不倫三昧だった元夫とその末路を語る

前置き

 もうすぐ離婚して3年になるので、一つの区切りとして、約10年間の結婚生活とその後について語ろうと思う。こんな文章に需要があるのか些か疑問ではあるけれど、世の中にはこんなこともあるんだなーと面白がってもらえたらよし、これから恋愛する人にこういう人は気をつけようと思ってもらえたらなおよし、今不倫してる人やされてる人にもぜひ読んでもらえたら書いた意味があったと思う。多少フェイクを入れるけれど起きたことは全て事実なので、どうか「創作乙」とは言わないでもらえると有難い。

生まれ育ち

 私は田舎の新興住宅地で生まれ育った。周りは山を切り開いたような場所で、隙間を縫うように田んぼや畑が存在する中、唐突に綺麗に成形された住宅街があるような不思議な場所だった。車で15分ほどでホームセンターや大型のショッピングモールがあったので、生活するのに不便も感じなかった。子供の頃の私は、毎日のように雑木林に入って、つくしや、キイチゴ、グミ、桑の実、栗などを採ったり、オタマジャクシを捕まえたりして遊んでいる活発な子供だった。女の子とも遊ぶが、男の子と自転車を走らせたり、木登りしていることも多かった。本を読むのも大好きだったので、小学校ではそれなりに成績が良く、読書感想文の学年代表とか、卒業式のピアノ伴奏に選ばれたりしていた。
 母親はとても教育熱心で、小学校の頃から学習ドリルを毎日数冊私たちに課していた。その後少し都会に引っ越してからは中学受験も経験した。中学校の時にHTMLを自分で書いてサイトを作ることにハマって、父親にアカウントを取ってもらいサイトを作った。これはのちのち、仕事に活きてくるのだが、それはまた別の話。
 中学でもそれなりに成績が良く、推薦で高校に合格した頃から、母親がおかしくなった(と、いうより、元々おかしかったのだが、ターゲットだった姉が半ば夜逃げ状態で家を出ていき、次のターゲットが私になった)。私は勉強ができるから医学部に行かせればいいと思い始めたらしく、学校や塾の帰宅時間が分単位で管理され、鞄の中は裏地までひっくり返してチェックした。好きな人がいることがばれると何時間も罵倒され、テレビも禁止になり、友達と遊ぶことも許されなかった。私は反抗的な子供だったので、大人しく言うことを聞いていればよかったのに、母親としょっちゅう衝突した揚げ句、最後は「お前がいると皆が不快になる」と、家族と一緒にご飯を食べることも禁止された。私は幻聴が聞こえるようになり、ご飯はゴムの味がして食べられず、字が読めなくなって、何とか滑り止めの大学に入れたものの、医学部には到底手が届かなかった。
 そんなことがあって、自分なんて消えてしまえばいい、といった鬱病特有の思考と空気感が出ていたことも、おそらくは元夫に目をつけられた一因だったのだと、今になって思う。

馴れ初め

 元夫は大学の後輩で、私が大学4年生の時に出会った。学部も部活も違ったので全く面識はなかったけれど、元夫は私のことを見かけていたらしい。ある日、学籍番号で割り振られている私のメールアドレス宛に、元夫からメールが届いたのが最初のアプローチだった。
 最初はイタズラだと思ったが、どうやら元夫は本気だったらしい。その時はまだ(といっても、ちょうど別れ話を切り出したばかりで、相手から承諾の返事が来ていない)恋人がいたので、お付き合いはできないと断った。恋人とはその後1〜2ヶ月後に別れ、元夫とはその後もやり取りが続いて、夏頃から付き合い始めた。

 当時は些細だと思っていたけれど、今思うと不倫する人の特徴だな…と思うことはちらほらあった。元夫は学校の中でも一切隠す気なく、サークルがない時や空き時間が少しでもあれば、いつも私のところに来てベタベタしていた。会いたいといったら、飛行機の距離を日帰りで飛んできたこともある。私はもういい大人なので、人前ではベタベタしたくなかったし、品がないと思っていた。また一人で趣味を楽しんだり、友達と出かけたりもしたかったので、常に元夫がいるのはたまに息苦しかった。それでも、それだけ時間や労力を使って私のところに来るのは好きな気持ちが強いのだろうと嬉しかったので、当時はそこまで問題だとは思っていなかった。
 他に違和感に感じたのは、一度キャンパス内で元夫と友人たちとすれ違った時、一緒にいるのに明らかに元夫だけおしゃべりに参加していなかったこと。元夫は見た目は明るいスポーツマンで、誰とでも仲良くできそうに見えたので、その異様な光景はいまだにはっきり思い出せる。その時は私を見かけて、気まずく感じて黙り込んだんだろうと思っていた。しかし結婚してからも、元夫が本当に友達と遊びに出かけたのは、おそらく10年で2-3回もなかった。
 さらに「俺は出来ないヤツをサポートするより、出来ないヤツを切り捨ててでもできるヤツを育てたほうがいいと思ってる」という持論を時々語っていた。いろんな委員会の長をしており、鬱憤が溜まってそう思っていたんだろう、という程度に思っていたが、その考えには賛同できなかった。

異変

 元夫は、いつも結婚したいとか、生まれ変わっても一緒にいたいと言っていた。付き合って早々にペアリングを買ってきて、このリングを子供に受け継がせて、代々引き継いで家宝にするんだと言っていた。今思うと気持ち悪い発言ではあるけれど、当時は「熱血なんだな」くらいに捉えていた。それがモラハラや不倫する人の片鱗だとは思いもしなかった。そんなやりとりが日常茶飯事だったから、お互いが社会人になったらすぐ結婚するものだと思っていた。
 しかし、元夫が社会人になった頃、結婚の話を具体的に進めようとすると急に元夫は嫌がりだし、まだ結婚は…と言い出すようになった。私は「私は子供が早く欲しいし、恋愛じゃなくて結婚がしたいと思っている。卒業したらすぐ結婚しよう、と言っていたのは元夫だし、私もそのつもりでいた。まだ結婚したくないなら、なぜそう思うのか、そして何年先に結婚したいと思っているのかちゃんと話して欲しい。結婚が見据えられないなら、結婚できない相手と長く付き合うつもりはないので別れて欲しい。」と伝えた。
 すると元夫は、しばらく考えた後、入籍すると言ってきて、それから半年後に入籍した。義実家への挨拶や、エンゲージリングの手配など、お世辞にも協力的とはいえなかったけれど。結婚してから私は、度重なる元夫の不倫と、それに付随するモラハラ発言に苦しめられることになる。

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