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BOOK CAFEそらふね『BIG MAGIC - 「夢中になること」からはじめよう。』

こいつぁ、とんでもない本を読んじまったもんだ・・・

BOOK CAFEそらふねで熱量たっぷりお届けしたいッ!と思って、2回も3回も読み直しておるのです。読み直しながらもう書き始めてしまっている、移動図書館BOOK CAFEそらふね船長、とと子です(''◇'')ゞ

何回読んでも、隕石が落ちてくる。

隕石としか言いようがないけど。
わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。
聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの

『SOSの猿』伊坂幸太郎(中央文庫)

これは、人間賛歌

著者のエリザベス・ギルバートは作家。書くことそれ自体が彼女にとって「祈り」であって「遊び」「学び」「癒し」その全て、生きることそのものなんだな、ってエネルギーが文字を通して伝わってくる。

 この本のメインテーマは「創造的(クリエイティブ)に生きるには」なんだけど、芸術家とか作家とかじゃなくても、ニンゲンとして生を受けたヒト(つまりみんな!!)誰もにオススメしたい。

自己啓発でもスピリチュアルでもなく、お堅く高尚な哲学書や芸術論でもない。「ワクワクに従えばいいのよ、人生楽しんだもん勝ちよ、ヒャッハー!!」って浮ついた精神論的な煽りでもない。こうすれば何もかも上手くいく!人生思い通り!って現世利益的なハウツーでもない

「創造的な生き方」に秘められた大いなる神秘、BIG MAGICを楽しむ人生へのお誘い。スケールが大きくて、幸せで、豊かで充実した、ココロオドル人生。汲めども尽きぬオモシロさにあくれた人生。

彼女が紹介している、アイディアやインスピレーション(見えない世界)と「うまく(健全に)付き合う」方法が特に面白いんだ。

私のnoteを読んでいる人は占星術を勉強してる人だったり、クリエイティブな活動をしてる人だったり、マジカルな世界に興味がある人が多いと思う。
(そういう人の元に飛んでくるのが、この移動図書館BOOK CAFEそらふねですから!)だから今回は、占星術の視点を織り交ぜつつ、そういうマジカルな部分を特にクローズアップしてお届けしようと思う。

あなたの中に眠る「秘宝」

創造的な生き方ってやつは、内なる宝の発掘作業。未知の宝に向き合うには勇気がいる。ニンゲン、わからんもんに向き合うのはコワイもんだから。だから、宝探しの旅路は勇敢な人間になるプロセスでもある。

この宝は、天が人類に仕組んだ悪戯のようなもの。仕掛けたほうも仕掛けられた方も楽しめる、最古にして最大の悪戯です。
天は、人間の奥深くに見たこともないような宝石を隠しておいて、私たちがそれを探しているあいだ、傍観者を決め込んでいるに違いない。

BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

色んな人のホロスコープを読ませてもらっていると、このコトバも「うんうん、そうに違いない!」と思えてくる。念入りに作りこまれた仕掛けのときもあれば、ストレートにお楽しみポイントをぶつけてくるものもあるけど。
きっと、占星術は天(宇宙)が仕掛けた悪戯の痕跡を辿る「遊び」。とんでもなく壮大で神秘的でありながら、高尚どころか俗っぽくて、かけがえのないのと同時に無価値な営みでもある。

こういう矛盾をどっちも等しく真実として受け入れ、かつそれを面白がる生き方をエリザベスは「トリックスター的な生き方」と言う。そしてトリックスター的な生き方は創造性を、BIG MAGICを引き起こすんだ、って。

トリックスター的な生き方vs殉教者的な生き方

トリックスターってのは場をかき乱したり困惑させる「ならず者」のこと。昔話とかストーリーの中では、ルールとか秩序を事もなげに破っちゃうイタズラ好きなキャラで描かれることが多いかな。それも確信犯的と言うか、悪賢いのが特徴。

