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2年前に「極力人に会わないことを良しとする」と声高に叫んだその真意

「極力人に会わないことをよしとしている。
人はなぜ人に会うのか?
『自分の困ったことを誰かに解決して欲しいから』人は人に会うんだからな」

僕がかつてFacebookをやっていたときにぶち上げたこと。

人と会って折衝することが人として成長する
人と会うことを良しとしている風潮が強かったためか
いいね!を3しか得られなかったことを思い出す。

子供の頃よく言われてきた
「友達100人できるかな」というのがわかりやすい例で
とにかく誰かといることをよしという教えが流行っていて
孤独で浮いていることは良くない風潮があった。

「人に会うことをよし」とはいろんな人から言われていたし
僕もそれを良しとしてきた。

そう思っていたが、あるとき人に会い続けて、
立ち止まるべき出来事を経験し、気がついた。

それに気づいた2年前、Facebookをやっていた当時僕は
「極力人に合わないのが健全な状態」と声高に叫んだ

それは僕自身が極端に人に会いに行きまくっていたからだ
なぜ人に会いたいと思ったのか?
自分の課題を解決したくて、とてもとても困っていて
それを解決して欲しいから人に会いに行った

意識が高い高額コンサルのメンター、
能力の高い起業家の仲間たち、
神霊、精霊を味方につけてくれるスピリチュアルヒーラー、
カウンセリングの先生
あるいは会社以外の交流会に集まるちょっと意識の高い人たち
などなどと、

「今いる会社以外の人間」に会いに行きまくった
実に枚挙にいとまがない

そう、人というのは解決して欲しい課題があるから、
解決して欲しい誰かのもとに歩み寄るのだ

要は自分の病気を治して欲しいからずっと病院の常連になるようなもの

人に会って折衝することは自身の成長につながるとよく言われるが、
頻度が高いことが成長につながるだろうか?


人が人である限り、一人で生きていけるなんてあり得ない。
どんなに引きこもりであっても、食べ物を供給してくれる人に
会いに行かなきゃ食ってけないわけだし

飯の種であるお金をくれる会社に通い続けなきゃお金をもらえないわけだし
どっかしらで人と会う必要性というのは確実に出てくる。

ご飯を買うにしてもコンビニの店員とやりとりしなきゃいけないし
飯の種であるお金のためには会社の同僚とやりとりなきゃいけないわけだし

人は絶対に誰かとかかわらなければ生きてけない。

必要最低限以上の人に会い続けるのが健全と言えるだろうか?


僕の中で、人に会いまくった結果「健全でない」という回答が出た。

なので「極力会うべき人間は少なくすべき」という結論を叩き出せた。

例えFacebookで友達千人いようが
その反対に片手で数えるレベルしかいなかろうが

その日に相手できる人数のキャパは決まっている。

なぜなら時間はみんなに平等だから。

「極力会うべき人間は少なくすべきだ」

当時は賛同する者が500人中3人という酷い有様であったが
皮肉なことにコロナウィルスでソーシャルディスタンスが叫ばれる今現在
それが極力自然な状態になりつつある。

このコロナで人に会いたくても会えない状況下、どうすべきか?

確かに大変な時代になってしまったが、
言い方を変えればいよいよを持って、
自分自身の眼で「物事の本質」を見極める時がやってきてしまったとも言える。

「自分にとって本当に必要なことは何か?」
「何をすれば自分は充足するのか?」
「本当に必要な人が誰か」を見定めるときではないのか???


#いま私にできること

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