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人間観の地動説🧠?!『バレット博士の脳科学教室7½章』

さぁさ今宵も銀河を走り抜け、移動式図書館『BOOK CAFEそらふね』がアナタのもとへと参ります☆知りたい、学びたい、楽しみたい!そんなアナタの好奇心を満たす1冊を、今日も愉快にお届けするよ〜〜🙌

星しぶきをあげて銀河を走るBOOK CAFEそらふね

今日ご紹介するのは、みんな大好き(?)脳科学のおハナシ!仕事術、ライフハック、子育てやメンタルヘルスに至るまで・・・脳科学から引っ張り込んできたネタはあちこち身近に引用されているよね。「右脳と左脳」だったり、「理性を司る前頭葉」だったり、脳にまつわる用語も割と聞き覚えのあるものが多いと思う。

私たちは世界をどう捉えているのか?世界とどう向き合っているのか?
世界を知るために、世界という情報を受け止める私を知る。世界について考える私を、私の脳を、その仕組みと働きを、知ろうじゃあないか🧠🔍

今日のBOOK CAFEそらふねで紹介する本は、そんな知的好奇心旺盛な頭🧠を刺激するこの一冊🙌✨


バレット博士の脳科学教室 7½章

著者リサ・フェルドマン・バレット博士は、世界で最も引用された科学者の上位1 パーセントに入る研究者。だもんで、ここで紹介する脳ネタは、学術界のメインストリームで支持されている最新研究のハナシ。
心理学と馴染み深いスピリチュアル界隈でよく見かける「(自称)最先端すぎて科学が追いついていない」オレ流解釈のマイナーな主張じゃなくってね。(それもオモシロイけど)

おもしろいのは、ワレワレが抱いている「脳」の構造に関する知識だったり一般的なイメージが、誤解だらけだってこと。それも、そのイメージがほとんどの科学者によって否定、訂正されたのがつい最近ってわけじゃなく、意外に昔だってこと。それなのに私たちは、今も昔の誤ったイメージを前提に脳について語り合っている。

偉大な先人たち、1割の人類による新しい発見が、9割の一般ピーポー社会にまで普及するまでに時間的ギャップがあるのは当然だけど、タイムラグだけじゃない問題もここにはありそうなんだよね。

ワレワレは「脳」について語るとき、そこに「人間観」を重ね合わせてしまう。「人間らしさ」とはこういうものだ、という思い入れ(思い込み)がそのイメージに影響している。
その思い入れってやつは「私らしさ」にも分かち難くくっついている…ってのは、以前紹介した本『集団の思い込みを打ち砕く技術』、それから『人はなぜ物を欲しがるのか』にもつながるハナシ🙌

「人間らしさ」の大前提、西洋思想や哲学の基礎にもなっている「人間観」と「脳」がどう関係あるのか?バレット博士のレッスンに入る前にちょっと触れておこう✋

人間を人間たらしめる「理性」という能力

人間が人間らしくより善く生きるための道徳(価値基準)について熱く語るアイン・ランドの『SELFISHNESS』でも、「理性」ってコトバはキーワードになってたね。

人間と、動物やそれ以外の生物とを分かつもの、それが「理性」なのだってのが西洋思想の中心にある。

ズバリ言ってしまえば、人間は自然とは切り離された特別な存在であるって人間観。動物や植物、その他諸々の生物は、「人間以下」なわけで、人間はピラミッドのテッペンに立ってその人間以下の全てを支配することを求められる存在なのだ。それが神の思し召し。

その支配とコントロールのためにふるわれる、ヤツラになくてワレラにある能力が「理性」。人間と動物を分かつ分水嶺。

身体が示す本能的な反応や情動、感情的なふるまいは動物レベルなわけで、それは「理性」できっちり管理すべし。身体の反応に影響を受けずに、頭で考えて導き出すことこそが人間のとるべき高等なふるまいであり、それこそが「善」に至る道なのだ。

理性りせい/reason 英語/Vernunft ドイツ語/raison フランス語

物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。それだけが人間を人間たらしめ、動物から分かつところのものであり、ここに「人間は理性的動物である」という人間に関する古典的定義が成立する。
(中略)
古来、理性は闇(やみ)を照らす明るい光として表象されてきた。
(中略)
明るい光としての理性に対比していえば、感性的欲望や情念は、暗い盲目的な力である。
(中略)
喜び、悲しみ、怒り、欲望、不安などの情念は、暗い、非合理的な力として内部から暴発する。

日本大百科全書(ニッポニカ)

自然の頂点に立つっていう人間観は、自然と調和することに美意識を見出す東洋思想からするとあんまりピンとこないかもしれないけど、この「理性vs情動」っていう対立構造、本能的な欲望に抗う合理的な思考能力ってイメージは身に覚えあるんじゃないかしら。「あぁ、いちごパフェ美味しそう・・・食べたい・・・!!でも今はダイエット中だから・・・」って葛藤だとか。

「理性」は頭脳、思考する能力、すなわち「脳」に、そして勝手気ままにふるまおうとする本能や欲求は頭から下の部分、身体に結び付けられる。頭(脳)はトップにあって、身体を支配・管理しなければならない。

