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人間関係構築において「ババ抜きのババ」を引かないために

関わった人間関係を全て「ババ抜きのババ」にしてしまった葛藤

社会に出て職場につくと仕事相手を選べません。
上司は部下を選ぶことができるが、部下は上司を選べません。

職場でもババ抜きのババを引いてきましたが
人間関係でどうしても選べない職場の仕事関係以外の
自分で選べる関係においても
正しい人を選んだつもりでもババを引いた結果となっていました。

自己啓発セミナーで仲良くなった同窓生が、いざ仲良くなると
こぞって口をひらけばビジネスの誘い、宗教の勧誘だったり。

そうした関係に辟易して離れた先に朝カフェ会とかに集まった
仲良くなった人も結局は同じように
ダイレクトメールでセミナーの勧誘を繰り出してきたり。

ビジネス、宗教勧誘関連の縁起とは手を切ったものの
私の中で人間関係が育たない、長続きしない、

作った人間関係がババ抜きのババになってしまう。

それは気に掛かっていました。

私の人生経験の中で人間関係の当たりクジにできなかったこと
少なかったことは思い返される。

会社の関係を含み、自分が疲弊する関係性ばかりを構築してきたこと。
心から繋がったと言える人間が今までいなかったこと。

結果として煩わしい関係性ばかりが残ったこと

親と上司は選べないし、ババを引いてきたと書きましたが
周りの親切な人たちには私は恵まれていました。

ただそういう人たちはある人は会社の方針に耐えかねて辞めたし
私によくしてくれた人から足早に去っていった。

私が「魂レベルでの交流をした」といえるのは
長く時間を共有したいと思っていた同僚たち。

それも、会社を志半ばで去っていった同僚たち。
セミナーやイベントの場でインスタント構築したような間柄の人たちというよりは
会社のように毎日出会ってきた人たち。

「いい人」がこぞって去っていき
常にどの時代も煩わしい存在ばかりが残る、その繰り返しでした。

「性格に難あり」を如何に見抜くのが大事

会社だろうが同じセミナー受ける人だろうが、性格が合わない人間はいる。

私が人間関係構築において失敗した時の教訓は
目の前の人の本質部分を見抜けなかったこと。

なんのために私をセミナーに誘ったのか?

なんのために私とミーティングをやろうと思ったのか?

彼らの行動の「なぜ」部分を見抜けなかったこと。

宗教、ビジネス勧誘目的で近づいてきた人を私は見抜けず
誰だろうと皆一様に「友達」として迎え入れていました。

彼らの魂胆を見抜けず、甘い誘いに乗る私の弱さがあった。

こうして私の周りには「煩わしい人間関係」ばかりが構築されていきました。

お約束ごとではありますが
人の行動原理においては「なぜ」という要素を考えるのが大事。

「タダより安いものはない」ということわざがありますが
これもビジネスの世界にはよくあることです。

「なぜタダにしているのか?」

そこの見極めが何よりも肝要です。

目の前の人の本質は5W1Hの中での「なぜ」にこそあります。

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