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私の持病と、今年の抱負

新年、明けましておめでとうございます。

みなさまにとって2019年はどんな年でしたか?
私にとって2019年は、感謝とご縁の1年でした。毎年毎年、いろんなことがあるけれど、昨年は特にたくさんのことがあったような気がします。

さて、年越しは、例年通り、古民家シェアハウス「星空の家」で住人さんたちとのんびり過ごし、近所のお寺へ除夜の鐘をうちにいきました。
毎年購入しているだるまも、8個め。ここでの年越しも8年となると、なんだか月日が経つのは早いものです。

2020年は、どんな年になるのかな。

新しい年を迎え、毎年『今年の抱負』を考えているのですが、今年は、私自身に起こった変化が、少なからず影響しているので、先にお伝えを。


実は、昨年11月に体調を崩し、少し入院をしていました。その時、ある病気を発症しました。

医者から告げられたのは「1型糖尿病」。

糖尿病? あ、きっとここ最近甘いお菓子を食べすぎたんだ、と、とっさに思った私。それくらい、健康体そのものの人生を歩んできたので、病気とは無縁だったのです。親を含め、家族に糖尿病はいないし、過去、健康診断でひっかかったこともない。なぜ??

それもそのはず、この「1型糖尿病」、遺伝や生活習慣由来のものでは全くないのです。発症の原因はいまだに不明。突如、膵臓の一部の機能が壊れてしまい、インスリンが出なくなってしまうというもの。インスリンがでなくなると、本来、コントロールされるはずの血糖値が調整されなくなり、食べたら食べた分、血糖値が上がり放題。
そう、緊急入院した時の私の体の中では、インシュリンがほとんど出ておらず、そのため、もはや血糖値が暴走状態。腹痛やら嘔吐やら、色々な影響が出てしまっていたのです。

今まで病院にお世話になることもほとんどなかったのですが、ほんとうに今回ばかりは、危ないところを助けていただきました。

「1型糖尿病」は、いまだ謎が多い病気で、今の医療ではなおすことができないそうです。そのため、ながーいお付き合いがはじまりました。
とはいえ、何か痛みがあるものでもなく、食事制限も特になし。日々の血糖値のコントロールぐらいなので、そこまで大変なことではないのかな、というのが正直なところ。入院中、先生から色々と教えて頂いたけれど、今までの暮らしの中に、ちょっとだけ自分の体に意識を向け、それに合わせて対応する、という感じです。

自分でインスリンを投与しなければならないので、学ばなければいけないことも多いですが、退院して2か月ほどが過ぎて、私が、日常生活で気をつけていることは、たったの3つ。

①3食きちんと食べること(旬のものをバランスよく)
②24時までに寝る(規則正しく6時間睡眠)
③無理をしない(疲れたら休む)

この3つを心掛けていると、血糖値のコントロールがとてもしやすい。こんな当たり前のことを当たり前にすることで、こんなにも仲良く付き合えるなんて。

そう思うと、今までの生活は、決して体にとっていいものではなかったのでは、と思いました。過剰に食べていたり(間食は好きだったのです)、無理をしていたり(休んでいるようで休んでなかったのかも)、何か影響が出ていないから、大丈夫、なんて、思っていたのかもしれません。

本当は、当たり前のことを当たり前にすることが、一番、体にいいコトなのにね。

でも、わかってはいるけれど、そんな当たり前のことを、当たり前にすることができない、難しい、と思ってしまう、今の世の中ってどうなんだろう。豊かさって、なんだろう。そんなことも改めて思ってしまいました。

そういえば、私が東京を離れて、地方に移住をしようと決めたとき、この3つのことができなくなっている今の暮らしを変えたい、と考えていたっけ。

当時のブログにこんなことを書いていました。
「私が移住をした理由」(2011.5.10投稿)