「身体性に強く結びつく一定の人間たちは、蔑まれ差別の対象とされてきた」と指摘するのは、文学研究者の生駒夏美先生。
肉体労働者、病気や障害を持つ人、同性愛者やセックスワークに携わる人…言われてみれば確かに、「身体」を意識させるカテゴリー分けは差別的な眼差しを向けられる。肌の色とか人種的ルーツとかも、「普通(真っ当に人間らしく扱われるべきカテゴリーに該当する)」かどうかの目安に使われるわけだし。
ホワイトワーカー>ブルーワーカーの優越感と言うかそういう社会の仕組みってのは、分かりやすく「頭脳>身体」の人間観を反映しているのかも。

ダーウィンの進化論はこの人間観を強化した

神の特別な被造物である人間観、はダーウィンの進化論に大きく衝撃を受けたのは御存知の通り。宗教と科学の歴史の大きな転換ポイントのひとつだね🐵
「人間が動物と同じルーツを持つ」という進化論は、特別に創造された別格生物という人間観を揺るがした。これは宗教的人間観を否定したように思われているけど、実はむしろ強化したって見方もある。人間は進化の頂点にいる、それが科学で証明されたっていうふうにね。

爬虫類や鳥や獣よりも、サルよりも、さらにその先へと進化を遂げた優れた生物である、ってイメージに切り替わっただけで、やっぱり「その他動物を凌駕する特別な生物」である人間観ってのは未だにワレワレのベースにある。

☝人間観の変化と未来の人間らしさについて、文学、生物学、物理学、政治学、いろんな分野のプロフェッサーたちが語っている本。生駒夏美先生の、文学から浮かび上がる人間観(非人間的存在の描かれ方)が面白かったな!!

全ての誤解はここからスタートしている

さてさて、この「理性」を司るのが脳ですわな🧠だから、進化の頂点にいる人間は他の動物とは違う(より発達した)脳を持っている…という脳に対する無意識の思い込みがあって、これまではそれを前提に脳の仕組みや構造が研究されてきた。心の仕組み(心理学)についても然り。

これから紹介するバレット博士のレッスンは、まずこの大前提をひっくり返す。

☄理性と情動は対立なんかしていない。そもそも脳の中でこのふたつは棲み分けられてもいない。

ドッカーン!!

☄人間の脳は他の動物よりも優れて発達しているわけではない

ズゴーーン!!!

☄そもそも脳は「考える」ための器官ではない。思考も感情も、脳のとある重要なお仕事から派生した働きであって、メイン業務ではない。

バヒューーーン!!!!

と、衝撃の隕石が連投されるレッスンなのであります。しかも今私たちが抱いている脳のイメージは、実は結構な昔に研究者の間ではスッパリ否定されていた、ということにも驚き。

例えば本能を司る「爬虫類脳」や動物的な情動を司る「哺乳類脳」、もしくは進化の名残「旧(古)皮質」という未熟な部分が頭蓋骨の内側にあって、その外側に進化を遂げた「大脳新皮質」人間らしさや理性を司る部分が覆っている…というイメージ。これは1990年代にはすでに専門家によって完全に否定されてい。(今でも私達は教育や心理学なんかでこのイメージを持ち出しているのに!)

ワレワレは、ようようやっと脳の理解を更新する時期が来ているのかもしれない。それは人間観の更新。アイデンティティの更新。これから紹介するのは、人間らしさ、そしてその先にあるワタシらしさに関わってくるハナシなのです。

脳のイチバン重要なお仕事は「思考」ではない

☄そもそも脳は「考える」ための器官ではない

まずはここからいってみよう!教えて、バレット博士!

生物が「脳」を持つようになった起源から眺めてみると、この器官の役割が見えてくる。地球上の生物は、最初から脳みそをデフォルトで持ってたわけじゃないからね。進化のある段階で必要が生じて発達させたか、もしくは生き延びるのに都合が良くて(たまたま生き残って)発達したか、どちらにせよ脳はなんらかの働きを担って発達してきた。

「脳はなんのために進化したのか?」という問いには、進化には特定の目的や方向性があって、そのゴールに向かって成長することが進化なんだという前提のまなざしがある。これは脳を特に発達させてきた人間が、最も成長を遂げた脳の持ち主であって、進化の頂点にあるって前提。

BUTバレット博士はそもそも「進化に目的はない」と見るから、この問いには答えられないと言う。でも、「脳の最も重要な仕事とは何か?」には答えがある。それは理性の行使ではない。情動、想像力、創造力、共感の行使でもない。

じゃあ、脳の最も重要なお仕事はなんなのか。それは、身体のエネルギー予算管理。エネルギーが必要となる状況を先回りして予測して、準備のための采配をふるうことなのだよ🙌

『身体予算管理』、今回のハナシを全部貫くめっちゃ重要なキーワードですからね!

