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過去を乗り越えるべき私たちに求められていることは??
日々の選択、例えば衣食住に関して、
正しい製法を選び間違ったことを拒否したものを選んでいく、
その積み重ねが大事。
その積み重ねがリズムを作る。
「正しいことを信じ、間違ったことを拒否する」リズムが構築されれば、
間違ったものはいずれ離れていくであろう。
「間違ったこと」との戦い
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「間違ったことに気づく」「間違ったことに拒否し続ける」
これ、ほんとうに正しいことなのだけど、自分だけの力でやり続けるのは辛い。
私もヒーリングとかさまざまなものを頼って、
誰かに助けられながら、ここまで生きながらえてやってきた。
ブラック企業にいた時期は、確実に一人じゃ無理で、
出会う人誰かしらに頼り続けていた。
なんたって、そこに光を感じないんだもの。
一筋の光すらも届かぬ昭和の病棟のような場所に
生気を、正気を感じられなかった。
そこの従業員は人間の姿形をしているが、顔は青ざめて魂は抜けている。
金のために悪魔に魂を売った人間たち。
ブラック企業に漂っていたのは、ただただ悪魔崇拝の狂気だけ。
ブラック企業で引き起こされていたデスマーチは「間違ったこと」と知りつつも
一人だけでは全く太刀打ちできぬ有様だった。
「行きつけの店」という信頼感抜群のもの
![](https://assets.st-note.com/img/1687258986600-rOgiornwPz.jpg?width=800)
何かにつけてあってるまちがっているというのは
過去の実績ベースにより行われるもの。
過去における正しい間違っているという感覚から
現在の選択というものは執り行われる。
一番わかりやすいのは「行きつけの店」であろう。
私も会社員だった頃は行きつけの店というのができていて、
毎週金曜日は自分へのご褒美と称して行きつけの店に通っていた。
夜が遅くなる日はコストが抑えられるうどんチェーン店に行っていたり。
今はある程度は自活で賄えるようになったし
最悪「食べない」という選択もできるようになった。
食に関しては、そういう思い出がある。
行きつけの店に関して言えば、信頼している同僚が「うまい」と言った店に
会社を辞めるまで何度も行き続けるくらい常連になっていた。
「行きつけの店」にとらわれて抜け出すということがなかなかできなかった当時。
今だったら何でもかんでも自分で作った弁当で済ませているが。
行きつけの店というのは信頼感が抜群なもので、いつ行っても期待を裏切らない。
その反面、自力でなかなか新しい世界に足を踏み込めていない、
ということの裏返しでもある。
終わりに
![](https://assets.st-note.com/img/1687259022108-AaKQ5gbx49.png)
過去に囚われる。それは過去の快感であったり不快感であったり、
快感であればそれらを味わうために「行きつけの店」状態になるし
不快感であればそれは味わいたくないから避けるようになる。
それらは「間違ったことを信じ、正しいことを拒否してきた」から得たものかもしれない。
目指すのは全く新しい感覚で物事に臨み、新しい感覚を味わうこと。
過去のしがらみから抜け、ライスワークからライトワークに切り替える。
それが、過去を抜けるべき私たちに求められていること。
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