「おもろかったら、なにやってもえぇねん!!」ってポリシー。そういう存在がいるからこそ、ストーリーは展開する。これまで全く見えてなかった可能性が生まれたりする。

ただ、ギルバートが言うのはそういうならず者になってお調子者炎上系YouTuberになれってことじゃなく…「遊び好きでチャーミングな」目で世界を楽しんでごらん、ってこと。

このトリックスター的生き方と対照的なのが、殉教者的な生き方。
殉教者モデルはインスピレーションとの付き合い方の間違ったステレオタイプでもある。
芸術には苦悩が必要!芸術は破滅と表裏一体!真の精神的体験は苦しみを通してしか味わえないのだァァー!!ってなもんで。

確かに苦しみや困難は特別な経験を与えてくれるかもしれない。でも敢えてそれを追いかける必要はないし、それで精神性の深さを測る必要もない。なんなら、健全であればできたはずのことを、自ら手放すってことになりかねない。

ここではっきりさせたいのは、私は苦しみという現実から目を背けているわけではないということ。あなたや、私の、そして人類全体の苦しみを否定したいわけではありません。
ただ、苦しみをやみくもに崇拝することはできない、と言いたいのです。芸術としての正当性を証明するためにわざわざ苦しみを追求する、などというような姿勢は、私はきっぱりと拒否します

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

じゃあ仏教とか禅とか、精神性を高めるための修行僧的なやつはどうなの?って人は、「そもそもブッダはそんなこと言ってない」ってことを思い出してほしい。修行や苦行は、悟りには何の関係もない。むしろそこに囚われることが悟りへの道の害になる、って言ってるんだから。

苦行の末に光を見た!神秘体験をした!・・・これは「悟り」(精神性を向上して目指すところ)じゃない。見た、聞いた、考えた、そういう外部の事象と自分は一切無関係、それを「納得」するのが悟りだって言ってるんだから、「苦行乗り越えたことに価値を感じる」ってのは身体感覚とジブンを同化させてるからNG。

ちなみに、そのへんカジュアルかつおもしろく読めるのが、飲茶さんの『史上最強の哲学入門』!!とにかくおもしろい(笑)ゲラゲラ笑える哲学(思想)の入門書。

そもそもインスピレーションってやつは

アイディアが降りてくる、とかインスピレーションが湧いてくる、っていうときのアレ、あの不思議な現象について。

私はホロスコープを読んでいるときにたびたび「読める、読めるぞぉ!!」と次々にコトバが生まれてくることがあった。「ムスカモード」って呼んでたけど、あれは私単体の能力じゃない。何かに書かされているような、そういう「流れ」の中に身を任せているような感じ。心理学でいえばゾーンとかフローとか、そういうのん。

ギルバートは、アイディアやインスピレーション、創造性(クリエイティビティ)を「ニンゲンとは別の存在」と見る。元来人間の力が完全には及ばないところで発生する、魔法のような、肉体はないけど意志のある、エネルギーを持つ生命体のようなもの。

そしてアイディアは「出現させてほしい」「血肉化してほしい」という衝動に突き動かされている!!ってのがオモシロイ視点。

彼らは常に、現実世界に生み出してくれる人間のパートナーを探し求めているんだよ。芸術、科学、商業、あらゆる分野で、自分を生み出してくれそうな人のもとに訪れて注意をひこうとする。

でも私たちはたいてい忙しすぎたり、頭の中がいっぱいだったりで、そのメッセージに気付けない。
リラックスしているとき、寝起きのまどろんでいるとき、むしろ眠っていて思考が完全に休憩しているときに、自分じゃ思いつきもしないアイディアはやってくるでしょ?