脳ができるまで

5億年前、地球の海をただよっていたシンプルな生物の祖先🪱に劇的ビフォア・アフターの時代が訪れた。カンブリア大爆発!ものすごい種類の生物が「進化」によって登場した。この急激な多様性ワールド爆誕のきっかけがいったいなんだったのか?なんにせよ、生物たちの間に<狩りハンティング>という能力が現れたってこと、これがワタシと世界の関係性(世界との関わり方)をガラリと変えたのは間違いない。

彼らは「意図的に食べる」という手段をとるようになった。それまでは海をぷかぷか漂いながら、あるいはゆらゆらまさぐりながら、たまたま出くわす栄養を補給していたんだけども。

それがどうだい、食べるという目的を持って食べる!そんな生物が現れたわけで、生存戦略は大きく変わる。食うものと食われるもの、どちらもより高度な運動能力と周囲の状況を感知する能力が必要になる。アレ食える?オレ食われる?をできるだけ正確に判断して、逃げるなり追うなりうまいこと行動を起こさねばならんわけだよ。

となると、やたらめったら動き回っても効率は悪い。エネルギー切れでゲームオーバーになるのも、ダイジな局面でへばっちゃって捕食者に捕らえられジ・エンドも、避けたいからね。効率よく運動するためには、手持ちのエネルギー資源を使うべきか否かを都度判断する必要がある

そんでもって、今、身体のどこにどのくらいエネルギーを回すべき?って資源配分を選択するためには、「この先なにが起こり得るか?」「どんな行動をとるべきか?」っていう『予測』が行われる。

起こり得る未来を『予測』して、『身体のエネルギー予算の配分を決める』。必要になりそうなエネルギーを必要な場所で使えるように、あらかじめ手回しをしておく。筋肉を動かす燃料をあっちにまわせ!神経を興奮させて次の情報に敏感になれ!心拍をもっとあげろ!ってなふうに。それを担う器官として発達したのが、脳なのだ。

進化とともに身体は複雑になり、そのエネルギー管理をする能力(脳)も大きく発達してきた。最初はひとつの預金口座を管理していたのが、たくさんの部門やら子会社やらを抱える大企業の経理部にまでその規模がスケールアップしたイメージ。

脳に託された最も重要な仕事は『エネルギー需要を〈予測〉して、その配分を取り決め身体をコントロールすること』

思考や情動、記憶や想像力も、その働き自体が脳の目的なんじゃなく、予算管理の過程で生じるもんなのよ、とバレット博士は言う。例えば気付くか否かにかかわらず、脳は常に「気分」を生成している。ここでいう「気分」ってのは、感情とか情動の源泉みたいなもの。それは身体予算管理の働きっぷりに応じて快⇔不快、活性⇔不活性のあいだを行ったり来たりする。

身体予算管理の帳尻があっているのか、赤字なのか?「気分」はそれを示している。脳と身体のやりとりから「気分」が生まれ、それが感情に変換されるわけだけど、なにがどう変換されてそうなっているのか?はまだ科学の分野では解明されていないブラックボックス。
これをもっと突っ込んだハナシが、バレット博士の前著『情動はこうしてつくられる』なんだね!

脳は設計図がみんなだいたい同じ

さてさて、脳が身体予算管理のために発達してきたのはわかった。てことは、その発達の最終形態(最も賢く、最も脳の機能を洗練させてきた)のが人間なんじゃないのかね?🤔と思われるかもしれない。

確かに他の生物の脳、哺乳類や爬虫類、鳥の脳を見るとずいぶんシンプルでちっちゃく見える。まぁ、大きさは身体のサイズありきだから、大きさと賢さは単純に比較できないよね。そもそも身体予算管理に割く割合=賢さかっていうと、なんか違う気もするし。(経理部の人員数が多ければ多いほど、優れた企業なのか?ってハナシ)

でもハッキリしているのは、人間には他の生物にはない特有の部位が付け加えられているって説は、完全に間違いだってこと。

哺乳類の脳は(おそらく他の脊椎動物の脳も)ほぼ同じ設計図で、同じ順序をたどって発達していることがわかっている。パーツが増えたり構造が全くの別物に変わっていたり新しい層が出来たり…ってわけじゃないのだ、実は。

ただ、それぞれのパーツを成長させる期間が違う。A→B→C→D→…と同じ順序で同じパーツを発達させていくわけだけど、ある種はAとBをサクッと済ませてCパーツをじっくり育てて、またある種はAとBを長めに成長期間をとって、CとDは一瞥をくれるのみ…ってなふうに。どうしてかって、そりゃ必要とする予算管理システムは環境によって違うからさ。どこでどう生きるか、それぞれ効率よく生き延びられるように適応してきた結果が、各種生物の脳の違いになってるってこと。

☄人間の脳は他の動物よりも優れて発達しているわけではない。

人間は「高度に」脳を発達させたんじゃなくて、人間として生きるために最も適したカタチに脳を適応させてきた、ただそれだけ。他の動物たちと同じようにね。

爬虫類脳<哺乳類脳<人類脳(三位一体説)

今でもマーケティング手法やら自己啓発系の脳トークで爬虫類脳だとか旧皮質、古皮質、大脳辺縁系なんてワードが出てくるんだけど…(科学的にいえば)そんなもの、ないってこと。それはあくまでメタファーであって、実際の構造は全くそんなんじゃないよってこと。

今なお人気な「三位一体説」

この「脳のイメージ」がどんなふうに一般ピーポーに広まったのか、その背景も本書『バレット博士の脳科学教室』にあるんだけど、ともかく抑えておきたいのは、この「三位一体説」はニューロン(神経細胞)の存在が発見された時点で、完全に否定されていたってこと。それでもまだまだ根強く信じられているのは、これは科学じゃなくてイデオロギー(思想)だから。私たちの持つ人間観(アイデンティティ)に関わっているから。

地球は太陽の周りを回っていると認めること、人間がサルと共通の祖先から進化したと認めること同様に、なかなか受け入れられがたい「真実」がここにある。

「人間の行動をコントロールする3つの力、生存本能、情動、理性は、絶えず心のなかで闘争を繰り広げている」という古代ギリシャの人間観、「他の動物の頂点に君臨する特別な神の被造物」としての人間観は、実は脳そのものの構造や機能とは一致していなかった。

