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人生どうすれば格好良く生きていけるだろうか

「格好良い」という表現にはさまざまな定義がある。
見た目のオシャレさ加減から取っていうこともそうだし、

「男は黙って背中で語る」生き様も、
「ボロボロになるまでやり切る」生き様も

人によっては格好良いと言えるでしょう。

誰しも栄光も苦節も味わうもの。
栄光の味は甘美だけども、苦節に心折れ砕かれるのでないか。

どうしたら、スポーツ選手や芸能人に
勝るとも劣らない生き方ができるでしょうか。

私の人生を変えたカッコいい自由人との出会い

会社の人との飲み会やら会話やらは
大体が仕事の愚痴で辟易としていたある時の私は

会社の人間関係でとどまってしまってはダメになる一方
自分の成長の頭打ちになると感じていました。

会社員で終わるのをやめて、新たな生き方を探してる矢先
自分より結果を叩き出してる人の知見が参考になると思い、
プロブロガーが開催するセミナーに参加しました。

「あなたのブログがつまらないのは、あなたの人生がつまらないから」

セミナーの先生に言われたこの一言が、私に一番刺さりました。

ブログだけで食っている「成功者」がとても格好良く見えたのと同時に

「ああそうか、自分の人生ってつまらないんだ………」
会社に不満を感じながら行動を起こせない
自分の程度の低さにゲンナリしていました。

「成功者」だからこその重みある言動に感動して
自分の人生を「面白い人生」にしたくって
たくさんの経験に経験、努力に努力を重ねることを決めました。

「成功者」が格好良く見えたからファスティングやらフードファイトやら
別に「全くやる必要ないけど面白おかしいこと」にどんどん手を出して

「成功者」のような格好良い生き方をできる人を目指したのです。

格好良く見せても格好良く見えない罠

「成功者」が軒並み格好良く見えていた私は
自分を「成功者」同様格好良く見せるために
起業塾でどんな時でも意識を高く保つテクニックや
SNSで着飾って自分をよく見せるテクニックを教わって実践していました。

しかしどんなにテクニックを教わったところで
意識高くいれるのは起業塾にいるときだけ。

仕事が過酷なブラック企業にいる時間が長いので
どうしてもその波に飲まれてしまう。

どんなにSNSで見栄を張っても
会社で上司に怒られている自分を見られでもしたら
その時点でボロが出てしまう。

偽装工作をしたところで本物には勝てません、
いつか白日の元にさらされるでしょう。

正直こんな話書いてること自体
格好良いどころか自分の人生の汚点であることは

十分理解しているつもりです。

自分の弱いこと、ダメなことも乗り越えて格好良さがついてくる

正直この世界に、どれだけの人が自分を着飾らず
見栄を張らずに人生を謳歌できてるかは、わかりません。

人生は楽なことばかりでなく苦難も立ちはだかります。
それも、一人じゃどうしようもできないものもあります。

怒られたりすると恥をかいたりダサいな自分、って思うかもしれません。

SNSでは良いことを書かないと良い反応を得られないから
とにかく辛かろうが良いことを書こうとするでしょう。

だけども他人に見せられない、痛々しい部分もあるのが人間です。

人生の「峻厳」を乗り越えた人間には格好良さがもれなくついてきます。

なんのために人生があるのか?

「本当の神ってる自分」になるためにこの星に魂を下ろしにきたはず。

面白おかしくだろうが、過去の記憶で辛いこと思い出しながらだろうが
この世界に何しにきたのか?

自由になりたくてきたわけですから。

会社とかめっちゃわずらわしい存在あるかもしれないけど
会社とかに首輪つながれながらも、「社内起業」みたいなやつとか
自由の表現しようはあるはずです。

辛かったとて、遅かれ早かれいずれは辞める時期もやってきます。

終わりに

偽装工作した自分を演じていても、そっちの方がかえって辛いです。

だから嘘ついて自分も他人も欺き無理やり明るく振る舞っているよりも、

ネガティブなオーラ出してても
学校で会社でたった独りだったとしても
「自分の心の闇」に向き合ってる方が格好良い生き方だと私は思います。

外見コーディネートして格好つける以外にも格好良い生き方はできます。

もちろん外見がザルでいいわけはないですけどもね。

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