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変化の流れ。人生を取り戻すために「JOY」を取り戻す。

この日は何するにも疲れていて、ひさびさに二度寝をした。
まあ前日に重いもの担いで歩き回ったのだから当然か。
月曜日なのに朝から疲れが激しくって、二度寝るしかなかった。

どこかに行ってしまった「JOY」

「どうすれば会社以外のことで喜びを見出しもたらせるか」

愛を育めていないことが障害。愛とは男女間のことだけという話でなく
友愛であったり、リレーションシップ全般的な部分。

こないだ参加したマルシェで不登校の子どももいたが、
むしろその方が伸び伸びしているようにも感じた。

子供とはとてもピュアなもの。
あの時、あの子たちに私は元気をもらった。

自分になくて、彼らにあるもの。
それが「JOY」。

あなた自身がJOYで満たされていることが大事。
JOYで満たされたものでなければ
喜びをもたらすことは叶わない。

普段喜びを感じ得ない状況で
JOYを感じ得るような時間を与えられている、
そう認識して普段から取り組むことだ。

あなたは硬いところがあるので、
ちょっとした時間にJOYを得られるように、
その時間が与えられているのだと。

なんだかそう言われたようにも感じた。

そう言えば、私にとっての「JOY」は
一体どこへ行ってしまったんだろう、と。

今の私は、たくさん抱えた重荷を手放したい一心で歩みを止めている状態。

たくさん抱えた重荷の重量が私には耐えきれなかった。
その結果、「JOY」がどこかに行ってしまった。

「JOY」を取り戻すために

変わるための決断をしなければならない。
これまで安心を感じていたものに別れを告げること。
合理的な恐怖で人を縛り付ける環境。

何かが厄介な枷となっている。
お金か。人間関係か。

その枷を無かったことにして、改めて自分に問いただすと
本当に喜びを見出しもたらす仕事がしたいのだった。

普段の会社の仕事で喜びすら見出せていないから、
辞めたいとずっと願っていたのだった。

だが普段の仕事をして心を殺していくうちに、
日々生きていくことだけを一生懸命になる
金がなくなることが怖い、打算的な生き方を願うようになった

怖さを忘れるために暴飲暴食やアルコール、
カフェインの大量摂取で忘れさせようとする。

打算的に生きることがゴールになった。
いつから金のために生きることを厭わなくなったんだろう。

そのためのエクソシズムが必要なのだった。

終わりに

何が自分にとっての「JOY」なのだろう。
何をして何を表現すれば「JOY」になるのか?

打算的な生き方から外れてもいいなら何が楽しいかなんて。

それは誰に聞いてもわからない、自分しか答えを持っていないんだから。


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