情動VS理性

愚かな行動は、制御のきかない内なる太古の野獣によって引き起こされるのではない。また、品行方正な行動は理性が働いた結果などではない。

そもそも理性と情動は競合などしていない
それどころか、脳内で棲み分けられてもいないのである。

『バレット博士の脳科学教室7½章』

「理性」ってのは、最初に確認したとおり、本能や情動といった「非合理」な働きに対して、それを抑える「合理的な」意志って意味で使われるコトバだったよね。人間らしさの核になる能力で、道徳的なふるまい、善い行いにつながる自覚的な意志。情動の影響を受けない思考こそが、理性的、合理的👍とされている。

でもさ・・・試験前の勉強時間を削る事がわかっていながら、良い情報があるかもと「考えて」SNSをずっと眺めるのって、非合理的な思考じゃない?逆に、情動が合理的なふるまいを促すことだってある。危険が差し迫っているときに恐れを感じたり興奮状態になるのは、合理的でしょ。

脳の働き(身体予算管理)の視点で言えば、「合理的」なふるまいってのは、現状に見合った妥当な身体予算の投資だからね。

手元にある資源(水分、糖分、グルコースなどなど)を消費するか、蓄積するか。未来を予測しつつ直近の環境でうまいこと生き延びて、繁栄すること。それができるなら、合理的なふるまいだと言える。

活発な運動は身体にとって不快なものでも、将来の健康にメリットがあるわけだから合理的な行動なんだよね。誰かの発言にモヤッとするその反応だって、新しいことを学ぶためのエネルギーが回されていると考えれば(ストレスを受けてコルチゾールが分泌される→学びのエネルギー源グルコースが準備される)これだって合理的な反応だ。

情動が理性を乗っ取ることはない。理性によって情動を抑えれば合理的な判断ができるというわけでもない。この考えを社会が受け入れるとき・・・誤った人間観、脳のシステムのイメージを前提に構築されているもろもろの制度(法の裁き、教育、政治エトセトラ)は、その基盤の見直しをせまられる。

あなたの脳はひとつしかない。3つではない。
はるか昔にプラトンが提起した闘争のたとえを克服するために、われわれは合理性、自己の行動に対する責任、そしておそらくは人間の本性について、根本から見直す必要がある。

『バレット博士の脳科学教室7½章』

脳の構造とその特徴(メタファーと事実を混同するべからず)

脳は層状に進化してきたわけじゃなければ、各部位に各機能を備えたジグソーパズルでもない。今私たちが”脳に関する事実”と思い込んでいるほとんどのものは、事実じゃなくてメタファー(例え話)だってことを心に留めておきたい。

例えば有名な「左脳は論理的で右脳は創造的」というのもメタファーのひとつ。ビジネス書好きな人は聞いたことがある「脳にはシステム1(迅速な直感的反応)とシステム2(緩慢な熟慮的プロセス)が備わっている」という考えもメタファー。実際のところ脳は、活性化した部分がスイッチのオンオフのように光るわけでも、コンピューターファイルのように記憶を「蓄積・保存する」わけでもない。

脳はたったひとつの巨大で柔軟な構造へと結合された、1280億のニューロンからなるネットワーク

じゃあ実際、どんな構造、働きの仕組みを持っているのかっていうと、それはネットワーク。脳はネットワーク構造だって言うとき、これはメタファーじゃなくて事実そういう構造なのだ。電気シグナルを送受信しあうニューロン(神経細胞)は、オン・オフのスイッチみたいに情報が届いてオンになるのをじっと待ってるわけじゃなくてね。ネットワーク配線を通して常に(死ぬまで途絶えること無く!)会話し続けている。やりとりの強弱はあれど、ニューロンは常にオン!

それはまるで世界の航空ネットワーク!

空港から空港へと乗客や荷物を運ぶように、ニューロンを通して電気的シグナルや科学的シグナルが運ばれる。直行便でつながる空港もあれば、ハブ空港を通してトランジットする便もある。中枢ハブとして機能する空港があることで、全部の空港が他の全ての空港に繋がっていなくても、世界中どこの空港へも訪れることができる。もし全部の空港が全部の空港に繋がっていることを考えると・・・便利なようで、大惨事になりかねないからね。ハブ空港があるおかげで他の地方空港の負担は軽くなって、資源も効率よく運用される。
ニューロンもまさにそんな感じ。全部が全部に繋がっているんじゃなくて、ハブを経由して全体につながることができるシステム。このハブ空港役のニューロンがダメージを受けるとお空の交通は大混乱になっちゃうんだけど、そんなときでも空港同士が連携して、航路を変更すしたりなんだりして頑張って立て直すことができるのも、脳のネットワークのステキな特徴のひとつ!

