個人の問題は世間の問題。自分の問題の解決が周囲の平和を導く
「何につけても我慢しているペルソナ」。
ずっとそんな仮面をつけてきたが、
その窮屈さは、私を他者から見ても
話しかけにくい人格にしてしまっている。
どうすればこの外面を取り外せるか?
生半可な意識変革ではこの仮面を取り外すことは叶わない。
個人の問題が世間の問題に連なる
「俺のことはいいから自分のことをやってくれ」
っていつからそういうふうになったんだろう、
そういう仮面をつけるようになったんだろう
思えばこうした姿勢が
他者を遠ざけるようになったのでないかと思った。
自分の問題を疎かにしてはならない。
「俺はいい」というスタンスは人を遠ざけるだけ。
リレーションシップという課題に対して目を向けることが大事。
世の中の痛ましい事件が起きている理由は、
集合意識的に愛情が欠乏しており、平和に向けた方向に使われていない。
個人の問題は決して他人事でない、積もり積もって集合意識になっている。
だから個人個人を愛で満たすことが大事。
集合意識の話
自分の問題は自分個人の問題というわけでない、
集合意識においても問題で、どこかで何かの形で問題なっている。
痛ましい事件というのも結局は人としての愛というものが
欠乏した果ての形になっている。
私の場合は「愛」がカルマだと思っているので、
愛にまつわる出来事が阻害されたり
そういうことがよくある。
そういうことがよくある、という積み重ねで
次第に自分から愛が離れていった。
その結果かもしれないが、私から見た外の世界が
いささかドライな感じに映った。
外の世界の出来事ではあるのだろうけども、
自分の内面の世界を表しているようでもあった。
終わりに
自分を作ってしまったペルソナを剥がすのは容易でない。
心の傷が浮かび上がった形ということもあるだろうし。
問題を解決するにあたって、そのベクトルは
本当の意味で自分にベクトルを向けたものになっているのか。
他人や世界にアプローチをかけてもなかなか変わらない。
確かに親子の愛情が人の人格の基本線だが
どういう育ち方をしたのであれ、
大人になって自分の足で歩ける立場になった以上は
自分のことは自分でなんとかするしかない、というのは
共通した話であるように思う。
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