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「だった人」ってむずかしい

だった人ってむずかしい。
かつてプロ野球選手だった人。
かつて社長だった人。
世の中に「だった人」はたくさんいる。
そういう人は「元プロ野球選手」や「元社長」などと言われる。

だった人って、自分で言うわけではなくて、他人からそう言われることで成り立っている。
そう言われるために必要なものはなにかというと、
野球選手なら、実績や知名度。社長なら肩書。

では私を「だった人」って表わすとしたら何だろう?
職業は会社員。でも社長ではないし、役員でもなければ管理職でもない。今まで役職がついたことがないから肩書きの線は難しい。
現役だから「会社員だった人」でもないし、そもそもかっこ悪いから、現役じゃなくても言われたくない。

だった人ってむずかしい。
他にないかなと考えるけど、これがなかなか見つからない。なぜなら他人から言われるためには、社会的な認知が必要だから。
プロ野球選手ならメディアなどで知られているし、社長でもある程度の社会的な認知は保たれる。

これが狭い社会だけの認知にとどまるとどうなるか。
例えば、「かつて野球部のエースだった人」
有名な強豪校ならまだ「本当に?」くらいにはなるかもしれない。でも無名な学校だったらそうはならないし、信ぴょう性のあるなし以前に「で?」と、どうでもよくなる。

だった人ってむずかしい。
私の生い立ちの中で、なんとかひねり出したのが
「かつて窪塚洋介に似ていると言われた人」

私の名誉のために言っておくけれど、ただ数人に「似てる」と言われただけではない。
私が高校生だった当時、イケメン俳優といえば「窪塚洋介」だった。高校入学したての窪塚洋介似の私の存在は「高校に窪塚洋介がやってきた」と女性たちの間で話題となり、きらめいていた。
しかし残念なことに、当時の私は極度の恥ずかしがり屋。当然そんな話題になっていることなどつゆ知らず。きらめくような高校生活とは無縁の生活を送っていた。
勝手にきらめいていたことを知ったのは、卒業式の時だった。

話がだいぶそれた。
「かつて窪塚洋介に似ていると言われた人」
これはそもそも反則で「だった人」ではない。
だった人にするなら「窪塚洋介似だった人」でなければならないし、似ているという個人差が大きくて、ただでさえ信ぴょう性が薄いものが更に薄まるという薄さの”自乗”効果。こうなるとだった人感は1%未満になってしまう。
もしこれがオレンジジュースなら「果汁1%未満なのにオレンジジュースと名乗る権利があるのか!」とご意見が入れられるレベル。言われるこちらだって恥ずかしい。

私は何だった人なんだろう。
でもだった人って、かつての栄光と現在の状況との差をあらわすときによく使われて、いい意味で使われることは少ない。だったら使われないほうがいいんじゃないかな?
私はだった人じゃなくて、明るい未来へ突き進む現在進行系の人。
きっとそう。

だった人って言われることはいいものじゃない、きっと、おそらく、たぶん。

先日、年始の社内行事にて、だった人に出会った。
社内でも指折りの容姿端麗な人で、かつて誰もが憧れる存在だった人。その人が十数年たった今でも会社の綺麗どころが担うポジションをやっていた。
「かつて美人だった人が今もってやってるなんて……」と安っぽいセリフを言いたい場面。でも言えなかった。
今では見た目だけでなく、くわえて心の美しさもにじみ出る美人になってた。

かつて美人だった人は本物の美人で、本物の美人は、いつまで経っても美人なのを知った。

だった人って奥が深くて、
だった人ってやっぱり難しい。

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