変化し続けるネットワーク

ニューロン空港で働く職員さんたち「神経伝達物質」はニューロンたちのやりとりを促したり、足止めしたりする。改札係、保安検査員、地上警備員・・・いろんな役割をもった職員さんたちが円滑な運行を目指して(ときに遅延の原因をつくることもあるけど)働いている。
セロトニンとかドーパミンとか、他の神経伝達物質に影響を与える化学物質は、空港間で遭遇する天候のようなもの。伝達を速くする追い風になったり、嵐のように離着陸を邪魔したりする。

職員さんたちの働きや天候の影響を常に受けて、便の本数が変わったり別のルートを経由したり、ネットワークのパターンは何通りにもなる。
パット見変化がないように見えて、脳のネットワーク配線は瞬間瞬間に、めまぐるしく変化し続けている

脳の配線は、古いターミナルビルの増築や改装のように、ゆっくり変化し続けてもいる。ニューロンも生まれたり死んだりするからね。つながりは増えたり、減ったり、そのつながりも強くなったり(運航便の本数が増えたり)弱くなったり。新しい情報を学習すると、その記憶は配線の変化(新規ルートの開拓!)というかたちで組み込まれていく。

ニューロンのマルチな活躍

ニューロンのつながりは、私たちが思っているより柔軟なのかもしれない。例えば視覚に関与していると言われる脳の部位のニューロンでも、聴覚や触覚に関する情報を運んでいる。必要とあらば仕事(視覚情報メインに運ぶ?聴覚情報メインに運ぶ?)の割合を変えることもできる。

身体予算管理の仕事を担う部位だって、記憶、情動、知覚、意思決定、苦痛、道徳的判断、想像、言語、共感等々あれこれの仕事にも関わっている。つまり、たったひとつの心の機能に特化したニューロンは存在しないってこと。ニューロンはスペシャリストというよりジェネラリスト。
科学者が「視覚皮質」「言語ネットワーク」という機能を指す名称を用いたとしても、それはその部位が特定の機能だけを果たすってことじゃなくて、その科学者が注目しているポイントを指しているってこと。ニューロンの全部が全部万能選手ってわけじゃないけど、どのニューロンも複数の仕事をしている。ひとつの空港が航空機の離発着、チケット販売、食事の提供、いろんな仕事を含んでいるのと同じようにね。

違うメンツの働きで同じ働きをすることも

目の前にあるコーヒーカップに手を伸ばして、ひっこめる。この単純な動作であっても、毎回同じニューロンたちが働いているわけじゃない。何回か繰り返すと、そのたびに違うニューロン群が仕事に関与していく。ニューロンの働きだけじゃなく、遺伝子も、嗅覚も、免疫系も・・・同じ結果(目の色、感じ方)が違う組み合わせから生み出されることがある。この現象を「縮重」って言うんだって。しゅくじゅー

経路案内を検索したときに、出発地点と目的地は同じでもいろんなルートが出てくるように、利用する航空会社、航空機、座席、乗務員のサービスもその時その時でさまざまに変わるってこと。

だからね、ひとくちに「恐れ」と言っても、脳はつど違うニューロン群でその感情を作り上げているってこと。ひとつのニューロン(部位)がひとつの特定の役割に縛られるわけでもなければ、ひとつの結果がお決まりの配線から生まれるわけでもないってこと。行動も経験(感じること考えること)も、いろんなルートを辿って生み出されている。

記憶の「縮重」

ひとつの部位がひとつの役割を持つ構造よりも、ネットワークを通して色んなパターンの役割や方法をつくる構造のほうが、はるかに複雑なパターンが生み出せるでしょ。複雑であれば複雑なほど、より多くのパターンで情報を取り扱える。情報の取り扱い容量が大きいってことは、記憶の容量も大きいってこと。

「記憶」といえば蓄積、保存するイメージがあるかもしれないけど、実際には記憶ってやつは需要に応じて再構築された情報のこと。何かを思い出すとき、脳は情報をかき集めてそのイメージを改めて組み立てている。

オモシロイのは、同じことを思い出すときでも、その都度違うニューロン群が活躍するんだってこと!!そう、これも「縮重」だね。行動や経験をいろんなパターンで操作するように、記憶もまたいろんなルートを辿って組み立てられる。

複雑だから、いろんなパターンに適応できる

人間の(複雑性の高い脳の)創造力の秘訣は、ここにある。過去の経験を色んなパターンで組み立てることで、未経験の出来事に対処できる応用力が生まれる

初めて訪れた高原の登り坂、初めてお邪魔したお宅の階段でも躓かずに登れるのは、過去に似たような坂道や階段を登ったことがあるから。神経の複雑なネットワークが色んなパターンに応用できるおかげで、気候条件や社会構造が全く異なる環境でも人間は繁栄できるし、生まれ育った土地とは違う環境に移住したとしてもそこで生きていける。

もちろん、複雑度の高い脳を持つのは人間だけじゃないのよ。タコや鳥も、知的な行動をとる。「大脳皮質(人間の理性や言語能力に結び付けられてきた部位)」が無くても、ちょっとした道具や言語を扱う能力を持つ種だっている。繰り返すけど、高度に複雑化した人間の脳は、進化の頂点に君臨しているんじゃなくて、自分たちが暮らす環境にうまく適応しているってだけだからね。

経験している現実は、現実の解釈を映し出した「幻想」

記憶は過去の情報だから、「組み立てられている」といわれても、そこまで衝撃じゃないかも。間違った記憶とか、記憶が変わっちゃってることもあるのは、違う組み立て方になったときになにか抜けたりモレたり追加されたりしたのかな?なんて思うし。

じゃあもうちょっと、ドキッとする事実に触れていこう。
私たちが「今見ている現実」も、脳が組み立てた構造物だ(つまりホンモノの現実ではにゃい!🙀)ってハナシ。

われわれが見ている世界は写真とは何の関係もなく、非常に流動的で真に迫るがゆえに外界の正確な写しのように見える、脳の構造物なのである。だがそれは、必ずしも正確な写しではない