そうそう、あの時思っていたことは、まさにこうだった。

なんだ、あの時と考えが変わってないじゃない。

でも、たとえば、まだ移住する前の、10年前の私が病気を発症していたら、どうなっていたんだろう。

きっと、間違いなく発狂していたと思うのです。

これからどうすればいいんだろう。仕事は続けられるのかな。困った時に一体誰を頼ればいいんだろう。もし、家で容態が悪化したら、誰か気づいてくれるんだろうか。

正直、不安しか出てこなかったと思います。

若かった、というものあるかもしれないけれど、なんだか何かに必死にしがみついているというか、地に足がついてないというか、たぶん、余裕がなかった。だから、きっと、受け止めることなんてできなかったと思うのです。

でも、今回、お医者さんから病名と状況を告げられた時、動揺することなく受け止められたのは、きっと、ここで暮らした8年間があったからこそ。家族をはじめ、シェアハウスの住人さんやご近所さん、一緒に活動している仲間とか、今の私の周りには頼れる人がたくさんいる。

実は、私が緊急入院したあの日、大きな仕事が入ってました。私たち夫婦だけでは乗り越えられないと、あらかじめお手伝いを頼んでいたほど、今までにない大仕事。なのに、私が急遽離脱。

私は、ただただ病室の窓から、うまくいくことを祈ることしたできませんでした。あぁ、なんて悪いタイミング。

大丈夫だったかな?無事に終わったかな?

ソワソワしていると、
「いろんな人に助けてもらって、無事に終わったよ」と。

聞くと、さらに多くの人に声をかけて、助けてもらったそう。

無事に乗り越えられほっとしたと同時に、涙がとまりませんでした。
本当に、助けてくれた人に感謝しかありません。

普段からお互いに家の行き来をしていたり、一緒に仕事をしていたからこそ、多くの方が先回りして、色々とお手伝いして支えてくれていたのです。

あ、ほんとうに、私は、ここで、この街で暮らしていてよかった、と、心から思いました。

退院後、日常生活に戻っていく中で、感じたことは、私にとって、ここでの暮らしと働き方は本当に「心地がいい」。「心地がいい」ことが、実は、体にも過剰なストレスがかからず、いいことだっただったんですね。
おかげさまで、体調は、すこぶる安定しています。ここでなら、病気とも仲良く付き合っていけそうです。

「病気になって、地方で暮らす」というと、なんだかネガティブなイメージを持たれがちだけど、実は違うと、私は思うのです。

地方は、都会に比べて人も情報量も少ないので、ゆっくり自分と向き合うことができて、自分のペースを見つけやすい。
自分のペースが見つかれば、ちゃんと人と人とのご縁を繋いでいくこともできる。もちろん、生活コストだって都会と違い、抑えることもできる。
私は、地方だからこそ、自分にとっての「ちょうどいい」が見つけられる場所だと思うのです。

何のご縁か、私は2012年に古民家シェアハウス「星空の家」を立ち上げました。「自立しながら支えあう」暮らしの場を、ながらく運営してきたことと、自分の病気のこととうまく掛け合わせて、地方暮らしの最初の一歩を応援できるんじゃないかな、なんて考えるようになりました。

実は、もう一棟「星空と長屋門の家」というシェアハウスもできたばかり。

あ、ちなみに、ずごく珍しいと言われる「1型糖尿病」ですが(発症は10万人にひとりとか)、実はご近所の友人にだけで3人もいました。しかもみんな同年代。人口少ないエリアなのにね、すごい確率。身近にいることが、なんだかうれしい。

今までも取り組んできたことだけど、今年は、さらに、新しい場所で、新しい暮らしと仕事に挑戦したい人を応援したい。
例えば今、都会の暮らしに何か窮屈さを感じていたり、私と同じように何か病気で悩んでいる人とか、そんな人に、地方での新しい暮らし方や働き方を提案できたらいいな。

いなかは、都会に疲れて、負けて逃げてくるところではない。
多様な生き方や働き方ができる、可能性に満ちた場所。

そんなことを、ちゃんと提案していきたい。

もちろん、自分の病気と仲良く向き合っていきながら。

「今の医療では治らない」のならば、「闘病」と呼ばず、あえて「共生」しようじゃない。

マイペースに自分らしく、今年も楽しんでいこうと思います。

2020年も、どうぞ、よろしくお願いします。





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