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「仕事人間」の仮面を作り上げたものと、その反動。自分を生きるためには。

僕は会社に忠誠を誓った覚えはないが
どんな時でも、どんな仕事でも真面目にこなして成果を上げる

「仕事人間」としてここまでずっとやってきた。

確かに社会人新卒時代に会社に入って最初の部署に入った時は

「この仕事をやるために今まで頑張ってきたんじゃない」
「こんな仕事をやりたくない、今の仕事は人生かけてやりたいことでない」

いろいろ巡り、思うものがあったし、文句も口酸っぱく言い続けてきた。

しかし生活のためには、飯を食うためにはどんな形であれ

「仕事で成果を上げないとならない」。

「こんな仕事やりたくない」と思いながら働いてたら成果が出せるわけがない。

だから「思考停止」し、葛藤が生まれるたびに
心を殺しながらここまでやってきた。

成果を上げて給料をもらって生きていくには
余計なことを考えずに仕事をするしかない。

徹頭徹尾、成果を出すことだけを考えて、仕事のことにしか心を砕くことはない。

その結果、僕は「仕事人間」の仮面を作ることになった。
そのペルソナにユーモアなんてどこにもない。

ただただ心を殺して黙々と成果を上げるだけのものだ。

「仕事人間」の仮面を深々と被り続けた事情

僕は四年制大学を卒業して会社に入ったわけだが
情報系の学部にいたこともあって
どちらかというとインドアでヲタク気質な傾向があった。

アニメを見たりゲームをしたり、あるいはグッズを買ったり。
今の時代にしてみればそんなの別に珍しくないだろうが

当時はヲタクに対しての風当たりも強く
ヲタクという存在に対して、会社の上層部面子の心象も良くなかった。

僕が社会人新人の時はそれをすごく痛切に感じた。

当時ヲタクというものは結構毛嫌いされる風潮で
いわゆる「キモい」者の代名詞的存在だった。

当時の僕は絵に描いたヲタクのような外見や雰囲気を撒き散らしていたから
見る人が見れば隠されても一発でわかるだろうが

それでも自分がヲタクであることを自白するわけにはいかない、
自分の真の姿を明かすわけにはいかない、と思っていた。

どうすれば秘密を死守できるか?
どうすれば世間体に対してクリーンな自分を見せられるか??

しかもヲタクではあるのだが
知っている知識で言えばゆるいレベルでしかなく
本職のヲタクほどサブカルの知識を持っていない、

その事実が余計に自己嫌悪を加速させた。

そのことがより一層僕の「仕事人間」としての仮面を外させない要因になった。

ここから脱却するのにとても時間がかかった。

僕がサブカルに関して興味をなくした頃になって
「鬼滅ブーム」だとか、都心に向かう電車においては
アニメやゲームのラッピング電車が目につくようになって
サブカル文化が浸透し始めたのだった。

世間のサブカルに関して認知度が高まったのが
僕がサブカルに興味を失った頃と同時期なのが
なんとも皮肉である、としか言いようがなかった。

僕がヲタクで肩身が狭かった頃に
鬼滅ブームとかそういうのやってれば良かったが。

まぁ今更そんなこと言ったところで詮無きことよなァ。

「真面目」「ストイック」という外面の反動

「仕事人間」の仮面を作ったのは会社に入ってから始まったことでなく
すでに学生の頃からその兆候が出ていた。

学生時代は授業もサボったことなければ
遅刻欠席も無断でしない、典型的な『真面目』な生徒だった。

起業塾にいた時もいたって『真面目』だった。

確かに真面目な体面を取り繕っていたけど、どこかつまらなく感じていた。
元来は自由人でありたいが、それが通じるほど社会は甘くないので
真面目であるという体裁を保たざるを得なかった。

不良じゃないけど、会社においては窓際族で
退職一歩手前に片足突っ込んでる人だったり
あるいは一風変わった同僚とつるんでいることも多かった。

会社みたいな場所は「異端審問官」たちによる「異端者狩り」が激しい。
そのことがより一層「生きづらさ」を演出させる。

そんな中でも体制側に噛み付いている彼らの姿に、
僕は自分の憧れを見たのだろう。

だんだんと真面目な自分を壊し、
本来持っている野生味を取り戻してきてはいるが、まだまだ程遠い。

終わりに

自分が暗黒道に落ちた時代が「仕事人間」を爆進してた頃で
起業塾入ってて、ブラック企業いた頃でもあった。

当時は暴飲暴食は当たり前で、
ストレス発散のために酒を意識失うくらい浴びるほど飲んで
とにかくたくさん食べて気を紛らわそうとしていた。

当然そうなると体重も増えるし、見栄えが悪くなる。

クソマジメだった頃がもっとも暗黒道爆進してた、
というのもまた皮肉を効かせている。

そもそも「真面目な人間が酒飲むか?」って話かもしれないが
いや、真面目だからこそ、お酒を浴びるほど飲むというもの。

嫌なことがあっても、とにかくうやむやにして
メンタル切り替えてまた明日から「真面目」に仕事しようって
真面目じゃないとできないので。

どんな嫌な仕事でも顔色一つ変えない「仕事人間」として鳴らしてきたが
その反動としてあまりにも多くのものを捨ててきた。

本来なら、生きていくにおいて社会的な壁に対して嘘をつく必要はない。

多くの人は「仕事人間」としての仮面を被っている。

「仕事人間」の仮面を完全に破ることができたらどんな人格が見えるだろうか??

そしてその先に、どんな景色が見えるだろうか???

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