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ダラムサラ 〜亡命チベット人について考える〜

今回のダラムサラ滞在では、チベット人僧侶のバックグラウンドについて何人かに話を聞いて、写真を撮らせてもらった。
彼らと話したことと、チベットからの亡命に関する講話から、亡命チベット人のインドでの生活や亡命の背景など考えたことをシェアしてみる。

Dalai Lama Temple辺りにて

Dalai Lama Temple近くを歩いていた2人の僧侶に話しかけた。彼らとはコミュニケーションを取れる共通の言語がなく、翻訳アプリもチベット語が無かったため、会話するのが少し苦労した。
そのうち1人は2005年にチベット自治区からヒマラヤを22日間かけて渡り、それからここに住んでいるとのこと。またもう1人もチベット自治区からの亡命者。会話は難しかったけれど、お茶に誘ってくれたりと優しい方達だった。
この後の話だが、別の機会にダラムサラに滞在した時にも別の場所で偶然この2人に再会し、お互いに覚えているよ!と話し合った。休日はいろんなところを散歩しているのかな。

マクロードガンジーにて

カフェにて


カフェが混んでいる時間帯でちょうど席が空いていなかったので、相席した僧侶の方と話した。今回はダライ・ラマに会うためにネパールからダラムサラに来たそう。この方は普段からアメリカ、ヨーロッパなど世界各国に説法に行っており、英語も堪能で、また最新のiphoneを持っており経済的な余裕がありそうだった。
それも僧になった理由が経済的に有利だからとのこと。

僧侶が生活に溶け込んでるのが面白い

キルティ僧院 Kirti monastery


先に話した僧侶の方から教えてもらったキルティ僧院という場所を訪れ、外で朝食を食べていたチベット出身の男性とそのお母さんに図々しくも話しかけた。

僧院での朝食に混ぜてもらう

彼は2002年に家族とダラムサラに亡命し、その後ニューヨークのチベット仏教センターで通訳をするために渡米したそう。
また彼の弟はお母さんと一緒にこの僧院で暮らしている。弟は20年以上勉強しており、後4年ほどでチベット仏教の博士号を取得して世界各国に説法に行くことになるため、お兄さんがお母さんを連れてこれからニューヨークに戻るとのこと。

日本だと、知らない土地で家族と一緒に暮らすよりも長年住んだ土地を離れたくないと思う人が多い気がするけど、このお母さんにとっては家族と離れて暮らすという選択肢がないのかもしれない。そもそもこの住居は僧院のものだし、1人暮らしをするには心許ない年齢だけれど、こんなにゆっくりと時間が流れるダラムサラからあの煌びやかなニューヨークに行くとは、環境の変化が大きすぎないかと少し心配になってしまった。

亡命チベット人の海外移住に関しては、政府から資金の援助も多少はあるが、ほとんどを自力で捻出しなければならない。
(永住権目的の偽装結婚などもあるそう)


チベット亡命政府 CTA(Central Tibetan Administration)にて

ダラムサラには、チベット内外のチベット人が唯一の合法的機関と認めるチベット亡命政府がある。

「チベットが中国支配から脱し、自由を手に入れたら解散する」暫定的な政府で、政府教育省、財務省、内務省、情報国際関係省、宗教文化省、安全省、健康省などの機関があり、ここで働く人用の居住施設も併設されている。

チベット博物館での講話
ダラムサラ滞在中、たまたま張り紙で見つけたCTAの中にあるチベット博物館にて行われた[Tibet Awareness Talk Series]という講話を聞いた。

張り紙で情報収集
欧米人なども多く参加していた

2006年チベットの亡命者達がネパールとチベット自治区の国境稜線を越える際に、中国の国境警備員によりに1人の尼僧が射殺されるという事件があった。

その事件についてのショートフィルムについて映画制作の背景を監督が話したり、実際にその襲撃に巻き込まれたチベット人の方から、チベットへの亡命を決めた理由、国境を越える時に警備員に捕まり、拘束、拷問を受けた話などを聞いた。