占星術でみたインスピレーション

インスピレーションとか直感と聞いてまず思いつくのは海王星。
ギルバートは彼ら創造性のことを「おおいなる謎の一部」と表現する。「彼らの力を直接目にしたり、証明したり、コントロールしたり、理解するのは不可能」だ、って。これ、トランスサタニアンの特徴を捉えてるなぁって思う。

それともうひとつ、月も欠かせない要素なのかもしれない。

創造性がパートナーを求めて私たちに降りてくるとき、「身体的・感情的な兆候」がある。そんでもって、「創造性が登場すると同時に、恐怖心(不安)も反応する」。これはどっちも月の働きでしょ。
それに創造性からのオファーに気付くには、リラックスが重要になってくる。これもまた月が担当しているパート。

月ってのは個人天体の中でも最下層、その人個人の根っこや基盤に働きかける天体。それが宇宙の大いなる謎、個人も社会もはるかに超えたスケールのチカラにアクセスする鍵になってるってのがオモシロイ。

↑↑↑月は宇宙と私たちとの最初の接点!!そんな視点で発見したこと、オモシロイネタをゴリゴリ集めた記事(オンライン講座を書き起こした有料記事)

やっぱり、月は「宇宙(大いなる謎)とのポータル」なんだな!
最下層が天井の向こう側に繋がっているのは、この世界は下から上(上から下)へと直線的に繋がっているわけじゃなくトーラス構造になっているからなんじゃないかなって思う。

裏表がひっくり返って繋がってるような、こんなイメージ

トーラスってこういう、上が下に、下が上に、裏が表に表が裏にひっくりかえって循環している構造のこと。この中心のなんにもないところに「私」がいる、ってのが私の宇宙論。(このイメージ、平面と立体どっちでも書ききれないけど…仮に書き起こすならこれが近い)

月のエネルギーは中と外をぐるぐるとまわっている。それは磁力のような吸引力を持っていて、内側を巡る時も外側を巡る時も、「そのエネルギー状態に合ったもの」をくっつけて循環する。

月が不安や恐れのエネルギーをベースにしているなら、それに見合った内側のもの(過去、身体の反応)を引き起こすし、外部の出来事も不安や恐れにマッチする出来事を引っ張りよせる。
この仕組みは「引き寄せ」で説明してもいいし、脳や無意識の仕組みとして説明してもイイ。どっちにしても、月は磁力のあるエネルギーをぐるぐるまわしてるんだってこと。それは内側だけじゃなくて外側にも繋がっている。

外側にいる創造性たちに触れられるのは、月が満たされているとき。リラックスして、エネルギーをなみなみと循環させられているとき。
触れるだけじゃダメ。溶かし込んで、自分の内側までまた流れをひっぱりよせてくるだけの水流が必要。大きなアイディアは、ゆったりとした大きなエネルギーの流れがないと。

そうだ!!カップを上下にくっつけた、両側の底が開放されてる砂時計みたいなイメージかな!!カップの内と外を循環する、砂粒みたいな水みたいな。そんでもってエネルギーの量が変動しているような。

ちなみに「カップ」はタロットでは「水エレメント」のシンボル。
月は蟹座の支配星、蟹座は水の性質を動かす天体だから、このイメージもなかなかイケてるんじゃないかな!

そうそう、タロットカードの『月(The Moon)』は占星術だと海王星に対応するカードでもある。(ちなみに天体の「月」に対応するカードは「女教皇」)
タロットの『月(The Moon)』はどっちかっていうと、海王星のエネルギーに飲み込まれている状態(不安、幻想、曖昧)に注目されることの多いカード。

EVERYDAY TAROT DECKより《THE MOON》

創造性と一緒に現れる「恐れ」は、まさに月の一側面でもある。
創造的な道ってのは、未知なわけで、未知なものには本能的に「恐れ」を抱くのはワレワレ生物に刻まれた「反応」なのです。原始的な本能ね。

「恐れ」と付き合う方法

創造性を阻むのは、恐怖心。だから、創造的な生き方をするためには勇気がいる。ここでちょっと付け加えておきたいのは「勇気を持つってのは、恐れ知らずとは違う」ってこと。恐れは生命に脈々と引き継がれた、いのちを守るための必要な反応なんだから、それを否定する必要は無い。