『バレット博士の脳科学教室7½章』

私たちが感覚器官を通して受け取っている世界の姿(映像や音や匂い)は、絶え間なく浴びせられる意味のない刺激でしかない。光の波長であったり、化学物質、気圧の変化・・・そこに見出す「感覚(見えた、聞こえた、におった)」はまだない。ぶちまけられるレゴブロックのシャワーのように、バラバラな刺激の断片。

脳はこのデータの断片をどうするか、次に何をすべきか決めないといけない。ここで思い出してほしいのは、脳の最重要任務が『身体予算管理』だってこと。脳はこの大量でバラバラなデータに「意味」を結びつけて、起こりそうな状況に備えて資源を確保・分配し、身体の各部位に行動の指示を出さないといけない。

じゃあ、どうやって?どうやってその「意味」ってやつを、光の断片から映像を、音圧の変化から音を、化学物質から匂いを導き出すのか?ここが、この本のめちゃんこオモシロイところなんだよ!!

経験や行動は最終的に勝ち残った<予測>そのもの

キーワードは<予測>。

今、身体のどこにどのくらいエネルギーを回すべき?って資源配分を選択するためには、「この先なにが起こり得るか?」「どうなりそうだから、どうしなきゃいけない」っていう『予測』が行われる。

起こり得る未来を『予測』して、『身体のエネルギー予算の配分を決める』。必要になりそうなエネルギーを必要な場所で使えるように、あらかじめ手回しをしておく。それを担う器官として発達したのが、脳なのだ。

その<予測>ってやつは、外部の出来事から収集した情報だけじゃなく、過去の経験や記憶を参照して構築される
鼻に届いた化学物質に「おなべが焦げてる!」とハッとするのは、自分が今リビングにいて、さっきまで料理をしていた記憶と、昔嗅いだことのある焦げた物質のニオイの記憶を結びつけられるから。そして過去の類似した状況で起こった身体の反応(似たような状況で、どうしたか?)を参照してエネルギー配分を決める。素早く動けるように心臓がドキドキ、キッチンの方角に視線を向け、次に見るべきもの(お鍋)を発見しなければいけない。この、外側で起こっていることと内側で生じること、両方の情報ブロックを組み合わせて作った「意味」が「経験」ってやつ。

情報の断片を脳が記憶とドッキングさせて再構築しているのは分かるけど、それを「幻覚」とまで言えるのか、って?それがねぇ、言えるんですよ、奥さん✋脳は受信したデータそのものに意味づけの装飾をして構築しなおしてるだけ、じゃないんです。この構築される現実ってやつぁ、<予測>ありきなんですな。

感じているのは感覚器官👀👂🐽👄ではなく脳🧠

バラバラの情報の断片を受け取った脳は、まず<予測>する。その<予測>は過去の経験や行動を参照する。さっきした記憶の「縮重」のハナシを思い出してほしいんだけど、記憶は経験そのものを「保存」しているわけじゃなくてね、いろんなデータの寄せ集めをもういっぺん意味づけして組み立てなおして生じるものなんだよね。それも、都度いろんなネットワークパターンを経由して。

このデータは過去のあれとそれとこのデータに類似しているな、ふむふむ、ということは、この光波はきっとあのイメージと同様のものだろう。この<予測>データを視覚担当者に送っておこう。それからこの気圧の変化は、えーと、過去に聞き覚えのあるあれとこれを組み合わせたものに近いぞ。じゃあ、この<予測>音声データを聴覚担当者に。・・・ってなふうに。
私たちが「経験」している現実は、実は脳が<予測>した現実なんだってこと。脳が分析した、たくさんのパターンの<予測>のうち、最も現実と整合する勝ち組<予測>が、私たちの経験(何を見た?聞いた?という感覚や判断)や行動そのものになる
つまり、気圧の変化やら化学物質やら諸々の情報の断片を、音や視覚や味という「感覚」として受け取っているのは、感覚器官(目、耳、鼻、口)なんじゃなくて脳だってこと。

脳は<予測>のプロフェッショナルだからね。そのほとんどが受信しているデータとばっちり整合する。だから私たちは違和感なく生活できる。でも、覚えておきたいのは脳にとって重要なのは「正確さ」ではないってこと。正確さを極めるよりも、生き延びる(効率よくエネルギー管理をする)ためにリスク回避を優先するのが脳の役割だからね!実際にそうかってことよりも、それっぽいかどうかが脳にとって重要なのだ。

過去の経験には、周囲で起こったできごとのみならず、身体の内部で生じたことも含まれる。そのとき心臓は早鐘を打っていただろうか? 息苦しかったか? 脳はこのようにして、「同様な状況に遭遇し、身体が類似の状態に置かれたとき、わたしは次に何をしただろうか?」と一瞬々々自問しているのである。それに対する答えは、現状に完全に適合している必要はなく、生き残って繁栄するのに役立つ行動計画を脳に示せる程度に類似していればよい

脳は現実を丸写しで正確に再構築するんじゃなく、過去の記憶を参照して組み立てた<予測>を、経験すべき現実として身体に連絡する。私たちは脳の<予測>に応じて現実を見たり、聞いたり、感じたりしている。

日常の経験は、外界と身体に制約されながら最終的には脳によって構築された、注意深くコントロールされた幻覚である

『バレット博士の脳科学教室7½章』

<予測>の世界を見ている例

脳の<予測>と現実にギャップがある例でわかりやすいのは、トリックアイとか錯視だね!

