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「酸性雨のランチタイム」

木星首都のジュピトリアン行政省にて、長く「色欲成金」と口汚く嘲笑され続けていたプリデアン男爵が心臓発作でこの世を去った。若い頃から肥満による糖尿病と高血圧に苦しんできたらしいが、高額費用をかけた延命処置により息を繋ぎ続け、自力呼吸が止まってからほぼ一年。家族が望んでの合法安楽死だ。

それをソーヴィが聞かされたのは、軍内部にある上級パイロット向けリストランテ「ハヌマーン」にて、待ち合わせ相手からの連絡待ちをしていた十八時。
人工衛星ゴルドスがちょうど宇宙港のイルミネーションを点滅させ始め、ピンクからネオンブルーとパープルへと塗り替えられる美しい夕暮れだった。

「104歳! はあ、おめでたい天寿だ。私はとてもそんなに長生きできないだろうな……」

メッセンジャー・サイボーグに受け取りのサインを返しつつそう呟くと、最新人型サイボットであるMED:13Rは、プログラミングされた微笑みを浮かべる。人工知能が生み出す偽物のスマイルサービスだ。

「ロバータ、うちの小隊名義でグレーギフトを送ってくれ。二万ジュベくらいの範囲で。私も明日の葬儀には向かうから」
「了解しました、マスター」

イヤーカフスに繋がるサポートIDに告げて、空腹を訴える胃の中に何か入れるべくメニューパッドを開く。

「色欲成金、か……」 

ロマス・プリデアン男爵は木星空域に、初めてセクシャル・サービスを充実させた実業家だ。それまでの百年間、木星は地球から移り住んだ労働者達の貧しい集落があるのみで、その手の水商売とはほぼ無縁だった。

だが、ツタンカーメン・グループが木星のコアに眠っていた原始水源を掘り当ててから、一気に観光業や不動産会社の新しいターゲットと変貌。地球の中央都市にも引けを取らない発展を遂げることになる。

初代男爵で、今回亡くなったサー・プリアデンの祖父にあたる男が、地球外に初めてサイボットによる風俗デリバリーを起業し、三代に渡り一世紀経過した今ではビジネスが100億産業に滝登った。

そんな男爵は、ソーヴィの義理父である静・フォン・ツタンカーメンと、何度も軍備拡大や増税について衝突した貴族院の先鋒メンバーでもある。
静はきっと今頃、天敵の訃報に冷笑を隠しきれないに違いない。

義父の思惑はどうあれ、ソーヴィにとっては軍部と兵器工場に多額の支援を払っていたスポンサーでもあるし、先日のように保守派閥グループに悪意から後方支援を断たれたりしないよう、告別式に赴き外観を取り繕わねばならないかった。


「クリーニングが終わっていて良かった」

セルフィアイで確認すると、二週間前に衛星地雷を間違えて踏んでしまい、殉職した整備班の通夜に着た第二略式軍服が既に自室に届けられている。
現場で命を落とすのは若い下士官やメカニックばかりで、相変わらず親や祖父母の家名が古い高齢の人間は、整えられた病院や自宅の広いベッドの上での大往生が続いた。左官以上の階級を持ちながら、一度として実戦を体験したことがないであろうシニア層も多い。

八歳だったソーヴィが静・ツタンカーメンの養い子として社交界に初登場した時、冷遇しあからさまな差別を向けてきたのは、プリデアン男爵家を始めとする
成り上がりの下級貴族だった。

絶対的なカリスマ性を誇る義祖父の響や、その実子である静には頭脳的にも舌戦でも足元に及ばないと理解していて、子供の自分を代わりに傷つけようとしたのだと思う。

だが、誰もソーヴィ・憂を平伏せる事などできなかった。ただ一人、太陽系エリアにて自在に重装備エアバトラーを乗りこなす無敵の騎士など、太陽系や他星域には誰も存在しなかったのだから。


通知音に気づいてメッセンジャーをタップすると、血の繋がりのない父親からメッセージが入っている。

『すまない、ミーティングが長引いて今日は帰れない』
「良いよ、一人で行くから」
『お土産、何が良い?』
「じゃあ、ソルフェージュのチーズケーキ」
『わかった、悪かったな。待たせたのに』
「いいよ、またね」