それでギルバートは恐れに立ち向かって間違って創造性までやっつけてしまわないように、切っても切れない両者の平和共存のために、「恐れに居場所をつくってあげる」ことを提案する。

これね、《占星術的まなざしで「月」から学べること》(noteで書下ろし記事販売中!)の元となった講座の続編の中でモリモリ話したこと!
「はじまりのはじまり」を見つめるのが月編なら、月編ver.2.0は改めて月のエネルギーをケアしてみようっちゅう実践編。月のエネルギー状態を観察して、ケアするためのあれこれ。

参加者さんによってとり上げる実践方法は変わるんだけど、前回は『ポリヴェーガル理論』『内的家族システム(IFS)』を紹介しましたよん。

ギルバートの言う「恐れに居場所をつくってあげる」というアプローチは、『内的家族システム(IFS)』のアプローチに近いかな。
リラックスして。「恐れ」も、創造的な生き方と言う長距離ドライブに迎え入れよう。ただし、ハンドルは握らせないこと。創造的な生き方をするためには、「恐れ」じゃなくて「好奇心」を原動力にしたいから。

「自尊心」は満たす必要がない

表現や創造的な活動を通して「恐れ」だけじゃなく「自尊心」の扱いにも気をつけないといけない。ここで言う自尊心ってのは、自己肯定感とはちょっとニュアンスが違うかな。

自尊心ってのは、褒められて鼻の孔ぷくっとするときのあの感覚。自分を外部にアピールして、その返答(見返り)を求める心。

褒められたい、認められたい、影響力を試したい。
だから、批判や否定を嫌う。仕返ししたくなる。

自己肯定感が満足感をベースにしているっていうんなら、自尊心は不足感に根差している感覚。ギルバートはこの不足感に裏付けされた自尊心を仏教用語の「餓鬼」で表現する。そんでもって、誰にだって心の中に飢えた餓鬼がいる。

ギルバートは、「自尊心ではなく魂を満たそう」と言う。
心理学のコトバに馴染みがあるなら、エゴ(自我)じゃなくてセルフ(自己)をってことになるかな。

忘れちゃいけないのは、私たちの中には餓鬼だけじゃなくて魂もあるってこと。自尊心は傷付いたり怒ったりするけど、魂は傷付かない。だって、魂の関心はただひとつ、「不思議な感動」を味わうことだから。

傷付いたり、嬉しくなるのは、感情レベルの反応。
魂は感情のさらに向こう側。ちょっとニュアンスの違いを表現するのが難しいんだけど、感情的な快・不快よりももっと根源的な、「感動」。自分の内側が動く感覚。あの感覚は、私たちの中にある魂の存在を確認させてくれる。

魂の求める「不思議な感動」を得る最短ルートは創造活動だってギルバートは言う。このあたり、すごく獅子座のハナシだなぁと思うのです!

獅子座って自尊心・エゴのエネルギー(オレ様アピール)ばっかり注目されがちだけど、それだけじゃないと私は思ってる。獅子座は、自尊心と魂の連結を表してるんじゃないかな。餓鬼の存在に気付き、その自尊心に支配されることなく魂のヨロコビ「不思議な感動」へと向かうエネルギーが、獅子座。

獅子座のフィールドである5ハウスは「自己表現」「創造的な活動」、そして「個人的な楽しみ」を表す。「個人的な」とわざわざついているのは、その活動が「自分が楽しむ」ことを目的にしているから。他に目的があってしているわけじゃなく、その活動自体が目的の活動。

ってことはね、5ハウスの活動=創作活動って、自分が楽しむことが目的だから、他人に褒められるとか批判されるとかって、本当は関係ないってこと。自分の喜びに向き合うこと、そこに他者の賞賛も、評価も、承認も、許可もなにも必要ない。

よしあしは後の岸の人にとへ われは 颶風 にのりて遊べり

与謝野晶子

世間の人びとには勝手にあなたのことを格付けさせておきましょう
彼らが何でもカテゴライズしたがるのは、それが心地いいからです。格付けをせずにはいられないのは、混沌としているものがあると、これを何とか一定の秩序に組み込んで安心したくなるからです。