AとBが「実際は」同じ色だって、信じられる?
コーラの缶は何色に見える?
この画像「実際」には黒と白と青緑だけしか使われていないんだよ。
どっちの棒が長いでしょう?「実際は」全く同じ長さなんだけどね!

感覚も<予測>したイメージをなぞってるだけなんだよってのは、例えば喉がカラカラなときにお水を飲むでしょ。私たちは水を口に含んだときに、潤う状態を<予測>して、身体に潤いの感覚を先取りして感じている。水分が身体に浸透するには20分はかかるはずなのに。

私たちが生きている世界は、それぞれに主観的な世界

この「感覚」のギャップにオモシレェー!!ってなる人は、この本も楽しいかも🤗↓

全員が同意する「客観的な世界」は存在しない

『なぜ世界はそう見えるのか』デニス・プリフェット

坂の勾配や距離感、思想、いろんな「ものの見方や感じ方」は、実に主観的なもんなんだぞってハナシを、この本では「身体」との関係性にからめて紹介しているよ。

あたなは世界を見ているのではない。『あなたが見る世界』を見ているのだ。

『なぜ世界はそう見えるのか』デニス・プリフェット

身体の在り方が、世界の感じ方や受け取り方を左右する・・・環世界ウムヴェルトってやつだね!!私たちの感知している世界は、客観的な世界なんじゃなくて、独自の知覚をもとに構築している個別の世界(環世界)なんだってハナシ。生物によって見たり聞いたり感じている世界はまったくそれぞれに違うだろう、って考えたユクスキュル博士の視野の広さはスゴイ。

人間があたりまえに普遍的だと思ってる空間感覚、世界の姿、時間の感じ方も、それは人間独自の「環世界」内部のものにすぎないんだろうね。

自分で気づく前にその行動は始まっている

私たちが見たり感じたり経験している世界は、脳が<予測>した世界なんだってことも衝撃的だけど、もひとつ衝撃的な事実に進もう。

実際に現実のデータをキャッチする前に、脳は<予測>をして身体予算を配分することで行動の準備を始めている、と、いうことは・・・ワレワレは、実際に見たり聞いたりする前に、「見た!」「聞こえた!」と意識する前に、周囲の世界を見て、聞いている(その<予測>を経験している)ってこと。そんでもって、こうしよう、ああしよう、と意識する前にもう身体の準備が整っているってことになる。あんまりにも経験と逆行するハナシだから、ピンとこないかもしれないけど・・・

意識に先立って行動が始まっている、といえば有名なリベット博士の研究がわかりやすいかな!
例えば目の前のコップに手を伸ばすとき、①手を伸ばそうという意識があって→②身体を動かす、というのが当然イメージする流れだよね。でも実際には①脳が手を伸ばすための準備を整えて→②手を伸ばそうと意識する→③実際に手を伸ばすという身体の動きスタート、って順序になってることが実験で分かったもんだから、さぁ大変。行動を意識するより先に脳はもう行動の準備をスタートしている
ってことは、ワレワレは意志をもって行動しているんじゃないのか?と「自由意志はあるのか」論争が巻き起こったわけですな。

もし自分の行動が「自分の選択(自由意志)」じゃないとするなら、自分の行動の責任は誰が負うのか?

バレット博士は「自由意志はあるのか」論争に決着をつけるつもりはない、と前置きをしたうえで「それでもワレワレは自分の行動に大いに責任がある」と言う。これもバレット博士のレッスンでシビレルところ!

「自由意志」論争が見落としているポイント

私たちが「経験」しているのは、脳が〈予測〉した現実の姿。実際に感じたり動いたりする前に、脳は先まわりしてその現実を準備する。そうしよう、と考えるよりも早く。(というか、その考え自体が脳の〈予測〉から生まれたものなのか?)
でもね、思い出してほしいのは、脳の〈予測〉は何をもとに組み立てられているのかってこと!!行動を始動する〈予測〉は、何も無いところから湧き出るものじゃない

友達に言うべきじゃない言葉を言ってしまったとしても、そもそもその言葉を知らなかったら口からは出てこない。小さい頃に爪を噛む癖がなければ、大人になっても爪を噛んだりはしない。私の脳の〈予測〉は、私の過去を参照して組み立てられる。

過去が変われば〈予測〉は変わる。〈予測〉が変われば現実の経験が変わり、行動が変わる。自分の過去を変えることはできないけども、今努力すれば未来を〈予測〉するありかたは変えることはできる

たとえば、少しばかり時間と労力を費やして新たなアイデアを学ぶのもよい。新たな経験をしたり、未知の活動に挑戦したりするのもよい。今日学んだことのすべてが種を蒔き、明日の脳の〈予測〉のしかたを変えるのだ。

だからバレット博士は、自由意志があるにせよないにせよ、行動の責任は自分にあると言う。

わたしがいいたいのは、「ものごとに対する責任は、本人の欠陥に由来するのではなく、それを変えられるのは自分しかいないために生じる」ということだ。

思想家の内田樹せんせが言ってたんだけどね、責任(Responsible)ってのは、応える(Response)能力がある(able)ってこと。自分に責任があるってのは、罰せられるべき負い目があるってことじゃなくて、応答するチカラが自分にあるって認めること。バレット博士が言う「責任」も、そういうことなんじゃないかな。