その時の動画はこちら↓

このショートフィルム制作の背景として監督は以下のように語っていた。

このフィルムは1人の勇気あるクライマーが現場を撮影し、ビデオテープを国外に持ち出し、報道局に展開した事により成立した。
多くのクライマーがこの事件を目撃していたが、ガイドとして生計を立てる人は告発が見つかった場合、働き口がなくなる可能性があるという背景から、ほとんどのクライマーが襲撃について口を閉ざしていた。この映像により中国のチベット人を含む少数民族への弾圧の様子が世界的に知られることとなった。

ドキュメンタリーを制作する上で、クライマー達の信頼を得るプロセスに時間をかけた。なぜならクライマーにとってこのドキュメンタリー制作に協力し中国の公安などに目をつけられると、再びヒマラヤに戻れなくなる可能性が高くなるからだ。
しかし、今チベットで起きていることは人に伝え続けなければいけない。


ドキュメンタリーフィルム

講話を聞き、中国国内だと民族的アイデンティティを主張するだけでも罰せられてしまう危険性があるにも関わらず、すぐ隣の国インドではこのような体験について話せる自由があることに驚いた。
また、亡命に成功した人が移動中に起こった出来事を別の国で発信することにより中国への批判は高まるはずなのに、一度捕まえた亡命者を釈放してしまう公安の拘束の曖昧さについては疑問が残った。

チベットの友達に聞いてみた
これら中国側の対応についてネットに詳しい情報は載っていないので、チベットに興味を持つきっかけになったチベット人の友達に疑問を投げてみた。

「チベット自治区に外国人が自由に入国できないのは諸外国から知られたらまずいことを隠していると捉えられるが、それは中国にとって都合が悪くないのか?」

「中国が他の民族を宗教的に弾圧していることは既知の事実。外部からの情報を遮断して、怪しいことをしていると思われるデメリットよりも少数民族の暴動などを抑えるために厳しく統制するのが中国にとっては重要。というかそういう政治体制。中国政府は自分達が何をしていると想像されようが、あくまでも想像なのでどう思われようが勝手」というスタンスだそう。

僧侶について
「どんな人が僧侶になるのか?」

「大人になってから自分の意思で僧になる人もいるけれど、大抵は両親が子供に勉強させる。チベット人の家庭にとっては、自分たちの子供を僧侶にすることは大変重要であり、例えば2人兄弟の場合、そのうちどちらか1人は必ず僧にさせられる。そして家族に僧がいるだけで、幸せであり、祝福を受けている感覚。」とのこと。
また「チベット人にとって仏教はいただきます、やごちそうさまを言うような自然なもの」というのを前に聞いた。これだけ仏教が生活に浸透していて人々の心の支えとなっているのは、一般的な日本人の仏教との関わり方とは全然違って面白い。

亡命について
「どんな人が亡命してくるのか?」

「亡命者は最初の方は貴族や高僧たちが多かったものの、現在はダライラマ様を自分の目で見たいため、宗教を自由に実践するため、自分の言語を自由に話せるようになりたいためなど、主に宗教的な理由から多くの一般の人も亡命している。」
また約半数は子供で、両親が子供にチベット人としての教育と自由を与える為に送り出します。(2008年のチベット騒乱以降は中国の国境警備が厳しくなり、亡命する人は激減した。)

ダラムサラでは他にもチベットについて学べる機会がある
Dalai Lama Templeにて
チベット舞台芸術研究所 TIPAにて

今回の滞在でチベット人のバックグラウンドについてほとんど無知の状態でしたが、少しだけ彼らの置かれた環境について知るきっかけができた。

チベット人は初めて会う私に、自分たちの食べ物を惜しみなく分けてくれたり、センシティブになりうる質問にもオープンに話してくれて、温かくて優しい人達ばかりだった。
また他の文化を当たり前のように受け入れて、争うことなく共に生活しているダラムサラという地域の寛容さとさまざまな文化が混ざり合い醸成される文化の美しさには関心する。また何度でも来たい場所だ。

参考

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