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

ただ好きだからする。楽しいからする。それがしたいからする。

そうして夢中になって、「我を忘れている」ときこそが、どんなときよりも「私らしさ」を発揮するとき。私はこれが好き、これがやりたい。それが自己表現になる。

そして獅子座の支配星は太陽。生命力の熱源なのだ。我を忘れて熱中することが、私の生命力を燃え上がらせる。その輝きが周囲を照らし、温める。

臨床心理学者の河合先生は、「我を忘れる」体験が自分を成長させる肥やしになる、と言う。
ただし、「我を忘れる」ことは、怖いこと。自分を投げ出しても「大丈夫よ」と抱きとめてもらう経験を持っていない人は、「我を忘れる」体験を自分のものにすることができない。
この抱きとめてもらう経験(安心感)ってのは、月が管轄してるの。

2021年7月24日の満月トキ読み

創造的な活動は「恐れ」と抱き合わせ、ってのがここ。太陽と月はペア。月を排除しようとやっきになるんじゃなく(できやしないんだから)、スペースを用意してあげて、出来る限りのおもてなしで迎え入れてあげたうえで、我々は颶風に乗りて遊ぼうじゃないか。

よしあしは、後の岸の人に。
ギルバートは「他人が下す評価はあなたにはいっさい関係がないということを、つねに念頭に置く」べし、と言う。そんでもって、作品に対する評価も自分自身には関係がない。
スキやイイネがひとつもなかろうと、逆にわんさか通知が来ようと、自尊心が傷ついたり喜んだりしても「私の魂(私自身)はそこにちっとも影響を受けない」ってこと。魂が欲しいのは、創作活動を通して味わえる感動そのものだから。

オリジナリティと意義

さてさて、獅子座のキーワードもうひとつ「オリジナリティ」。これまた、創造活動をする人にとって悩ましい要素。

でもね、ニンゲンって1万2000年前に洞窟に絵を描いたあの時からずっと、同じテーマを繰り返してるわけで。ほとんどのテーマ、ネタ、アイディアはすでにどこかの誰かが生み出している。

ほとんどすべての創作上の試みは、すでに誰かによって手がつけられています。でも、あなたの手ではありません。

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

オリジナリティはあとからついてくる。それよりもまずは「ホンモノであること」。自分の本当の気持ちだけを、真心を込めて表現する。どうしても分かち合いたい気持ちを、分かち合う。そこから先に、オリジナリティが生まれる。

その人らしさ、オリジナリティを表す太陽は、占星術では月⇒水星⇒金星を経由してようやっと到達するステージとして描かれている。
最初からオリジナリティありきじゃないのよ。しかも、第一ステージは「模倣」の月で始まるわけで。そこから好奇心の水星、悦びの金星。この順番がミソなんだよね。

そうそう、なんなら最初から「情熱」なんて燃えてなくてもイイ。真似(月)から始めて、そこから「ん?」って関心アンテナにひっかかるものを見つける(水星)んだよ。その先に見つけた出会いや愛が(金星)、情熱に変わる。生命力の熱源、太陽のパワーになる。

ギルバートは「オリジナリティと同じくらい、立派な意義もいらない」と言う。誰かのために、みんなのために、そんな救済意識、頼むからヤメテクレって(笑)自分のために、自分の愛(情熱)のために生きることが、結果的に誰かの救いになる。太陽が自ら光を放つことで周囲を温める。まずは誰かを救いたいという前に自分を救え。

救済、人の役に立とうとがんばるのは6ハウスの活動。
自分の楽しみである5ハウスがまずあって、その先に奉仕の6ハウスがある。「意義」「大義名分」は別になくたっていい。ただ、楽しいからやる。自分のために、やりたいからやる、それで十分。好きだから、ホッとするから、罪滅ぼし、正気を保つための趣味、なんでもいい。くだらない理由でもいい。