現在は宇宙軍統帥に座する44歳の義父は、いまだに自分をまだ肩車していた頃の幼子だと思っていて、クリームスイーツや焼き菓子で機嫌がとれると信じ込んでいる。それでも構わない。彼が必ず自分の待つ家に、元気で帰って来てくれるなら。

もう昔のように、一か月から二ヶ月も留守番をさせられて不貞腐れている子供ではないのだ。

半年振りの父子の食事をすっぽかされたが、最近はソーヴィ自身も演習やエアバトルの実戦テストで時間が取れない。仕方なく義父から渡されていたカード支払いで、その夜はローストビーフメインのコース・ディナーを黙々と食べた。



翌日のプリデアン男爵告別式当日は、木星の天然ガスが定期的に起こす雨模様だ。どうにもゆうべから頭が重いはずだと、漆黒の略式礼装軍服をベッドに並べたソーヴィは、どっぷりと憂鬱になる。

「あ〜あ、つまんないの」

子供の頃から飲んでいる処方薬が効いてくると偏頭痛は少し治まってきたが、軽い鬱症状はだらだら続いていて身体が怠い。長雨が冷たいこんな日は、きちんと食事をして起き上がった方が体調も改善すると知っているが、行きたくない訪問を控えて気分が落ち込む。

____ウレイ様、メッセージが一通届きました。送信先は、

『はいなに? ケーキ以外なら芋羊羹も欲しいけど』
「……イモヨーカンってなんだ?」

てっきり義父と思い込んでいたのに、意外な声が耳に入って寝台から飛び起きた。

「アルマンゾ伍長!? 月面ステーションはどうしました!?」
「うわ、声デケェ。それが取引先の偉いさんが約束ほっぽりやがって。
今、ポラリス・マーケットの中にいるんだわ。酸性雨がやまねえし」

声変わり前のハーフ・ハイブリッドが銀色の長いたてがみから雨雫を滴らせて、リンクビジョンにしかめ面で映っている。ソーヴィのように再生手術や延命エイジングをしていない地球ナチュリアからすれば20歳ほどの年齢に見える彼だが、獣人DNAは成人期を迎えると一気に骨格と筋肉を強靭に発達させる。腹心の部下のまだスラリとした未成熟な姿を見られるのも、きっとあと一年足らずだろう。


「私もそっちに行っていいですか?」
「え、だってアンタ、親父さんと久し振りのランチデートは?」
「こっちも昨日からほっぽりです! すぐ行きます!」
「アンタな、ちゃんとSPと一緒に……」

怠かった気分が一気に晴れて、ウォークイン・クローゼットの中に飛び込む。
義父に見せようと用意していた春の新作コットンシャツをアンダーの上に着込み、ワイドボトムを履いて慣れたラム皮のハーフブーツに足を突っ込んだ。

「なんだ、マスターから約束をキャンセルされたのではないのか?」

忠実な家令が広いキッチンから長身を覗かせる姿は、多分母親とはこういう存在なのだろうとソーヴィに思わせてくれる。カレー粉の匂い、自分の好物であるエスニック・ライスを準備してくれたのだろう。

「伍長とマーケットに行って来る! それは明日の朝食べるよ!」
「憂、護衛はつけるからな!」

案の定、母代わりとも言えるウルフ・ガーディアンが、身長190cmにフリルのついた白いエプロンを翻し、エントランスを踊るように走り抜けて来た。成人期を終えてそろそろハイブリッダーとして壮年域に入るヨアネス・銀郎は、義父の静とは乳兄弟だ。仕事で長く屋敷を留守にしている静に代わって、ソーヴィを愛情深く育ててくれた。

「葬式の前に遊びに出るなんぞ、縁起が良くないというのに」
「別に、個人的には義理も恩も無い人だもん」
「それはそうだが……、ああ、ほら。リボンが歪んでいるぞ」

静の親友の忘れ形見という出自が理由でツタンカーメン家の人間として育ち、今や「猛禽王のただ一人の後継者」となった憂・ソーヴィにはずっと同世代の友人は存在しなかった。そのせいか、ギャング集団だったピンキーダッシュ・ファミリーのリーダーである少年がソーヴィと親しくなっても、銀郎は一応苦い顔はするが文句は溢さない。

