」病む場合もあると思うんです。でも、これって冷静に考えたらナンセンスだと思います。

以上の話に加えて、アルベルト・アインシュタインの言葉を引用します。

どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。

ここまで強気にはなれなかったとしても、自分で自分を責めそうになったときや、誰かに責められているような気がしたときには、一度立ち止まりましょう。
・実際に、具体的な誰かに、具体的に何かを言われましたか?
・「自分で自分を責めてる」のではなく、「誰かに責められることが怖い」のではないですか?しかし、その「誰か」は存在してますか?

今後は私も、自分が「多数者空想」にとらわれていることに、いち早く気づき、冷静に物事を考えるようにしたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この記事を読んで感じたこと、考えたことなど、感想をお待ちしています。
それでは、また次回、お会いしましょう。素敵な1日になりますように。

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