5ハウスは「愛」のハウスでもある。自分の喜びに素直に従うことが、愛。

救いへと昇華しない愛はない

神学者パウロ・ティリッヒ

自分の中にある火、陶酔でも執着でも衝動でも、きっかけが自尊心であったとしても(それを満たす必要は無いってことを踏まえたうえで)、それを感じて従ってみる。燃え上がる炎が、もしかしたら誰かを温めるかもしれない。何かの役に立つかもしれない。誰かを救うことになるかもしれない。

いや、何の役にも立たないかもしれない。結局何も成果は出ないのかもしれない。でも、役に立つかどうか、良い評価や成果を手に入れることはそもそも重要じゃないってことを忘れずに。自分は、自分の魂を楽しませるために、行動しているただけなんだから。

BIG MAGICを誘い出すコツ

自分の火を燃やしてるとね、インスピレーションに見つけてもらいやすくなる。インスピレーションとかマジカルパワーがやってくるのを待ってそれから活動スタートする、って順番じゃないのよ。ここポイント。彼らに見つけてもらうために、誘い出すために、私たちはシャラシャラ踊る。

このくだり、私は日本神話の「岩戸隠れ」を思い出したよ!
太陽の女神アマテラスが天岩戸に隠れちゃって、さあ大変。世界は光を失った。アマテラスにまた出てきてもらうために他の神々がとった作戦が、コレ。

ざっくり「岩戸隠れ」ストーリー
アマテラスが隠れている洞窟の前で、楽器を打ち鳴らし踊る、踊る。笑う、笑う。お祭り騒ぎでキャッキャしている外の様子をどうしたことかとチラ見するアマテラス。そこに鏡をサッと出す。あらあらどういうこと?!とさらに身を乗り出すアマテラスは引っ張り出されて「ドッキリ大成功~!」
世界に光が再び訪れましたとさ。

古事記/日本書紀

まさか、日本神話にもBIG MAGICにも書かれているポイントが網羅されてるとは!!主人公は創造性、太陽だもんね。

インスピレーションとかアイディアってやつ(長いからBIG MAGICと呼ぼう)は、自分を血肉化して生み出してくれるパートナーを探している。その目印にのろしを上げよう。小さな火でもいい。なにもしないよりは、ずっといい。

待ってるのは自分じゃなくて、むこうなの。私の準備ができているかどうか、メッセージを受け止めてくれる人かどうか、実行してくれるかどうかを見定めてるのは向こう。BIG MAGICは私たちをいつも待ってくれてるんだよ。

ギルバートは「最高に着飾って創造性を誘惑しよう」と言う。アマテラスを誘い出すように、思いっきり楽しいどんちゃん騒ぎを聞かせてあげよう。思わずヌッとのぞき込みたくなるような、魂の笑い声を聞かせてあげよう。

それからギルバートは「できるようになるまで、フリをする」っていうコツも書いてる。これはアマテラスおびき寄せ作戦で出てきた「鏡」だね。
引き寄せの法則やら自己啓発メソッドでも、この作戦はよくとられる。なりたい自分を、おもいっきり演じてみる。ちゃんと心からなりきるのよ。

そうそう、獅子座は表現者でもある。全身全霊で「自分」を演じるの

演技する、の英語は「Play」。遊びとか、スポーツと同じ「Play」。5ハウスは遊びや趣味のハウス。

そんでもって、演劇ってのはもともと神がかりの儀式。・・・みたいなことを、安田登せんせだったか、平田オリザせんせが言ってた気がする。
自分じゃない視点を「降ろして」体現する巫女的行為。あっち側のエネルギーにとりつかれるってこと。

これまたBIG MAGICのキーワードでもある。
アイディアやインスピレーションが降りてくるとき、ゾーンに入ったりフローの状態にある時、なんともいえない感動や高揚感がある。それが魂の求める不思議な感動。魂とBIG MAGICはお互いに求めあう相思相愛パートナー。