「……充分気をつけて、一人の大人として行動するんだぞ。お前は顔が売れているから」
「平気だよ、アルマンゾ伍長がいるもの。どんなSPより腕は立つよ」
「まったく、ツタンカーメンの跡継ぎがギャングボーイズとつるむなんぞ……。マスコミ連中には格好の餌食だよ……」
「元ギャングだよ。今は違う」
「……そうだが」
「彼らだって食べるために必死だっただけだ。銀郎が一番理解してると思ったのに」
「まあな」


地球の外で生まれ育ったハーフハイブリッドの獣人達は、元々は奴隷の身だ。彼らが「マスター」と呼ぶ主人の支配から逃れて生き延びるのは、使役用に作られた本能から精神的にも大きな苦痛を強いられる。経済的な後ろ盾も全て断ち切らねばならず、明日の衣食住にも絶望せざる得ない状況で未来を繋ぐには、人間の盗賊団や宇宙マフィア、ギャングの下っ端として使役される他はない。

銀郎も、かつてはそんなハーフハイブリッド・ファミリーの仲間だった。四十年前、静の父親でソーヴィの義祖父であるサー・響・ツタンカーメンに拾われるまでは。
だからこそ、自分と同じ過去を持つ愁=アルマンゾにソーヴィを任せることに大きく迷い、結果として仕方なく預ける決心をしたのだった。

「遅れるなら連絡しなさい。俺が迎えに行くから」
「過保護だ〜」
「そうだ、お前が聞き分けがないから」

ブロンズ色の狼にはそろそろ白髪が混じるようになったが、特殊空挺部隊の海兵隊下士官として鍛えられた身体には衰えが全く見えない。ソーヴィは軽くその鼻先にキスして、「行ってきます」と正門を走り抜けた。



雨模様というのに、ポラリス・マーケットの中は学生で少し混み合っていた。支配裕福層と労働者、どちらかに分かれる木星では珍しい光景だ。

「そうか、春休みだものな。地球からの卒業旅行だ」

人気の待ち合わせモニュメント前は混雑するので、二人で決めた噴水エリアに足を進める。案の定、自分より頭半分小さな部下が落ち着かない表情でウロウロと視線を泳がせていた。

「伍長、お待たせしました」
「うお、アンタここに馴染んでんなあ。補導されそう」
「休みの日くらいラフな服でいたっていいでしょ。軽いんですもん」
「いや、服がどうこうじゃなくって。若いよなあって」
「老けて見えるより得だと思ってます! さあご飯に行きましょう! エコノミーの機内食じゃお腹減ったでしょう?」

予想通りの展開に、愁=アルマンゾは溜息を殺した。案内されたのはマーケットから真っ直ぐガーデンプレイス方向へ奥まっているリストランテで、洗練されたセレブレティな匂いが満ち溢れるテラス席。


「ソーヴィ様、ようこそいらっしゃいました」
「こんにちはオーナー。こちらは私のチームの愁=アルマンゾ・ベリーフィールズ伍長です」
「初めまして、ベリーフィールズ様。ソーヴィ様がツタンカーメン卿以外の方と
おいでになられたのは初めてですよ、光栄でございます」
「どうも、よろしく……」

メニューを渡されたソーヴィは、てきぱきとオーダーを指示する。一瞬覗いた手元の流れる字面は、おそらくフランス語で愁には読めない。こんな時は諦めて一任するのが一番だと、目の前の人物から教わった。

「じゃあ、私はムニエルのコースで。伍長はお肉?」
「うん、ミディアムレアで。食前にはクラブソーダをくれ」
「畏まりました」
「私はグレープフルーツジュースで、氷は抜いて下さい」


落ち着いた飴色のゴシック建築の天窓から、雨に濡れた灰色の光がはらはらと落ちてくる。愁は雨音に混ざるソーヴィの声を聞きながら、その七歳年上である直属上司の小さな顔を眺めた。