新しい挑戦、学び、出会いが<予測>のパターンを更新する

脳は常に変化し続けているネットワーク構造だってハナシを最初にしたでしょ。新しくつながるネットワーク配線が組み立てる記憶は、これまでとは違う解釈を生むかもしれない。新しい発想をくれるかもしれない。
こまでBOOK CAFEそらふねで紹介してきた「幻想」シリーズも、新しい<予測>を生むきっかけになればいいなって思う。今見ている現実の解釈が変わる、感知する現実そのものが変わる、行動が変わる、そして未来が変わる。

「生物の頂点にいる特別な存在」である人間観から、新しい人間観へ。「理性と情動が絶えず闘争している葛藤者」である人間観から、もっと柔らかくて大きな、可能性に開かれた存在としての人間観。私はその新しい人間観が導く未来が、善き未来であることを信じている。

その善き未来に向かって、BOOK CAFEそらふねを走らせたいッ🚌💫

私が見たり聞いたり感じている世界は、私にとって「世界はきっとこうだろう」と〈予測〉した世界の姿。私たちはみんな「自分の(脳が)構築した世界」を経験しているわけだけど、それは決して閉じた世界じゃない。むしろ、思っている以上に影響し合っている。

誰かと接するとき、脳は絶えず少しずつ配線を変えたり調整したりしている。それは身体予算を共同管理、お互いに調節しあっているようなもの。相手の行動が自分のエネルギーを奪いもするし、与えもする。

ワレワレ人間は、肉体的接触や視覚情報だけじゃなく、言葉を使って身体予算を調節し合うことも出来る。血流をストレスホルモンで満たす意地悪な言葉もあれば、神経系を落ち着かせて心拍や呼吸を穏やかにしてくれる労りの言葉もある。

バレット博士の言う「身体予算の調節に貢献し合う関係性」は、「生命力を高め合うつながり」🤝✨のことだよね!

言葉は距離を超えて、時代をも超える。
ある詩人が残した感動と喜びの言葉が百年後に誰かの心に触れて、その人の見ている世界を変えることもある。

『百年後』
いまから百年後に
わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人
君はだれかー 
 
いまから百年後に?
早春の今朝の喜びの 仄かな香りを、
今日のあの花々を、鳥たちのあの唄を、
今日のあの深紅の輝きを、わたしは
心の愛をみなぎらせ 君のもとに
届けることができるだろうかー

いまから百年後に。
それでも、ひととき 君は南の扉を開いて
窓辺に座り、 
遙か地平の彼方を見つめ、物思いにふけりながら
心に思いうかべようとするー

百年前の とある日に    
ときめく歓喜のひろがりが、天のいずこよりか漂い来て
世界の心臓(こころ)にふれた日のことをー
いっさいの束縛から解き放たれた 奔放で うきうきした
若やいだ早春(ファルグン)の日のことをー 

羽ばたく翼に 花粉の香りをいっぱいのせた
南の風が
にわかに 吹き寄せ 青春の色調で
大地を紅く染めたのをー

昔の時代(とき)から百年前に。
その日、生命たぎらせ、心に歌をみなぎらせて
なんと詩人は目覚めていたことか、
どんなにか愛をこめ どんなにか多くの言葉を
花のように咲かせたがっていたことか!

百年前の とある日に 

いまから百年後に
君の家(うち)で、歌って聞かせる新しい詩人は誰か?
今日の春の歓喜(よろこび)の挨拶を、わたしは その人に送る。
わたしの春の歌が、しばし君の春の日に こだましますように。

君の心臓(こころ)の鼓動のなかに、若い蜂たちのうなりのなかに、
そして、木の葉のざわめきのなかにも、こだましますように。

いまから百年後に。

『百年後』ラビンドラナート・タゴール

この記事が、BOOK CAFEそらふねのメッセージが、言葉が、「善き未来」を共に〈予測〉できる(つまりそれを自分の現実として経験する!)配線になりますように💫生命力を高め合うつながりに、なりますように。

ここまで、このひたすら長いnoteをここまで読んでくれてありがとう!!これでもこの記事、削りに削ったんだけどね…人間の社会を支える脳の仕組みとか、乳児の脳の発達だとか、省いたハナシはたくさんあるんだ。。。それでも、BOOK CAFEそらふねプレゼンツ「幻想」シリーズの締めくくりに、やっぱりこれは伝えたい!!!って部分を詰め込んでたらこの長さよ…💨

改めて、読んでくれてありがとう。BOOK CAFEそらふね、「善き未来」目指して今日も銀河をかけまわるよ⛵💫「幻想」を超えて、新しい人間観でつながる善き未来へ。祈りを込めて!

BOOK CAFEそらふね「幻想」シリーズ

さぁこれで、ひとまず「幻想」シリーズはおしまい!今回のシリーズは、書籍代に、と読者のLさんからサポートをいただいたおかげで、エネルギーぶんぶんまわして完走できました💪✨!!これまで応援を送っていただいた方たちにも本当に感謝です。


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noteの感想、メッセージときどきLINEでいただくの。すっごく嬉しい♡身体予算を豊かにしてくれてありがとう♡(笑)
「この本をぜひBOOK CAFEそらふねで!」ってリクエストも、いつでもウェルカムですぞ🙌

まとまりも脈絡もなく書き散らかしているほうの↑ブログ


もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!