気まぐれなインスピレーションの妖精

さてニンゲンが味わいうる最高の幸福感を、古代ギリシャでは「エウダイモニア」と言った。このコトバは直訳すればダイモン(聖霊、見えない世界の意志を持つエネルギー、生命体)にとりつかれてる状態ってこと。

創造性の神、守護霊、妖精的な存在がいて、それが人と繋がって守り導いている状態。特にインスピレーションを授けてくれるその存在を、古代ローマ人は「ゲニウス」と呼んだ。

ゲニウスってのは、英語genius(天才)の語源だね!
だからね、天才的な人ってのは、その人自身が天才なんじゃなくて、天才(ゲニウス)が協力してくれている状態ってことになる。この視点は、創造活動をもっと面白く、魅力的で、心を楽にしてくれる。

だって、すばらしい出来はゲニウスのおかげなんだから、自分の能力に天狗になることも酔いしれることもなくなる。上手くいかなかったとしても、全部自分だけのせいにする必要もない。(だってゲニウスが現れなかったんだから!)

ゲニウスは気ままにやってきて気ままに去っていく。
突然やってきて、いつのまにかビュンと去っていく。リンリンリン!って呼びかけるティンカーベルの声に気付くには、リラックスしてスペースを空けておくことがダイジ、ってのは冒頭でも書いてたね。

彼らはニンゲンと違って身体的制限がないから、二股も三股もかけられるってことも心に留めておく。「これ私が考えてたアイディア!!!」ってビックリすることがあるけど、それはゲニウスが返事をしてくれない私のもとを去って他の人のところに行ったってだけ。

科学や思想の世界でちょくちょく起こる「多重発見」の不思議な現象(バラバラな場所でほぼ同時に同じアイディアが発表・発見されること)は、ゲニウスがあっちこっちで声をかけたから、なんて考えるとオモシロイ。

気まぐれな彼らを束縛することはできない。だから、去って行ったときはウジウジ悩んだり文句言うよりも、次に来てくれるゲニウスのためにまたのろしを上げる作業にとりかかろう

ティンカーベルのリンリンリーンが聴こえたとき、選択肢はふたつ。
Yesと言うかNoと言うか。Yesなら契約成立!その時あなたはどんな契約を交わす?ここでもう一度、殉教者的な契約は必須ではないってことを忘れずに!だって考えてみてよ、彼らは血肉化して産み出してくれる私を必要としている。傷つけて苦しめるためにやってくるわけじゃない。困らせようとしてるワケじゃない。むしろこの契約で困ってるのは、彼らなんじゃない?

私は、芸術への殉教を礼賛する精神とは縁を切りました。
そのかわり、「芸術と私は相思相愛関係、芸術と私はお互い一緒に遊びたくて仕方ない、そして愛も遊びも無限である」という、お気楽な考えを信条にしようと決めました。以来、私の人生はこの決意のもとに成り立っています。

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

「インスピレーション」は、いつだって私と一緒に何かを作り出そうとしています。 だから私も、机に向かって書き続けるのです。 私は「インスピレーション」を信じ、「インスピレーション」は私を信じる。 私たちのあいだにはそういう取り決めがあるのです。

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

ギルバートは彼らと、奴隷と主人ではなく、対等で信頼し合えるパートナーとして契約をかわそう、と言う。二人三脚で協力し合って、大きな魅力と価値ある何かを創りあげよう、って。

そうやって創りあげた作品は、エウダイモニア、最高のヨロコビをくれる。不思議な感動を、魂に提供してくれる。だから作品そのものは、ただの「モノ」なんだって言い切るギルバートがカッコイイ。

あなたの作品はあなたの子ではありません
いうなれば、 あなたこそが作品の子どもなのです

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

作品はそれを生み出すプロセスを通して、不思議な感動を味合わせてくれる。それが私を成長させる。育ててくれる。ダイジなのはそこ!
作品を自分と同化させると、批判や評価が気になってしょうがない。自尊心がむくむく前に出てきたり、殉教者マインドになりかねない。