ソーヴィの絶対的な守護者であり義理の父親でもある静・ツタンカーメンの姿は、遠くから数度確認したしネットやテレビで拝まない日が少ない程の有名人だ。初めて名乗られた時は「ツタンカーメン」の発音綴りがわからなかった事と、あまりにも二人が外見的にも性格的にも違い過ぎて、親子とは想像できなかった。二人に血の繋がりが無い話は、この太陽系では有名な伝説にもなっていたらしいが、ずっと外宇宙で根無し草生活をしていた身には無縁だったのだ。

演習訓練でもそうなのだが、この上司は一見の幼さを裏切る王族の風格を隠し持っている。押し付けがましくない支配者のオーラが時々滲み出るのだ。どんなに庶民的なファッションに身を包んでも、高貴な育ちだけは隠せない。今になれば、「猛禽王ツタンカーメンの後継者」と言われれば納得する。

「……では、食後にシャンパン・ソルベと……、ベリーフィールズ様はピスタチオアイスをお持ち致します。どうぞ、ごゆっくりなさって下さいね」

「お酒の飲めない年頃の人とは食べるのも気楽です。変に気を遣われないし」
「まあ、下戸だと酔っ払いに合わせねぇとならんしな」
「伍長は、火星にいた頃はよくお酒は飲んでいたんですか?」
「あっちの飯場だと、アルコール以外は水しかねぇんだよ。それもいかにも人工水な味でさ。ヒップビールだと軽いし、元々が火星産ハイブリッド麦だからな、美味いぜ」
「私も一口なら飲んでみたいな」
「分かった、次のミーティングの時に持って来るよ」

灰色の霧雨に濡れる庭園の眺望を眺めながら、若い二人は黙々と遅い昼食を片付けていった。

「アンタ、普段も朝飯は抜くの?」
「仕事の日は食べますよ、三食。起きている時は何か入れないと胃液で焼けてしまうし。今日みたいな連休だと一日断食して、胃腸を休めてるんです」
「そりゃまあ、地球ナチュリアって繊細なのな」
「私が特別なだけだと思います。子供の頃から消化器系が頑健ではないので」

メインのラムステーキと舌鮃のムニエルを半分ずつお互いに分けて、皿を交換する。ソーヴィのナイフ捌きの美しさは王侯貴族レベルだが、軍隊育ちの義父の影響を受けているせいか時折こういう気安さを見せるのだ。気兼ねないそれらが愁には好ましかった。
いつも通り、ソーヴィは音もなく銀のカトラリーを上手く口に運んでいく、

「そうか、言われてみれば父以外の人とここに来るのは初めてかな」
「支配人のオッサンの態度からして、親子二人で相当入れ込んでると見た」

愁が左手親指と人差し指でマネーサインを作ったので、ふふっと童顔から笑みが溢れた。

「伍長が連絡してくれるまで、メンタルが落ちて寝入ってたんです。やっぱり話して動いて食べると元気が出ますね」
「俺のおかげじゃん」
「そう、本当に。ありがとう、こんなに笑ったのは久し振り」

ああこれだよ、全くよくにこやかにそんな恥ずかしい台詞を作れるもんだな。

だが、愁はそんな率直で柔らかなソーヴィこそ自分のような雑種には有難い存在だと理解している。本来なら食事の席を共にするどころか、対面の会話さえ許されない身分差なのだから。

「美味いな、このアイス。食う?」
「ありがとう、私のもどうぞ」

アルコールに弱い二人は、淡やかなシャンパンの香りに少し頬を温めた。

「せいぜい生きていてできることなんて、自分の健康を大切にして、日々なんとか生きて。時々幸せにこういう食事を楽しんで、他人に親切にするくらいなのかもしれませんよね。思いやりとか優しさには、同じものがそれだけ返ってくるもんでしょう」


これから、気が重い相手の葬式に出かけなければならないと愚痴るオリーブブロンドの上司に、銀髪のグリフォン・ハイブリッダーは「そうだな」と相槌を打った。


まだきちんと決まらない、憂の髪型。


今回は気分の向くままに、二人の主人公を書いてみました。愁の過去についてはこちらのnoteに。


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マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。