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アセクシャルという言葉に救われた

私は自分から恋愛感情を人に持つことが(ほとんど)ない。

24歳になるまで人と付き合ったことがなく、恋愛対象として「人を好きになる」という感情もよく分からない。中学や高校で友達と誰と誰が付き合うとか、彼氏が欲しいとかそんな話は周りに合わせるようにしていたけれど、自分も同じように彼氏ができるというイメージが全く湧かなかった。

歌詞や映画、ドラマが恋愛に関することばかりなのが不思議だったし、同僚がパートナーと分かれてショックのあまり欠勤するとか、受け入れてはいたものの、共感はできなかった。

周りに比べて性に関する興味がないというのも年を重ねるごとに分かってきた。AVとか自慰行為にも興味がなかった。

人として尊敬する人は周りにたくさんいる。
容姿がかっこいいなと思う人もたくさんいるが、自分から1人の人間を特別好きになることはなく、恋愛感情の「好き」にはつながらない。

なんでみんなパートナーができるのだろう。
なんで1人を選べるのだろう。
なんでみんな当たり前のように結婚していくのだろう。

大学生、社会人になっても誰とも付き合ったことがない自分はさすがにどこかおかしいんだなと、諦めの境地に至り始めた頃、あるきっかけでこの言葉に出会った。

アセクシャル
ノンセクシャル

その言葉について調べていくと、面白いくらい自分に当てはまった。
自分以外にもこういう人がいるのかと安心した。
自分でもよく分からなかった微妙な性的指向を定義する言葉が存在することに救われた。
性的指向って人によって様々で、細かくカテゴライズすることに対しても若干違和感を感じるが、体の不調に病名があると何故か安心するように、性的嗜好も細かくカテゴライズされていると、自分に合うものを見つけられるので、不安が和らぐ。
そして、定義づけられていると人にも理解してもらいやすい。

ありがたいことに、これまで自分を好きになってくれる人が数人いた。
誰かを好きになるという感情なのかどんな状態か、本当に分かっていなかった。人に対して性的欲求を感じないので、その行為ありきのパートナーというのが想像できず、付き合うというのが何なのか腑に落ちていなかった。
中には人としては好きな人もいたけど、もちろん相手は当たり前のようにセックスも楽しめるパートナーが欲しいと考えていた。

一緒に時間を過ごして話ができればそれで満足なのに、相手はそわそわしてまだやりたいことがあるのだなと伝わってくる。
それが分かると緊張して逃げたくなる。

自分に好意を持ってくれているというのは嬉しいが、相手の期待に答えられないことに罪悪感を感じてきてしまう。
その「人」のことは好きなのに、体の関係になりたいとなかなか思えない。

性的行為は本当に好きな人なら、本当に愛し合える関係ならできるのかもしれない。そういう人がまだ現れていないだけなのかもしれない。

ある時期までそんな淡い可能性があると信じていたが、
少なからず人は「好き」という感情とその人を性的な対象として見る感情が入り混じっていて、自分はいわゆる「普通」の恋愛ができないんだなってあるタイミングではっきりと分かった。

恋愛感情を持てなくて、結婚も子供を育てることも難しそうだなと気づき、自分はこれから1人なんだと想像すると悲しくなった。

それからまた時間が経ち、あるYoutubeチャンネルを見つけた。改めて自分はアセクシャルだと自認した。性行為が普通にできないということに少なからず劣等感を感じていて、自分は人ができることができないんだと悩んでいたことが、同じく悩んでいる人がいると気づけて心が楽になった。自分のセクシャリティを認識するのに、こうやって情報提供してくれる方達がいて本当にありがたい。ここまで気づくのに本当に時間がかかったが、これからは人に自信を持って、自分はアセクシャルだと伝えていきたい。

https://www.youtube.com/@CH-mo1mw/featured

そしてやっぱり、パートナーは欲しい。そして子供が欲しい。
性的な行為に嫌悪感を感じるのにパートナーが欲しいだったり、子供が欲しいだったり、矛盾しているよなと思うけれど、悲観的になる必要もないし、不可能でもない。ゆっくり自分の道を見つけていく。



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