情熱をあてにするな

スピリチュアル界隈で「龍」とか「お稲荷さん」とか表現される神霊的な存在も、ゲニウスだよね。そういう存在に協力してもらうことで、ニンゲンの普段使いのパワーを超えた現実を創造することができる。
神社の参拝でパートナー立候補の意思表示もできるけど、そういう場所に行かなくても見つけてもらえることはある。というか、参拝しても何も動いてなければ彼らも協力しようがない。

とはいえ何をすればいいのか?自分の情熱、「夢中になること」はなんなのか?ほとんどの人はそこがよくわからない。分かったと思っても、分からなくなったり迷ったりする。

この本のサブタイトルは「夢中になることからはじめなさい」なんだけど、ギルバートは「情熱をあてにするな」とハッキリと書いている。むしろ情熱には懐疑的で、「情熱の赴くままに~」系のアドバイスは悪質で何の役にも立たない、こんなこと他人に言う人はどうかしちゃってる、とまで言う。

じゃあどうすれば・・・ってのは、ここまでの内容でもわんさかヒントが出てきてる。

その人らしさ、オリジナリティを表す太陽は、占星術では月⇒水星⇒金星を経由してようやっと到達するステージとして描かれている。
最初からオリジナリティありきじゃないのよ。しかも、第一ステージは「模倣」の月で始まるわけで。そこから好奇心の水星、悦びの金星。この順番がミソなんだよね。

そうそう、なんなら最初から「情熱」なんて燃えてなくてもイイ。真似(月)から始めて、そこから「ん?」って関心アンテナにひっかかるものを見つける(水星)んだよ。その先に見つけた出会いや愛が(金星)、情熱に変わる。生命力の熱源、太陽のパワーになる。

創造的な生き方に欠かせないのは、「好奇心」。好奇心はいつも小さなヒントを示してくれる。

そして、好奇心にYES!と応えて行動すること。
BIG MAGICは動いているものに引き寄せられる。

よく、自分は何をしたいのかわからないとか、何もすることがないとかいう人に会う。そういう人は、たいてい受け身の人である。遠くにあるものばかり見て、近くにあって自分のできることを見ようとしない。

それでは、なぜ遠くにあるものばかり見て、近くにあるものを見ようとしないのであろうか。それは、その人が自己中心的で幼稚で受け身で、うぬぼれているからである。

自分は何か立派なこと、偉大なことをしなければならないと、そういう人は思っている。小さなこと、日常的なこと、そんなことは自分の理想的な自我にとってはふさわしくないと思っているのである。

『行動することで人生は開ける』
加藤諦三(PHP研究所)

大義名分は必要ない。くだらないことでも小さいことでもいい。評価や賞賛を期待しない。それはここまでピックアップしてきたギルバートのコトバの通り。

心理系の本にしてはストレート、というか多少辛口の加藤諦三せんせの本。(こういうジャンルって、ふわっと優しいこと言うのがセオリーじゃん・笑)でも味わい深いことがたっくさん書いてあってオモシロイ。

幸運と恵みを司る木星は、火星の向こう側にある。火星は、行動の星。「行動することで人生は開ける」ってのは、まさに火星から木星への展開!木星は拡大(開ける)の星だからね。

火星のエネルギーは別に攻撃的で破壊的な行動に限定しなくってもいい。踊れ、踊れ、笑って楽しめ!天の岩戸に隠れている光を誘い出そう。BIG MAGICは、見つけてもらうのを待っている。

あなたのうちに眠る宝が、あなたが「イエス」と言ってくれるのを待ちわびていますよ。

『BIG MAGIC「夢中になること」からはじめなさい。』
エリザベス・ギルバート(ディスカバー・トゥエンティワン)

BIG MAGIC

まだまだ、書ききれないほど紹介したいコトバが詰め込まれてるんだけど・・・あとはぜひ、本書を読んでみて!!

読んでくれてありがとう!!
魂がふるえるヨロコビを。

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珠楽(tamarack)とと子
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